「能登国分寺」の版間の差分
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2021年6月20日 (日) 01:48時点における版
能登国分寺公園 | |
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分類 | 史跡公園 |
所在地 |
七尾市国分町リ部9 |
座標 | 北緯37度1分30.0秒 東経136度57分27.0秒 / 北緯37.025000度 東経136.957500度座標: 北緯37度1分30.0秒 東経136度57分27.0秒 / 北緯37.025000度 東経136.957500度 |
設備・遊具 | 展示館 |
駐車場 | 120台 |
能登国分寺(のとこくぶんじ)は、かつて能登国(石川県七尾市)に存在した仏教寺院。
概要
能登国の国分寺は定額寺の大興寺を前身とする。大興寺はこの地方を支配した能登臣(のとのおみ)の一族により、飛鳥時代末期に建てられた。
843年(承和10年)、能登国司に赴任した春枝王により、大興寺を国分寺に昇格。741年(天平13年)に聖武天皇が国分寺建立の詔を発布してから約100年経てからの建立であった。
882年(元慶6年)、雷による火災に遭い、1532年(天文元年)、畠山義総が米一石を寄進している[1]。
大正時代に発掘調査が開始され、1970年(昭和45年)から本格的な調査が行われた。
1974年(昭和49年)に寺域南方の建物群跡を含め「能登国分寺跡 附建物群跡」として国の史跡に指定された[2]。寺跡は史跡公園として整備され、1992年(平成4年)に能登国分寺公園として開園した。公園内には南門と塀の一部が復元され、中門、金堂、五重塔、講堂、回廊などの跡が表示されている。また、出土品や復元模型などを展示する能登国分寺展示館がある。
交通アクセス
脚注
- ^ かみゆ歴史編集部『国分寺を歩く』イカロス出版 p116-p118、能登国分寺展示館・展示
- ^ “末松廃寺跡・能登国分寺跡 附建物群跡・東大寺領横江荘遺跡 荘家跡・上荒屋遺跡”. 石川県 (2012年10月16日). 2013年4月3日閲覧。
関連項目
周辺
- 千野廃寺 - 国分尼寺か役所とされる
- 能登国総社
外部リンク
- 能登国分寺跡 附建物群跡 - 財団法人石川県埋蔵文化財センター