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'''岩井 寿史'''(いわい ひさし、[[1955年]] - )は、[[日本]]の[[陸上競技]]選手である。専門は[[十種競技]]。[[群馬県]]出身。1970年代後半から1980年代前半にかけて活躍した。
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2021年8月1日 (日) 05:32時点における版

岩井 寿史(いわい ひさし、1955年 - )は、日本陸上競技選手である。専門は十種競技群馬県出身。1970年代後半から1980年代前半にかけて活躍した。

経歴

群馬県立富岡高等学校順天堂大学を卒業。1977年、日本選手権で7207点をマークして優勝。1978年(昭和53年)、日本選手権を7184点で制し、アジア大会代表に選出。タイバンコクで開催された第8回アジア大会陸上競技男子十種競技に日本代表として出場し、当時の世界でトップレベルだった中国インドの選手を退け、7003点をマークし、優勝した。

アジア大会優勝秘話

棒高跳の競技中に右足かかとを骨折し、まともに競技ができる状態ではなかったが、痛み止めの注射を打ち、精神力で残りの競技を行った。最終種目の1500mを終えると、自力では立てない状態であったという。この岩井のファイトに、バンコクの観衆は大歓声で応えたという。引退後は群馬県公立高校教員となる。