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「彼らは7人」の版間の差分

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'''『彼らは7人』'''({{lang-ru|Семеро их}}) [[作品番号|作品]]30は、[[セルゲイ・プロコフィエフ]]が1917年に作曲した[[カンタータ]]。大[[管弦楽|オーケストラ]]、[[合唱]]、ドラマティック・[[テノール]]のための作品である。詞は[[コンスタンチン・バリモント]]の詩『{{lang|ru|Зовы древности}}』から採られており、作曲は{{仮リンク|エッセントゥキ|en|Yessentuki}}と[[キスロヴォツク]]で進められた<ref name="SFSymphony">{{cite web |url=http://www.sfsymphony.org/templates/pgmnote.asp?nodeid=4242&callid=792 |title=Sergei Sergeievich Prokofiev |access-date=2007-07-18 |author=San Francisco Symphony |author-link=San Francisco Symphony |work=Program notes |archive-url = https://web.archive.org/web/20070929092601/http://www.sfsymphony.org/templates/pgmnote.asp?nodeid=4242&callid=792 <!-- Bot retrieved archive --> |archive-date = 2007-09-29}}</ref>。1933年に作曲者自身によって改訂を施されている<ref name="SFSymphony"/>。
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本作が作曲された年には[[ロシア皇帝]][[ニコライ2世]]が退位させられている。これに引き続く形で[[ロシア内戦]]が勃発し、『彼らは7人』がようやく初演されたのは1924年の[[パリ]]で、[[セルゲイ・クーセヴィツキー]]の[[指揮 (音楽)|指揮]]による演奏だった<ref name="Classical_Source">{{cite web |url=http://www.classicalsource.com/db_control/db_concert_review.php?id=4358 |title=LSO/Gergiev – The Rite of Spring |access-date=2007-07-18 |last=Ball |first=Timothy }}</ref>。ロシアでの初演が行われたのは1956年、プロコフィエフの死後のことだった<ref name="Classical_Source"/>。
本作が作曲された年には[[ロシア皇帝]][[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]が退位させられている。これに引き続く形で[[ロシア内戦]]が勃発し、『彼らは7人』がようやく初演されたのは1924年の[[パリ]]で、[[セルゲイ・クーセヴィツキー]]の[[指揮 (音楽)|指揮]]による演奏だった<ref name="Classical_Source">{{cite web |url=http://www.classicalsource.com/db_control/db_concert_review.php?id=4358 |title=LSO/Gergiev – The Rite of Spring |access-date=2007-07-18 |last=Ball |first=Timothy }}</ref>。ロシアでの初演が行われたのは1956年、プロコフィエフの死後のことだった<ref name="Classical_Source"/>。


楽曲が付された詩は[[紀元前3千年紀]]の[[メソポタミア]]の寺院から出土した[[楔形文字]]をロシア語へ翻訳したものであった。詩の中では元素を操る力を持つ7人の悪魔的な神と、彼らの持つ力のことが語られている<ref name="Classical_Source"/>。[[テッド・ヒューズ]]と[[シェイマス・ヒーニー]]が編纂した1982年の詩選集『The Rattle Bag』には<ref>[Faber、1982年]</ref>、この詩の英訳版が掲載されている。
楽曲が付された詩は[[紀元前3千年紀]]の[[メソポタミア]]の寺院から出土した[[楔形文字]]をロシア語へ翻訳したものであった。詩の中では元素を操る力を持つ7人の悪魔的な神と、彼らの持つ力のことが語られている<ref name="Classical_Source"/>。[[テッド・ヒューズ]]と[[シェイマス・ヒーニー]]が編纂した1982年の詩選集『The Rattle Bag』には<ref>[Faber、1982年]</ref>、この詩の英訳版が掲載されている。

2021年6月13日 (日) 10:31時点における版

『彼らは7人』ロシア語: Семеро их) 作品30は、セルゲイ・プロコフィエフが1917年に作曲したカンタータ。大オーケストラ合唱、ドラマティック・テノールのための作品である。詞はコンスタンチン・バリモントの詩『Зовы древности』から採られており、作曲はエッセントゥキキスロヴォツクで進められた[1]。1933年に作曲者自身によって改訂を施されている[1]

本作が作曲された年にはロシア皇帝ニコライ2世が退位させられている。これに引き続く形でロシア内戦が勃発し、『彼らは7人』がようやく初演されたのは1924年のパリで、セルゲイ・クーセヴィツキー指揮による演奏だった[2]。ロシアでの初演が行われたのは1956年、プロコフィエフの死後のことだった[2]

楽曲が付された詩は紀元前3千年紀メソポタミアの寺院から出土した楔形文字をロシア語へ翻訳したものであった。詩の中では元素を操る力を持つ7人の悪魔的な神と、彼らの持つ力のことが語られている[2]テッド・ヒューズシェイマス・ヒーニーが編纂した1982年の詩選集『The Rattle Bag』には[3]、この詩の英訳版が掲載されている。

出典

  1. ^ a b San Francisco Symphony. “Sergei Sergeievich Prokofiev”. Program notes. 2007年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年7月18日閲覧。
  2. ^ a b c Ball, Timothy. “LSO/Gergiev – The Rite of Spring”. 2007年7月18日閲覧。
  3. ^ [Faber、1982年]

外部リンク