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'''パーヴェル・ニコラエヴィチ・デミドフ'''({{lang|ru|Павел Николаевич Демидов}}, 1798年9月6日 [[パリ]] - 1840年3月25日 [[マインツ]])は、[[ロシア帝国|ロシア]]の貴族、伯爵、政治家。大富豪[[デミドフ家]]の一員。 |
'''パーヴェル・ニコラエヴィチ・デミドフ'''({{lang|ru|Павел Николаевич Демидов}}, 1798年9月6日 [[パリ]] - 1840年3月25日 [[マインツ]])は、[[ロシア帝国|ロシア]]の貴族、伯爵、政治家。大富豪[[デミドフ家]]の一員。 |
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[[ニコライ・デミドフ]]伯爵とその妻[[エリザヴェータ・ストロガノヴァ]]の長男として生まれた。1812年、父が組織した歩兵連隊に所属し、[[ボロジノの戦い]]に参加した。ナポレオン戦争後は近衛騎兵連隊に所属した。1828年、デミドフは有名な[[サンシー (ダイヤモンド)|サンシー]]・ダイヤモンドを購入している。1831年に連隊長になると軍を退役し、文官に転じて[[クルスク州]]知事となった。同じ1831年には、科学に貢献した人物に贈られる[[デミドフ賞]]を創設した(受賞者決定権は[[ロシア科学アカデミー]]にあった)。デミドフは[[ニコライ1世]]の妻[[アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ1世皇后)|アレクサンドラ・フョードロヴナ]]の女官で、美人の誉れ高い[[アヴローラ・デミドヴァ=カラムジーナ|アウローラ・シェルンヴァル]]男爵令嬢と結婚し、一人息子[[パーヴェル・パヴロヴィチ・デミドフ|パーヴェル]]をもうけた。 |
[[ニコライ・デミドフ]]伯爵とその妻[[エリザヴェータ・ストロガノヴァ]]の長男として生まれた。1812年、父が組織した歩兵連隊に所属し、[[ボロジノの戦い]]に参加した。ナポレオン戦争後は近衛騎兵連隊に所属した。1828年、デミドフは有名な[[サンシー (ダイヤモンド)|サンシー]]・ダイヤモンドを購入している。1831年に連隊長になると軍を退役し、文官に転じて[[クルスク州]]知事となった。同じ1831年には、科学に貢献した人物に贈られる[[デミドフ賞]]を創設した(受賞者決定権は[[ロシア科学アカデミー]]にあった)。デミドフは[[ニコライ1世 (ロシア皇帝)|ニコライ1世]]の妻[[アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ1世皇后)|アレクサンドラ・フョードロヴナ]]の女官で、美人の誉れ高い[[アヴローラ・デミドヴァ=カラムジーナ|アウローラ・シェルンヴァル]]男爵令嬢と結婚し、一人息子[[パーヴェル・パヴロヴィチ・デミドフ|パーヴェル]]をもうけた。 |
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2021年6月13日 (日) 08:31時点における最新版
パーヴェル・ニコラエヴィチ・デミドフ(Павел Николаевич Демидов, 1798年9月6日 パリ - 1840年3月25日 マインツ)は、ロシアの貴族、伯爵、政治家。大富豪デミドフ家の一員。
ニコライ・デミドフ伯爵とその妻エリザヴェータ・ストロガノヴァの長男として生まれた。1812年、父が組織した歩兵連隊に所属し、ボロジノの戦いに参加した。ナポレオン戦争後は近衛騎兵連隊に所属した。1828年、デミドフは有名なサンシー・ダイヤモンドを購入している。1831年に連隊長になると軍を退役し、文官に転じてクルスク州知事となった。同じ1831年には、科学に貢献した人物に贈られるデミドフ賞を創設した(受賞者決定権はロシア科学アカデミーにあった)。デミドフはニコライ1世の妻アレクサンドラ・フョードロヴナの女官で、美人の誉れ高いアウローラ・シェルンヴァル男爵令嬢と結婚し、一人息子パーヴェルをもうけた。