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== 歴史 ==
== 歴史 ==
現在のグルノーブルは、3世紀に[[ケルト人|ケルト]]系のアッロブロゲース族<!--Allobroges、表記不確か-->が居住していた時には"Cularo"という名前であった。380年に[[グラティアヌス]]がこの地を訪れた後には"Gratianopolis"という名前で知られるようになる。[[ローマ帝国]]の崩壊後、この都市は[[ブルグント王国]]の支配下に入り、その後[[フランク王国]]の[[クロタール1世]]によって征服された。なお、[[小惑星番号]]7462の[[グルノーブル (小惑星)|グルノーブル]]は、この都市に因んで命名された。
現在のグルノーブルは、3世紀に[[ケルト人|ケルト]]系のアッロブロゲース族<!--Allobroges、表記不確か-->が居住していた時には"Cularo"という名前であった。380年に[[グラティアヌス]]がこの地を訪れた後には"Gratianopolis"という名前で知られるようになる。[[ローマ帝国]]の崩壊後、この都市は[[ブルグント王国]]の支配下に入り、その後[[フランク王国]]の[[クロタール1世 (フランク王)|クロタール1世]]によって征服された。なお、[[小惑星番号]]7462の[[グルノーブル (小惑星)|グルノーブル]]は、この都市に因んで命名された。


== スポーツ ==
== スポーツ ==

2021年7月24日 (土) 21:49時点における版

Grenoble


行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) イゼール県
(県庁所在地)
(arrondissement) グルノーブル
(郡庁所在地)
小郡 (canton) 6小郡庁所在地
INSEEコード 38185
郵便番号 38000,38100
市長任期 エリック・ピオル
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) Grenoble Alpes Métropole
人口動態
人口 158346人
2012年
人口密度 8734人/km2
住民の呼称 Grenoblois ,Grenobloises
地理
座標 北緯45度11分16秒 東経5度43分37秒 / 北緯45.187778度 東経5.726945度 / 45.187778; 5.726945座標: 北緯45度11分16秒 東経5度43分37秒 / 北緯45.187778度 東経5.726945度 / 45.187778; 5.726945
標高 平均:213 m
最低:204 m
最高:475 m
面積 18,13km2 (4 194ha)
Grenobleの位置(フランス内)
Grenoble
Grenoble
公式サイト http://www.grenoble.fr/
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グルノーブルGrenoble)は、フランスの南東部に位置する都市イゼール県県庁所在地であり、パリからの所要時間は直通のTGVで約3時間である。リヨンからは約100kmで、フランス国鉄TERにより結ばれている。

地理

グルノーブル市街地を流れるイゼール川
バスティーユ城砦(左)とロープウェイ

アルプス山脈の麓、イゼール川沿いに位置し、周囲を大きな岩山で囲まれている。岩山を刳り貫いたバスティーユ城砦へは、イゼール川を跨ぐロープウェイで行くこともできる。

歴史

現在のグルノーブルは、3世紀にケルト系のアッロブロゲース族が居住していた時には"Cularo"という名前であった。380年にグラティアヌスがこの地を訪れた後には"Gratianopolis"という名前で知られるようになる。ローマ帝国の崩壊後、この都市はブルグント王国の支配下に入り、その後フランク王国クロタール1世によって征服された。なお、小惑星番号7462のグルノーブルは、この都市に因んで命名された。

スポーツ

学術

高等教育機関や研究機関が多い。

2016年より、グルノーブル第一大学・グルノーブル第二大学・グルノーブル第三大学は統合され、現在はグルノーブルアルプス大学 (Université Grenoble-Alpes) となった。

姉妹都市

関係者

出身者

居住その他ゆかりある人物

関連項目

脚注

  1. ^ JHFハンググライディング競技委員会、世界戦・日選の歴史、World Championships、第2回
  2. ^ 学園都市50年で式典 理念回顧、発展誓う 茨城新聞 2013年11月13日(2013年12月25日閲覧)
  3. ^ 京大法学部を経て1965年に大蔵省入省後、グルノーブル大学に派遣留学。プラザ合意時に竹下登蔵相副財務官ジェトロ理事や横浜税関長を経て、立命館アジア太平洋大学学部長、浜松学院大学初代学長(プロフィール HMV&BOOKS、栗林良光「大蔵省権力人脈」講談社文庫、1994年 P229 などを参照)。