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「ポクロフスク」の版間の差分

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==概要==
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[[1682年]]、[[東シベリア]]に進出した[[コサック]]により[[ヤクート]]の反乱が鎮圧された後、カラウルニー・ミース({{lang|ru|Карау́льный Мыс}})という砦が築かれた。やがて農民や教会が進出し、後にポクロフスコエ村({{lang|ru|Покро́вское}})となり、[[1941年]]にはポクロフスクに改称され、[[1998年]]には市となっている。
[[1682年]]、[[東シベリア]]に進出した[[コサック]]により[[ヤクート]]の反乱が鎮圧された後、カラウルニー・ミース({{lang|ru|Карау́льный Мыс}})という砦が築かれた。やがて農民や教会が進出し、後にポクロフスコエ村({{lang|ru|Покро́вское}})となり、[[1941年]]にはポクロフスクに改称され、[[1998年]]には市となっている。


==産業==
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==観光==
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[[1962年]]には博物館が開設され、[[1992年]]には[[ヤクート]]初の[[歴史学]]・[[民族誌]]・[[民俗学]]の研究者であり[[ヨシフ・スターリン]]体制下の[[大粛清]]で犠牲になったガヴリール・クセノフォントフの名が付けられた。
[[1962年]]には博物館が開設され、[[1992年]]には[[ヤクート]]初の[[歴史学]]・[[民族誌]]・[[民俗学]]の研究者であり[[ヨシフ・スターリン]]体制下の[[大粛清]]で犠牲になったガヴリール・クセノフォントフの名が付けられた。
レナ川の対岸の村にはレナ・ニコルスキー教会がある。また周囲には考古学遺跡や岩に描かれた[[壁画]]などが散在する。レナ川を上流に50km遡った右岸には[[柱状節理]]([[レナ石柱自然公園]])が100kmにわたり連なっており、[[クルーズ]]船がヤクーツクからも運航している。
レナ川の対岸の村にはレナ・ニコルスキー教会がある。また周囲には考古学遺跡や岩に描かれた[[壁画]]などが散在する。レナ川を上流に50km遡った右岸には[[柱状節理]]([[レナ石柱自然公園]])が100kmにわたり連なっており、[[クルーズ]]船がヤクーツクからも運航している。



2021年6月28日 (月) 21:41時点における版

ポクロフスク (Pokrovsk、ロシア語: Покро́вск)は、ロシアサハ共和国にある都市である。中央ヤクート平野の南部の低地帯に位置しレナ川の左岸にあり、ヤクーツクからは78km南西にある。

概要

1682年東シベリアに進出したコサックによりヤクート人の反乱が鎮圧された後、カラウルニー・ミース(Карау́льный Мыс)という砦が築かれた。やがて農民や教会が進出し、後にポクロフスコエ村(Покро́вское)となり、1941年にはポクロフスクに改称され、1998年には市となっている。

産業

ポクロフスクは農業林業と建築業が主な産業である。ロシア北方の農業の中心で、穀物・野菜・畜産や毛皮動物の飼育が行われ、農業研究所も設置されている。

観光

1962年には博物館が開設され、1992年にはヤクート人初の歴史学民族誌民俗学の研究者でありヨシフ・スターリン体制下の大粛清で犠牲になったガヴリール・クセノフォントフの名が付けられた。 レナ川の対岸の村にはレナ・ニコルスキー教会がある。また周囲には考古学遺跡や岩に描かれた壁画などが散在する。レナ川を上流に50km遡った右岸には柱状節理レナ石柱自然公園)が100kmにわたり連なっており、クルーズ船がヤクーツクからも運航している。

座標: 北緯61度29分 東経129度9分 / 北緯61.483度 東経129.150度 / 61.483; 129.150