「沼崎山遺跡」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
35行目: | 35行目: | ||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
* [[長根浦貝塚]] |
* [[長根浦貝塚]] |
||
* [[北海道・東北の史跡一覧]] |
* [[北海道・東北地方の史跡一覧]] |
||
==外部リンク== |
==外部リンク== |
2021年6月20日 (日) 01:21時点における版
沼崎山遺跡(ぬまさきやまいせき)は、宮城県登米市豊里町に所在する縄文時代、平安時代、中世にわたる複合遺跡である。1977年(昭和52年)3月20日、当時の豊里町指定史跡に指定され[1]、市町村合併による登米市発足後も引き続き同市指定史跡に指定されている[2]。
座標: 北緯38度35分20.6秒 東経141度15分5.5秒 / 北緯38.589056度 東経141.251528度
概要
登米市豊里町の北東部にある標高約100mの丘陵が続く地域の南西端に立地する、標高約26m、水田面との比高が約10mの水田、畑、墓地、山林となっていた豊里町統合小学校建設予定地内の校舎建設部分および工事用道路部分を、1978年(昭和53年)10月から12月にかけて、宮城県教育庁文化財保護課が面積約5,400㎡の発掘調査した結果、経塚、竪穴住居跡、掘立柱建物跡、焼土遺構、土壙、井戸跡、溝、ピット群が発見された[3]。
竪穴住居跡
竪穴住居跡は6軒、丘陵の東および南斜面に作られていた。平面形は方形を基調としており、規模は、軸が2m前後の小さいものと、7mに達する大きなものがあった。いずれの住居跡も周溝がめぐり、カマドが付設されていた。平安時代のものと推定されている[3]。
掘立柱建物跡
掘立柱建物跡は5棟、大きな方形の掘り方をもつものが2棟あった[3]。
焼土遺構
焼土遺構は1基で、平面形は、長軸1.8m、短軸0.8mの南北に長い長方形、残存壁高は約10cmであった。堆積土中から、土師器片、須恵器片が出土した[3]。
その他の遺構
- 土壙が7基、そのうちの3基は、縄文時代のものと推定されている。
- 平面が円形の素掘りの井戸跡が3基
- 溝が8本
所在地
- 〒987-0357 宮城県登米市豊里町蕪木90-1
アクセス
- 三陸自動車道桃生豊里インターチェンジから車で7分
- 東日本旅客鉄道陸前豊里駅から、徒歩10分[1]
脚注
- ^ a b 日本観光振興協会
- ^ 登米市/教育委員会・文化財一覧
- ^ a b c d 宮城県教育庁文化財保護課