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2021年8月1日 (日) 06:08時点における版

風見 律子(かざみ りつこ、本名:鈴木律子、1961年12月16日[1][2] - )は日本の元女優歌手作詞家。旧芸名は「風見 りつ子」(読み同じ)。

略歴・人物

東京都出身[1]。身長155cm[2]

父が芸能プロダクション関係者だったこともあって、子供の頃から芸能界は身近に思っていたという[1]玉川学園高等部時代、英語劇に出演した時に、芝居に興味を持ち、玉川大学進学を機に女優としてデビュー[1]。大学では文学部芸術学科演劇専攻に在籍[1]。デビュー作は1980年のテレビドラマ『虹子の冒険』(テレビ朝日[2]。もともとは志願して芸映に所属し、女優として活動。風見律子は芸名であり、芸名は当時芸映の先輩だった西城秀樹からもらった[1]1985年に歌手としてシングル『炎のくちづけ』でデビュー。その後作詞家としても活躍したが、1989年以降の活動は不明。

出演

テレビドラマ

ラジオ

CM

ディスコグラフィ

シングル

  • 炎のくちづけ/TOO YOUNGの思い出(1985.4.21、日本コロムビア)
  • アバンチュールはゴージャスに/恋の最終便(1985.12.21、東芝EMI)
  • アヴァンチュリエ/フレンチビールを飲みほして(1986.8.22、東芝EMI)
  • ペルシャの涙/まわり道(1987.6.21、東芝EMI)

アルバム

  • Kiss Of Fire(1985.4.21、日本コロムビア)※近田春夫が全面的にプロデュース
  • アヴァンチュリエ(1986.8.22、東芝EMI)
  • ヌヴェル (1987.7.5、東芝EMI)

楽曲提供

脚注

  1. ^ a b c d e f GORO 1981年3月26日号巻末『ニューアイドルにアタック』
  2. ^ a b c d ラジオパラダイス 1988年10月号『お答えしませう』(p.117)