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『PartIII』終了後、弟子筋にあたる[[こだま兼嗣]]が監督を務める『[[ロボタン]]』などに参加。[[1987年]]には、こだまが監督を手がけることとなった『[[シティーハンター (アニメ)|シティーハンター]]』に一部を除き「港野洋介」という名前で参加し、第二の代表作となる。この作品では、キャラクターデザインの[[神村幸子]]、総作画監督の[[北原健雄]]など『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』の主力メンバーが参加しており、青木は前半期のオープニングとエンディングの演出を担当。当時のプロデューサーである[[植田益朗]]によると、青木は絵コンテを(オープニングとエンディング)同時に一週間で仕上げたといい、クオリティーもスケジュールも「本当に助かった」と述べている<ref>[https://twitter.com/mastin55/status/1080651138649583618 植田本人のツイート(2019年1月3日)] - [[Twitter]]</ref>。本編においてはクレジットこそないものの、役割としてはほぼ助監督での待遇であり、製作する上でこだま兼嗣を支える形となった。槇村香や野上冴子といった重要人物が初登場するエピソードでの演出(絵コンテ)を担当したり、最終回の前後編ではこだま兼嗣と役割を分担しながら仕上げるなど活躍。本作品において演出家として初めて「構成」を担当したのも青木である。また、メカデザインとして参加した[[明貴美加]]がガンダムシリーズの経験しかなく、経験不足を補うために一部メカデザイン(ヘリコプター、車、銃器など)を分担して手がけていたともされている。
『PartIII』終了後、弟子筋にあたる[[こだま兼嗣]]が監督を務める『[[ロボタン]]』などに参加。[[1987年]]には、こだまが監督を手がけることとなった『[[シティーハンター (アニメ)|シティーハンター]]』に一部を除き「港野洋介」という名前で参加し、第二の代表作となる。この作品では、キャラクターデザインの[[神村幸子]]、総作画監督の[[北原健雄]]など『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』の主力メンバーが参加しており、青木は前半期のオープニングとエンディングの演出を担当。当時のプロデューサーである[[植田益朗]]によると、青木は絵コンテを(オープニングとエンディング)同時に一週間で仕上げたといい、クオリティーもスケジュールも「本当に助かった」と述べている<ref>[https://twitter.com/mastin55/status/1080651138649583618 植田本人のツイート(2019年1月3日)] - [[Twitter]]</ref>。本編においてはクレジットこそないものの、役割としてはほぼ助監督での待遇であり、製作する上でこだま兼嗣を支える形となった。槇村香や野上冴子といった重要人物が初登場するエピソードでの演出(絵コンテ)を担当したり、最終回の前後編ではこだま兼嗣と役割を分担しながら仕上げるなど活躍。本作品において演出家として初めて「構成」を担当したのも青木である。また、メカデザインとして参加した[[明貴美加]]がガンダムシリーズの経験しかなく、経験不足を補うために一部メカデザイン(ヘリコプター、車、銃器など)を分担して手がけていたともされている。


『シティーハンター』から『[[シティーハンター (アニメ)|シティーハンター'91]]』までのテレビシリーズすべてに参加する中で、演出家の[[江上潔]]との交流を深めた青木は、江上も参加した『[[クッキングパパ]]』や、江上が監督を務めた『[[BOY (漫画)|HARELUYA II BØY]]』に参加。[[2008年]]放送の『[[ヤッターマン (2008年のテレビアニメ)|ヤッターマン]]』では江上が[[絵コンテ]]を担当した第40話に原画で参加している。
『シティーハンター』から『[[シティーハンター (アニメ)|シティーハンター'91]]』までのテレビシリーズすべてに参加する中で、演出家の[[江上潔]]との交流を深めた青木は、江上も参加した『[[クッキングパパ]]』や、江上が監督を務めた『[[BØY|HARELUYA II BØY]]』に参加。[[2008年]]放送の『[[ヤッターマン (2008年のテレビアニメ)|ヤッターマン]]』では江上が[[絵コンテ]]を担当した第40話に原画で参加している。


ルパン関連では『PartIII』の後に、[[モンキー・パンチ]]原作のテレビアニメ『おまかせスクラッパーズ』にて演出と作画監督を、同じくモンキー原作の『[[アリス・ザ・ワイルド]]』をほぼ原作どおりにアニメ化したOVA『アリス 〜モンキーパンチの世界〜』では監督を務めている。
ルパン関連では『PartIII』の後に、[[モンキー・パンチ]]原作のテレビアニメ『おまかせスクラッパーズ』にて演出と作画監督を、同じくモンキー原作の『[[アリス・ザ・ワイルド]]』をほぼ原作どおりにアニメ化したOVA『アリス 〜モンキーパンチの世界〜』では監督を務めている。
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* [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](1996年-2008年頃、絵コンテ・構成)
* [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](1996年-2008年頃、絵コンテ・構成)
* [[わんころべえ]](1996年-1997年、絵コンテ)
* [[わんころべえ]](1996年-1997年、絵コンテ)
* [[BOY (漫画)|HARELUYA II BØY]](1997年、絵コンテ・演出・作画監督・原画)
* [[BØY|HARELUYA II BØY]](1997年、絵コンテ・演出・作画監督・原画)
* [[突撃!パッパラ隊]](1998年-1999年、絵コンテ)
* [[突撃!パッパラ隊]](1998年-1999年、絵コンテ)
* [[BOYS BE…]](2000年、原画)※第2話のみ
* [[BOYS BE…]](2000年、原画)※第2話のみ

2021年7月3日 (土) 01:41時点における版

青木 悠三(あおき ゆうぞう)は、日本アニメーター青木雄三港野洋介という名前を使うこともある。神奈川県出身。Aプロダクションからフリーを経てDREAM MOVEに所属。『ルパン三世』や『シティーハンター』で活躍したことで知られる。東京ムービー系の作品を多く手がけている。

略歴・人物

過去には、雑誌『COM』の読者投稿コーナー「ぐら・こん」に投稿を行ったことがある。

1969年Aプロダクションに原画試験を経て所属。同時に原画試験を受けた本多敏行はこの時、与えられたテーマ(跳び箱、ルパンのガンアクション、女の子が石を持ち上げる)を青木があっという間に仕上げる様を見て「天才」と評している[1][2]

1971年、『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』に19歳の若さで原画として参加[3]。その腕前は、作画監督大塚康生が「ルパンの愛車、フェラーリ12気筒搭載ベンツSSKの作画は難しすぎて自分と青木にしか描けない」と言わしめたほどであり[4]、「天才中の天才」と言ったこともあるという[3]

その後は『侍ジャイアンツ』など東京ムービーとAプロダクションが手がける作品に参加する一方、東映和光プロが制作する『激走!ルーベンカイザー』では絵コンテ、演出を、また日本サンライズが制作した『無敵超人ザンボット3』では1話Bパートのほとんどを手がけるなど、東京ムービーとは違う制作会社の作品にも参加した。

ルパン三世 (TV第2シリーズ)』では27本の絵コンテを担当。作画にも積極的に参加し、「モロッコの風は熱く」では1人原画に挑んでいる。中期にさしかかると、前後編で構成された「私の愛したルパン」銭形警部のエピソード「父っつあんの惚れた女」などの絵コンテや作画を担当し、シリーズの底上げに貢献。シリーズ後半には浦沢義雄脚本回の絵コンテ・ゲストキャラクターデザインを担当、浦沢と青木によって作られスラップスティックに徹したエピソードは後に、ブロードウェイシリーズと呼ばれるようになった[5]。また、クレジット表記こそ無いものの、「ドロボウ交響曲を鳴らせ」や「ベールをはいだメッカの秘宝」など作画に参加しているエピソードもある。

『TV第2シリーズ』放送当時に劇場公開された『ルパン三世 ルパンVS複製人間』では、中盤のカーアクションを担当。なお、作画監督と記載されているのは、作中での作画修正を担当したわけではなく、青木が担当したパートが非常に長いためである。

『TV第2シリーズ』終了後は、メカデザインや演出などを本格的に手がけるようになる。また『おはよう!スパンク』『太陽の使者 鉄人28号』や『六神合体ゴッドマーズ』では終盤までコンスタントに演出を担当。『とんでモン・ペ』ではオープニングアニメーションを手がけ、『うる星やつら』や『魔法の天使クリィミーマミ』といったスタジオぴえろの作品にも参加をするようになる。

1984年、『ルパン三世 PartIII』では作画監修という役職につき基本デザインを立ち上げる。第1話では演出を担当し、原作路線回帰への道標を作り上げた。当作でルパン三世のジャケットはピンクであるが、これは青木の案である[6]

1985年には『PartIII』に合わせて映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』が公開。青木はテレビ用に作り上げていたキャラデザインをリファインした後、全体的なレイアウトと作画のチェックを担当。尾鷲英俊OH!プロダクションのメンバーがテレビシリーズと掛け持ちし、柳野龍男はバビロンの大部分の作画を担当という急ピッチの作業で作られた。

『PartIII』終了後、弟子筋にあたるこだま兼嗣が監督を務める『ロボタン』などに参加。1987年には、こだまが監督を手がけることとなった『シティーハンター』に一部を除き「港野洋介」という名前で参加し、第二の代表作となる。この作品では、キャラクターデザインの神村幸子、総作画監督の北原健雄など『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』の主力メンバーが参加しており、青木は前半期のオープニングとエンディングの演出を担当。当時のプロデューサーである植田益朗によると、青木は絵コンテを(オープニングとエンディング)同時に一週間で仕上げたといい、クオリティーもスケジュールも「本当に助かった」と述べている[7]。本編においてはクレジットこそないものの、役割としてはほぼ助監督での待遇であり、製作する上でこだま兼嗣を支える形となった。槇村香や野上冴子といった重要人物が初登場するエピソードでの演出(絵コンテ)を担当したり、最終回の前後編ではこだま兼嗣と役割を分担しながら仕上げるなど活躍。本作品において演出家として初めて「構成」を担当したのも青木である。また、メカデザインとして参加した明貴美加がガンダムシリーズの経験しかなく、経験不足を補うために一部メカデザイン(ヘリコプター、車、銃器など)を分担して手がけていたともされている。

『シティーハンター』から『シティーハンター'91』までのテレビシリーズすべてに参加する中で、演出家の江上潔との交流を深めた青木は、江上も参加した『クッキングパパ』や、江上が監督を務めた『HARELUYA II BØY』に参加。2008年放送の『ヤッターマン』では江上が絵コンテを担当した第40話に原画で参加している。

ルパン関連では『PartIII』の後に、モンキー・パンチ原作のテレビアニメ『おまかせスクラッパーズ』にて演出と作画監督を、同じくモンキー原作の『アリス・ザ・ワイルド』をほぼ原作どおりにアニメ化したOVA『アリス 〜モンキーパンチの世界〜』では監督を務めている。

2000年代以降は『名探偵コナン』の絵コンテ、『ポポロクロイス』の絵コンテ・デザインワークスや、スポットとして『PEACE MAKER 鐵』『鉄人28号(今川泰宏監督版)』の原画に参加。『ソウルイーター』『こんにちは アン 〜Before Green Gables』などにも原画として参加した後、近年は一線を退いている模様。

エピソード

長年参加したルパン三世シリーズについて『PartIII』放送直前にインタビューに答え、それまでのキャラクターデザインは「どなたの絵もそれぞれに好きだし、影響させてもらいました」と語っている。また、ルパンの作品自体は「ああいう4人組が、東西対立とかでもめるせちがらい世界にもしかしたらどこかで本当に生きているんじゃないかって考えると楽しい。好きですね。そういう意味ではああいうキャラクター考えて物語にしてしまった原作者もすごいと思うし、スケールの大きいキャラクターですよね。ただ、あんまり長くつきあってきたんで、やめたいという気持ちともからんで複雑です(笑)」と述べている[8]

本人曰く、キャラクターが頭の中で生きてくるとイメージが勝手に動き出して表情を作っていく状態になると本調子だという[8]

参加作品

テレビアニメ

OVA

劇場アニメ

その他

出典

  1. ^ ★シンエイ藤子アニメ 24 周年記念スペシャルインタビュー
  2. ^ 『ドラえもん』の初映画作品の作画監督!ちばてつやのアニメ最新作も作ったスゴい人!”. 日刊スゴい人! (2017年12月6日). 2020年10月7日閲覧。
  3. ^ a b もっとアニメを観よう 第4回 井上・今石・小黒座談会(4)”. WEBアニメスタイル. 2020年10月7日閲覧。
  4. ^ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文藝春秋〈文春ジブリ文庫〉、2013年。ISBN 978-4168122002 
  5. ^ 小黒祐一郎. “アニメ様365日 第12回『ルパン三世[新]』”. WEBアニメスタイル. 2020年10月7日閲覧。
  6. ^ 小黒祐一郎. “アニメ様365日 第200回『ルパン三世 PARTIII』”. WEBアニメスタイル. 2020年10月7日閲覧。
  7. ^ 植田本人のツイート(2019年1月3日) - Twitter
  8. ^ a b 「独占「ルパン三世・パート3」のキャラはこれだ!!」『ジ・アニメ VOL.49』、近代映画社、1983年12月。 
  9. ^ 鉄人28号”. トムス・エンタテインメント. 2016年6月1日閲覧。

外部リンク