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'''アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ'''({{lang|ru|Александр Александрович}}, [[1869年]][[6月7日]] - [[1870年]][[5月2日]])は、ロシア皇帝[[アレクサンドル3世]]とその妻[[マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)|マリヤ・フョードロヴナ]]皇后の間の第2子、次男。[[ロシア大公]]の称号を有した。出生時、父アレクサンドル3世は祖父[[アレクサンドル2世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル2世]]の[[ツェサレーヴィチ]]であった。アレクサンドル・アレクサンドロヴィチは、出生時から兄[[ニコライ2世|ニコライ]]に次いで帝位継承順位第3位であった。


1870年、1歳の誕生日を迎える前に[[髄膜炎]]が原因で亡くなった。
1870年、1歳の誕生日を迎える前に[[髄膜炎]]が原因で亡くなった。

2021年6月13日 (日) 08:59時点における版

アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ
Александр Александрович
ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家
棺の中のアレクサンドル大公

称号 ロシア大公
出生 (1869-06-07) 1869年6月7日
死去 (1870-05-02) 1870年5月2日(0歳没)
父親 アレクサンドル3世
母親 マリヤ・フョードロヴナ
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アレクサンドル・アレクサンドロヴィチАлександр Александрович, 1869年6月7日 - 1870年5月2日)は、ロシア皇帝アレクサンドル3世とその妻マリヤ・フョードロヴナ皇后の間の第2子、次男。ロシア大公の称号を有した。出生時、父アレクサンドル3世は祖父アレクサンドル2世ツェサレーヴィチであった。アレクサンドル・アレクサンドロヴィチは、出生時から兄ニコライに次いで帝位継承順位第3位であった。

1870年、1歳の誕生日を迎える前に髄膜炎が原因で亡くなった。