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'''スタンダルト'''({{lang-ru|'''Штандарт'''}})は、[[ロシア帝国]]の{{仮リンク|ロイヤルヨット|en|Royal yacht|label=皇室ヨット}}である。最後の[[ロシア皇帝]][[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]が所有していたヨットの中でも最大規模のものであった。[[第一次世界大戦]]の勃発後に[[乾ドック]]入りしたが、[[1936年]]に[[機雷敷設艦]]となり、[[第二次世界大戦]]中は[[サンクトペテルブルク|レニングラード]]防衛で重要な役割を担った。 |
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「スタンダルト」は[[ロシア皇帝]][[アレクサンドル3世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル3世]]の命を受けて[[デンマーク]]の造船所{{仮リンク|バーマイスター・アンド・ ウェイン|en|Burmeister & Wain}}が[[1893年]]10月1日から建造を開始した<ref>{{Cite web|url=http://www.yachtstandart.com/standart-mainframe.htm|title=Construction|publisher=Yachtstandart.com|language=英語|accessdate=2014年7月28日}}</ref>。[[1895年]]3月21日に[[進水式|進水]]<ref>{{Cite web|url=http://www.yachtstandart.com/launch.htm|title=The Launch|publisher=Yachtstandart.com|language=英語|accessdate=2014年7月28日}}</ref>。[[1896年]]9月に竣工した<ref>{{Cite web|url=http://www.yachtstandart.com/maidentrip.htm|title=Maiden Trip|publisher=Yachtstandart.com|language=英語|accessdate=2014年7月28日}}</ref>。 |
「スタンダルト」は[[ロシア皇帝]][[アレクサンドル3世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル3世]]の命を受けて[[デンマーク]]の造船所{{仮リンク|バーマイスター・アンド・ ウェイン|en|Burmeister & Wain}}が[[1893年]]10月1日から建造を開始した<ref>{{Cite web|url=http://www.yachtstandart.com/standart-mainframe.htm|title=Construction|publisher=Yachtstandart.com|language=英語|accessdate=2014年7月28日}}</ref>。[[1895年]]3月21日に[[進水式|進水]]<ref>{{Cite web|url=http://www.yachtstandart.com/launch.htm|title=The Launch|publisher=Yachtstandart.com|language=英語|accessdate=2014年7月28日}}</ref>。[[1896年]]9月に竣工した<ref>{{Cite web|url=http://www.yachtstandart.com/maidentrip.htm|title=Maiden Trip|publisher=Yachtstandart.com|language=英語|accessdate=2014年7月28日}}</ref>。 |
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[[マホガニー]]のパネルが敷き詰められ、[[結晶|クリスタル]]の[[シャンデリア]]、[[ベルベット]]の[[カーテン]]が下げてあった。「世界で最も優雅な航海船」と言われたほどであった<ref name="Angelfire">{{Cite web|url=http://www.angelfire.com/pa/ImperialRussian/royalty/russia/yacht.html|title=RUSSIAN IMPERIAL YACHTS The Standart|publisher=Angelfire.com|language=英語|accessdate=2014年7月28日}}</ref>。アレクサンドル3世の後を継いだ[[ニコライ2世]]を強く意識した[[ドイツ皇帝]][[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]はほぼ同時期に建造した豪華な皇室ヨット「{{仮リンク|ホーエンツォレルン (ヨット)#2代目ホーエンツォレルン|en|SMY Hohenzollern#SMY Hohenzollern II|label=ホーエンツォレルン}}」を好んで利用して対抗した<ref>{{Cite web|url=http://www.yachtstandart.com/shipofstate.htm|title=Ship of State|publisher=Yachtstandart.com|language=英語|accessdate=2014年7月28日}}</ref>。 |
[[マホガニー]]のパネルが敷き詰められ、[[結晶|クリスタル]]の[[シャンデリア]]、[[ベルベット]]の[[カーテン]]が下げてあった。「世界で最も優雅な航海船」と言われたほどであった<ref name="Angelfire">{{Cite web|url=http://www.angelfire.com/pa/ImperialRussian/royalty/russia/yacht.html|title=RUSSIAN IMPERIAL YACHTS The Standart|publisher=Angelfire.com|language=英語|accessdate=2014年7月28日}}</ref>。アレクサンドル3世の後を継いだ[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]を強く意識した[[ドイツ皇帝]][[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]はほぼ同時期に建造した豪華な皇室ヨット「{{仮リンク|ホーエンツォレルン (ヨット)#2代目ホーエンツォレルン|en|SMY Hohenzollern#SMY Hohenzollern II|label=ホーエンツォレルン}}」を好んで利用して対抗した<ref>{{Cite web|url=http://www.yachtstandart.com/shipofstate.htm|title=Ship of State|publisher=Yachtstandart.com|language=英語|accessdate=2014年7月28日}}</ref>。 |
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皇帝一家は毎年6月の2週間はこのヨットに乗って[[フィンランド]]周辺の海岸でのんびりとクルージングを楽しみ、ニコライ2世もこれを最も気に入っていた。ヨットで島々の間を巡航し、日暮れ時には入り江に停泊した。そして、朝に目覚めた時に澄んだ青い海、黄色い砂浜、赤色の[[花崗岩]]の島々、緑が茂る森を見渡せるようになっていた<ref>{{Cite book|author=ロバート・K・マッシー(著)、 佐藤俊二 (訳)|title=ニコライ二世とアレクサンドラ皇后―ロシア最後の皇帝一家の悲劇|publisher=[[時事通信社]]|page=141|isbn=4788796430}}</ref>。皇帝一行用の[[礼拝堂]]や大広間だけでなく、乗船する[[士官]]、機関部員、[[火夫]]、[[乗組員|水夫]]、[[執事]]、船室係、[[メイド]]、[[ブラスバンド]]や[[オーケストラ]]のメンバー、護衛小隊全員のための居住空間もあった<ref name="マッシー142" >{{Cite book|author=ロバート・K・マッシー(著)、 佐藤俊二 (訳)|title=ニコライ二世とアレクサンドラ皇后―ロシア最後の皇帝一家の悲劇|page=142}}</ref>。士官のうちの何人かは皇帝一家の食卓に招待された<ref name="マッシー142" />。ニコライ2世は[[ビリヤード]]や[[ドミノ]]を士官と一緒に楽しみ、[[アレクセイ・ニコラエヴィチ (ロシア皇太子)|アレクセイ]]は遊び仲間と一緒に駆け回り、4人の[[ロシア大公女・大公妃一覧#ロシア大公女|大公女]]達([[OTMA]])は若い男性に囲まれて各所に散在した<ref name="Angelfire" />。[[坐骨神経痛]]を患っていた[[アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)|アレクサンドラ皇后]]は船から離れることが少なく、[[裁縫]]をしたり、手紙を書いたりして過ごした。娘達が大きくなると交替でアレクサンドラの話相手になったが、{{仮リンク|アンナ・ヴィルボヴァ|en|Anna Vyrubova}}が加わった[[1907年]]からは二人だけで多くの時間を過ごすようになった<ref name="マッシー142" />。[[閣僚]]や警察官は乗船を許されず、毎日[[サンクトペテルブルク]]から特使が来て報告書などの文書を届けた<ref name="マッシー142" />。 |
皇帝一家は毎年6月の2週間はこのヨットに乗って[[フィンランド]]周辺の海岸でのんびりとクルージングを楽しみ、ニコライ2世もこれを最も気に入っていた。ヨットで島々の間を巡航し、日暮れ時には入り江に停泊した。そして、朝に目覚めた時に澄んだ青い海、黄色い砂浜、赤色の[[花崗岩]]の島々、緑が茂る森を見渡せるようになっていた<ref>{{Cite book|author=ロバート・K・マッシー(著)、 佐藤俊二 (訳)|title=ニコライ二世とアレクサンドラ皇后―ロシア最後の皇帝一家の悲劇|publisher=[[時事通信社]]|page=141|isbn=4788796430}}</ref>。皇帝一行用の[[礼拝堂]]や大広間だけでなく、乗船する[[士官]]、機関部員、[[火夫]]、[[乗組員|水夫]]、[[執事]]、船室係、[[メイド]]、[[ブラスバンド]]や[[オーケストラ]]のメンバー、護衛小隊全員のための居住空間もあった<ref name="マッシー142" >{{Cite book|author=ロバート・K・マッシー(著)、 佐藤俊二 (訳)|title=ニコライ二世とアレクサンドラ皇后―ロシア最後の皇帝一家の悲劇|page=142}}</ref>。士官のうちの何人かは皇帝一家の食卓に招待された<ref name="マッシー142" />。ニコライ2世は[[ビリヤード]]や[[ドミノ]]を士官と一緒に楽しみ、[[アレクセイ・ニコラエヴィチ (ロシア皇太子)|アレクセイ]]は遊び仲間と一緒に駆け回り、4人の[[ロシア大公女・大公妃一覧#ロシア大公女|大公女]]達([[OTMA]])は若い男性に囲まれて各所に散在した<ref name="Angelfire" />。[[坐骨神経痛]]を患っていた[[アレクサンドラ・フョードロヴナ (ニコライ2世皇后)|アレクサンドラ皇后]]は船から離れることが少なく、[[裁縫]]をしたり、手紙を書いたりして過ごした。娘達が大きくなると交替でアレクサンドラの話相手になったが、{{仮リンク|アンナ・ヴィルボヴァ|en|Anna Vyrubova}}が加わった[[1907年]]からは二人だけで多くの時間を過ごすようになった<ref name="マッシー142" />。[[閣僚]]や警察官は乗船を許されず、毎日[[サンクトペテルブルク]]から特使が来て報告書などの文書を届けた<ref name="マッシー142" />。 |
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2021年6月13日 (日) 10:24時点における版
スタンダルト マルティ | ||
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スタンダルト | ||
艦歴 | ||
スタンダルト Штандарт | ||
艦種 | 皇室ヨット | |
起工 | 1893年10月1日 バーマイスター・アンド・ ウェイン | |
進水 | 1895年3月 | |
竣工 | 1896年9月 | |
所属 | ロシア帝国 | |
退役 | 1918年 | |
マルティ Марти | ||
復活 | 1936年 | |
艦種 | 機雷敷設艦 | |
所属 | ソ連海軍、赤旗勲章受章バルト艦隊 | |
解体 | 1963年 | |
要目 | ||
艦種 | 皇室ヨット | |
艦級 | 「スタンダルト」級 | |
排水量 | 5557 t | |
全長 | 128 m | |
全幅 | 15.8 m | |
喫水 | 6.00 m | |
機関 | 三連成蒸気機関2基 | |
速力 | 21.18 kn | |
乗員 | 355 名 |
スタンダルト(ロシア語: Штандарт)は、ロシア帝国の皇室ヨットである。最後のロシア皇帝ニコライ2世が所有していたヨットの中でも最大規模のものであった。第一次世界大戦の勃発後に乾ドック入りしたが、1936年に機雷敷設艦となり、第二次世界大戦中はレニングラード防衛で重要な役割を担った。
歴史
皇室ヨット
「スタンダルト」はロシア皇帝アレクサンドル3世の命を受けてデンマークの造船所バーマイスター・アンド・ ウェインが1893年10月1日から建造を開始した[1]。1895年3月21日に進水[2]。1896年9月に竣工した[3]。
マホガニーのパネルが敷き詰められ、クリスタルのシャンデリア、ベルベットのカーテンが下げてあった。「世界で最も優雅な航海船」と言われたほどであった[4]。アレクサンドル3世の後を継いだニコライ2世を強く意識したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はほぼ同時期に建造した豪華な皇室ヨット「ホーエンツォレルン」を好んで利用して対抗した[5]。
皇帝一家は毎年6月の2週間はこのヨットに乗ってフィンランド周辺の海岸でのんびりとクルージングを楽しみ、ニコライ2世もこれを最も気に入っていた。ヨットで島々の間を巡航し、日暮れ時には入り江に停泊した。そして、朝に目覚めた時に澄んだ青い海、黄色い砂浜、赤色の花崗岩の島々、緑が茂る森を見渡せるようになっていた[6]。皇帝一行用の礼拝堂や大広間だけでなく、乗船する士官、機関部員、火夫、水夫、執事、船室係、メイド、ブラスバンドやオーケストラのメンバー、護衛小隊全員のための居住空間もあった[7]。士官のうちの何人かは皇帝一家の食卓に招待された[7]。ニコライ2世はビリヤードやドミノを士官と一緒に楽しみ、アレクセイは遊び仲間と一緒に駆け回り、4人の大公女達(OTMA)は若い男性に囲まれて各所に散在した[4]。坐骨神経痛を患っていたアレクサンドラ皇后は船から離れることが少なく、裁縫をしたり、手紙を書いたりして過ごした。娘達が大きくなると交替でアレクサンドラの話相手になったが、アンナ・ヴィルボヴァが加わった1907年からは二人だけで多くの時間を過ごすようになった[7]。閣僚や警察官は乗船を許されず、毎日サンクトペテルブルクから特使が来て報告書などの文書を届けた[7]。
1907年にフィヨルドを巡航中に岩に衝突して座礁した。損傷を受けたがヨットは沈まず、すぐに修理された[4]。
皇帝一家が第一次世界大戦の引き金となるサラエボ事件のニュースを知ったのはこのヨットの中であったが、ニコライ2世も首都に残った閣僚達も戦争の導火線になるとは考えなかったので、そのまま滞在を続けた[8]。
機雷敷設艦
第一次世界大戦の勃発後に乾ドック入りしたが、ソ連海軍の機雷敷設艦「マルティ」としてレニングラードに配置された[4]。第二次世界大戦中はバルト海に機雷を敷設し、ドイツ海軍の侵攻からレニングラードを防衛するために、沿岸で砲撃を行った[4]。
第二次世界大戦後は航海練習船になり、1957年に「オカ」に船名が改名された。1963年に廃棄されるまでエストニアのタリンでその役割を務め続けた[4]。
皇室ヨット時代の写真
脚注
- ^ “Construction” (英語). Yachtstandart.com. 2014年7月28日閲覧。
- ^ “The Launch” (英語). Yachtstandart.com. 2014年7月28日閲覧。
- ^ “Maiden Trip” (英語). Yachtstandart.com. 2014年7月28日閲覧。
- ^ a b c d e f “RUSSIAN IMPERIAL YACHTS The Standart” (英語). Angelfire.com. 2014年7月28日閲覧。
- ^ “Ship of State” (英語). Yachtstandart.com. 2014年7月28日閲覧。
- ^ ロバート・K・マッシー(著)、 佐藤俊二 (訳). ニコライ二世とアレクサンドラ皇后―ロシア最後の皇帝一家の悲劇. 時事通信社. p. 141. ISBN 4788796430
- ^ a b c d ロバート・K・マッシー(著)、 佐藤俊二 (訳). ニコライ二世とアレクサンドラ皇后―ロシア最後の皇帝一家の悲劇. p. 142
- ^ ロバート・K・マッシー(著)、 佐藤俊二 (訳). ニコライ二世とアレクサンドラ皇后―ロシア最後の皇帝一家の悲劇. p. 217