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芳本美代子

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

よしもと みよこ
芳本 美代子
生年月日 (1969-03-18) 1969年3月18日(55歳)
出生地 日本の旗 日本山口県小野田市[1]
身長 159cm
血液型 B型
職業 女優・タレント・歌手
ジャンル テレビドラマ舞台映画
活動期間 1984年 -
配偶者 金山一彦(1996年 - 2013年)
松井哲也(2016年 - )
事務所 ブリスクコーポレーション(マネージメント業務)
受賞
ゴールデン・アロー賞 演劇新人賞(1990年)
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芳本 美代子
プロフィール
愛称 ミッチョン/みっちょん
公称サイズ(1985年6月[2]時点)
身長/体重 156 cm / 44 kg
BMI 18.1
スリーサイズ 77 - 58 - 84 cm
活動
デビュー 1985年3月21日
ジャンル アイドル歌謡曲J-POP
活動期間 1985年 -
事務所 芸映(1984 - 2017年)
レーベル テイチクエンタテインメント
受賞歴 第16回日本歌謡大賞 優秀放送音楽新人賞(1985年)
第11回全日本歌謡音楽祭 最優秀新人賞(1985年)
第15回銀座音楽祭 金賞(1985年)
第18回新宿音楽祭 審査員特別奨励賞(1985年)
第12回横浜音楽祭 新人特別賞(1985年)
FNS歌謡祭・音楽大賞 優秀新人賞(1985年)
第11回日本テレビ音楽祭 新人奨励賞(1985年)
第4回メガロポリス歌謡祭 優秀新人エメラルド賞(1985年)
21世紀ヤング歌謡大賞・新人グランプリ 審査員奨励賞(1985年)
アイドル: テンプレート - カテゴリ

芳本 美代子(よしもと みよこ、1969年昭和44年〉3月18日[3][4] - ) は、日本の女優タレント[5]歌手[3]大学教員[6]大阪芸術大学短期大学部教授[7]。愛称はミッチョン[8]

山口県宇部市出身[3]明治大学付属中野高校[3]定時制卒業。 所属事務所はブリスクコーポレーション(マネージメント業務)。歌手活動当時の所属レコード会社はテイチク

略歴

生い立ち

1969年3月18日、山口県小野田市(現・山陽小野田市)の病院で三姉妹の次女として誕生する[9]。小学2年生時まで山口県宇部市で育ち[9]、小学3年生から父の転勤により広島市己斐に移る[9]。小学5年生途中時に宇部市に戻る[9]。小野田市立須恵小学校→広島市立己斐小学校→宇部市立上宇部小学校卒業[10]

子供時代

小学生時代は石野真子のファンで、石野真子のような歌手になりたいと思っていた[9]。小学3年生の時、『全日本選抜ちびっこものまね歌合戦!』の広島地区大会に出場。石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』、桜田淳子の『しあわせ芝居』を披露し、広島地区で優勝して初めて東京に訪れた。東京で開催された全国大会はチェリッシュが司会で、石野真子の『狼なんか怖くない』を披露した[11]。そこからレコード会社からの勧めもあり、渡辺プロダクションの音楽学院に通うようになる[12]。子供ながらに地元で有名になり、これが「芸能界」を意識した切っ掛けであり、同時に本人はこの時を芸能界デビューと見做している[12]。『ちびっこものまね』に出場して以降、それまで男児のように育てられていた芳本は一変して、綺麗に着飾って広島市八丁堀の音楽学院に毎週連れて行かれるようになった。芳本は「ああ、こういう仕事をすると、良くしてもらえるんだ!」と喜んだ[12]。中学は宇部市立上宇部中学校へ通い、バスケット部に所属した[10]

オーディション

中学3年在学中の1983年、KBC九州朝日放送主催のオーディション、第5回福岡音楽祭・新人登竜門ビッグコンテストに応募、本選に進むも無冠に終わる。しかし、テレビ放送を見たテイチクレコードの福岡支社からスカウトされ[12]、山口から福岡の平尾昌晃音楽学院九州校に通う形で歌のレッスンを始める[11]

テイチクレコードによる周旋もあり[13]、1984年3月に大手芸能事務所の芸映の所属となり、同年8月に上京。高校も明治大学付属中野高校へ転校。当初の3ヶ月は寮にいたが、その後は信濃町のソニー・ミュージックスタジオの裏で一人暮らししていた[13]。なお、デビュー前にニッポン放送のラジオ番組『前略一世風靡セピア』の中で「美代子のハーピット占い」という機械を使ってリスナーの相性占いをするというコーナーを担当していた。

アイドル時代

1985年3月21日に同じ所属事務所の先輩女性アイドル・石川秀美の妹分として、シングル曲『白いバスケット・シューズ』でアイドル歌手としてデビュー[1][14]。所属の芸映は岩崎宏美河合奈保子―石川秀美とトップアイドルを世に送り出してきたが、「歌手専業」という点で一貫していた。芳本もまた歌手一本でのスタートとなったが[15]、社会現象にまでなったおニャン子クラブを始め、斉藤由貴南野陽子中山美穂など、超激戦区となった85年デビュー組の中で大健闘を見せた[1]。テイチクレコードの80年代アイドルで、チャートのトップテン入りを果たしたのは芳本だけであったとされる[1]。85年の新人賞レースでは、中山美穂、本田美奈子松本典子らと激戦を繰り広げた[16]。翌1986年に人気音楽番組『ザ・ベストテン』に『青い靴』と『Auroraの少女』の計2曲がランキング入りした[17]。歌唱力に定評があり、作曲家筒美京平は当時、「南沙織に通じる高音の伸びの爽やかさを持っており、現在ではそういう声質の人は居ない」と芳本を評していたという[18]

一方、この頃から飾らない言動や明るくてひょうきんな素顔が知られ始め、ミッチョンというニックネームの響きそのままの元気さと親近感で多くのファンを獲得[8]。『小泉今日子のオールナイトニッポン』では網浜直子と共に「小泉組」のような形で準レギュラー的に出演していたほか[19]、バラエティ番組の常連タレントとなっていく。それを買われて、1987年から一年間、NHKの若者向け音楽番組『ヤングスタジオ101』に月替わりアシスタントとしてレギュラー出演。同年リリースの『ヴァニティ・ナイト』『東京Sickness』がオリコンチャートのトップテン入りするなど並行して歌手活動も地道に続け、CHAGE and ASKAに依頼した2枚のシングルやサザンオールスターズのカバーなどの作品も発売している。

女優として

1990年、ミュージカル『阿国』に出演し、第28回ゴールデン・アロー賞・演劇新人賞を受賞する[3]。これを契機に芸能活動の主体を歌からテレビドラマや舞台に切り替え、数多くの作品に出演する[13]。以来中堅女優としてテレビドラマや舞台などで活躍している。

私生活では1996年、俳優の金山一彦と結婚。その後金山の女性問題(河合美智子との不倫)が元で一時別居状態になるも復縁し、2001年3月19日、第一子となる女児を出産したものの2013年7月に離婚。2016年7月、松井哲也と再婚[20]

2017年1月末日で、デビュー以来30年以上所属した芸映を退社して独立する[21]

2009年、劇団アクターズ・マップの旗揚げ舞台公演「宇宙旅館」にて初演出も手がける。

2018年7月26日テレビ朝日スマートフォンデュ』にて約28年ぶりに歌番組に出演した。

2023年春より大阪芸術大学短期大学部メディア・芸術学科舞台芸術コース教授に就任[6]

エピソード

  • 風見しんごは小学校の先輩。
  • デビュー当初憧れていた芸能人は石野真子松田聖子真田広之
  • 若手時代にレコード会社対抗の運動会に出場したが、運動音痴であったため1回出場して以来期待されなくなった[19]
  • 芸能界で一番嬉しかったことは仕事で何度も海外に連れて行ってもらったこと[19]
  • 1980年代、当時は新曲をリリースするサイクルが早かったため歌詞と降り付けを覚えるのに苦労したといい、先行予約を兼ねて販促イベントで日曜日にデパートの屋上でフルコーラス歌うのもプレッシャーとの戦いであった。覚える暇がなかったため会場に来たファンの口元を見て後追いで歌うようなこともあった[19]
  • 1980年代はジャニーズ系のアイドルと共演しただけで女性アイドルは異性のファンから嫉妬されてバッシングを受けることがあったが、芳本は同性のファンばかりだったのでそうした経験はなかった。恋愛を疑われることとも芳本は無縁であった[22]
  • 八重歯がチャームポイントだったが21歳のときに抜いて差し歯にした[14]

ディスコグラフィ

  • シングルは1985年から1990年までの間に19タイトルが発売され、オリコンチャートでは内5枚がベスト10入りした。最高位は「ヴァニティ・ナイト」の週間5位。
  • アルバムは1985年から1989年までの間にオリジナル盤が10枚、ライブ盤が1枚、ベスト盤は1986年-1989年に3枚と2003年に1枚がそれぞれ発売されている。オリコンチャートでは内1枚がベスト10入りした。最高位は「WING」の週間売り上げ10位。
    • テイチク所属の女性アイドルで1970年 - 1980年代にオリコンチャートでシングルベスト10に到達したのは高田みづえと芳本美代子の二人だけ。アルバムチャートでベスト10に到達したのは芳本美代子が唯一である[1]
  • TBSの『ザ・ベストテン』には1986年に2曲計2週チャートインした。最高位は「Auroraの少女」の8位。もう1曲チャートインしたのは「青い靴」の10位[23]。『紅白歌合戦』の出場実績はない。

シングル

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高位 規格品番
1 1985年
3月21日
A面 白いバスケット・シューズ 松本隆 井上大輔 22位 RE-667
B面 海辺のテレフォン・ボックス
2 1985年
6月26日
A面 プライベート・レッスン 井上大輔 中村哲 18位 RE-676
B面 Endless Love Song 宮城伸一郎
3 1985年
9月11日
A面 雨のハイスクール 財津和夫 大村雅朗 15位 RE-678
B面 ワンサイデッド・ラヴ 宮城伸一郎 佐藤準
4 1985年
12月4日
A面 アプリコット・キッス 16位 RE-700
B面 16才の場面 竜真知子 井上大輔 萩田光雄
5 1986年
3月5日
A面 心の扉 松本隆 財津和夫 12位 RE-710
B面 哀しみのレイン 竜真知子 井上大輔
6 1986年
6月4日
A面 青い靴 松本隆 筒美京平 船山基紀 10位 RE-720
B面 天然色の夏
7 1986年
9月10日
A面 Auroraの少女 8位 RE-730
B面 Feel So Fine
8 1986年
12月24日
A面 横顔のフィナーレ 松本一起 難波弘之 大村雅朗 8位 RE-740
B面 悲しきチャーリー 森雪之丞 八島順一
9 1987年
3月25日
A面 ヴァニティ・ナイト 戸沢暢美 久保田利伸 5位 RE-750
B面 シャ・ラ・ラ 山川恵津子
10 1987年
6月24日
A面 東京Sickness 佐藤健 山川恵津子 7位 RE-770
B面 It's a Wave
11 1987年
9月16日
A面 Heroes 大村雅朗 12位 RE-780
B面 綺麗なブロークン・ハート 大村雅朗
12 1987年
12月2日
A面 涙のイヤリング 小林和子 和泉常寛 山川恵津子 25位 RE-801
B面 複雑なセレナーデ 森雪之丞 井上ヨシマサ 矢島賢
13 1988年
3月9日
A面 恋するブランニュー・デー 和泉常寛 小林信吾 27位 RE-820(EP)
10CH-8(CD)
B面 ハートのPuzzle TRAP
14 1988年
6月15日
A面 センチメンタル・カーニバル 阿部敏郎 鷺巣詩郎 20位 RE-838(EP)
10CH-18(CD)
B面 太陽の密会 売野雅勇 Frankie T.
15 1988年
9月21日
A面 サカナ跳ねた 飛鳥涼 矢賀部竜成 31位 RE-858(EP)
10CH-29(CD)
B面 隠したJe táime 澤地隆 CHAGE
16 1989年
1月21日
A面 真冬のウサギ 53位 RE-879(EP)
10CH-43(CD)
B面 You… 飛鳥涼
17 1989年
7月21日
01 BAD BOY… 田口俊 S.Kipner
A.Goldmark
S.Kipner
S.Lindsey
85位 CARC-12
02 Two To The Power of Love S.Kipner / P.Beckett
18 1990年
5月1日
01 桑田佳祐 小林信吾 圏外 TEDA-6
02 The Last Shadow Dance 田口俊 亀田誠治
19 1990年
9月21日
01 愛しのバカヤロー 田口俊 小林信吾 圏外 TEDA-25
02 My (all in all) MIYOKO 柿原朱美 山川恵津子

アルバム

※複数日付はアナログ媒体(LP・カセットテープ) / CDの各発売日。

オリジナル・アルバム

  • SURF WIND(1985年7月5日/21日)オリコン最高位:25位
  • PARADISE PARK(1986年4月1日/21日)オリコン最高位:15位
  • MIYOKO WAVE(1986年7月21日) - 12インチ、ミニアルバム
  • WING(1986年10月1日)オリコン最高位:10位
  • I'm the one(1987年7月21日)オリコン最高位:22位
  • YESTERDAY'S(1987年12月16日)オリコン最高位:LP・53位/CD・61位
  • Miss Lonely Hearts(1988年10月21日)オリコン最高位:LP・39位/CD・53位
  • Starry Night(1988年12月16日) - ピクチャーCD
  • Power Of Love(1989年8月1日)
  • MY(1990年10月21日)

ベスト・アルバム

  • Pisces(1986年12月16日)オリコン最高位:23位
  • ベストコレクション(1988年3月21日)オリコン最高位:LP・63位/CD・62位
  • ORIGINAL SUPER BEST(1989年3月21日) - 2枚組ベスト
  • コンプリート・80'sシングルズ(2003年7月24日) - 2枚組ベスト

ライブ・アルバム

  • ミ・ヨ・コ Friendship Concert'85(1985年12月4日/16日)オリコン最高位:35位

その他

映像作品

  • ミ・ヨ・コ Friendship Concert'85(1985年12月) - ライブ
  • EXPLOSION(1986年12月1日) - ライブ
  • アース・アーク・芸映フェスティバル 武道館が燃えた!(1987年1月25日) - 当時の芸映プロ所属タレント総出演のチャリティーイベントライブ
  • Landing Road(1987年)
  • 以下、イメージビデオ
    • ROMANCING(1988年3月25日) - 書籍扱い
    • White Whisper(1990年)
    • VIEW〜不思議ね〜(1992年3月23日)
    • アイドル黄金伝説 芳本美代子(2002年4月26日) - White WhisperのDVD化再発

出演

テレビドラマ(レギュラー出演)

テレビドラマ(ゲスト・単発出演)

映画

オリジナルビデオ

舞台

  • 阿国(1990年初演) - 第28回ゴールデン・アロー賞・演劇新人賞受賞
  • 夏の夜の夢(1991年)
  • スライス・オブ・サタデーナイト(1992年、アトリエダンカン)
  • D・Live Rock To The Future(1996年 - 1997年、劇団新感線)
  • 髑髏城の七人(1997年、劇団新感線)
  • こどもの一生(1998年、G2プロデュース)
  • 検察側の証人(1999年、自転車キンクリートSTORE)
  • マクベス(1999年、自転車キンクリートSTORE)
  • ピーターパン(2001年 - 2002年、ホリプロダクション)
  • ジンジャーブレッド・レディ(2002年 - 2003年、博品館劇場)
  • 妄想ラジオ ぴんた&ぽんた(2008年7月、劇団アクターズマップ)
  • どんまいマインド(2008年10月 - 11月)
  • Live,Love,Drive. 死神の精度(2009年11月)
  • 軋み(2011年1月)
  • 海街diary(2022年3月30日 - 4月3日 シアターサンモール、4月9日 - 10日 ABCホール)
  • STRAYDOG Produce「幸せになるために」(2022年8月3日-7日、東京都「劇」小劇場 / 8月13日・14日、大阪HEP HALL)[26]

バラエティ番組

生活情報番組

  • 芳本美代子のワン・ラブショッピング(2010年10月 - 、全国系列ローカル局、独立U局、BS、CS)

通販情報番組

  • 野々村真・芳本美代子のフィットライフショッピング(2013年、ローカル局

ラジオ番組

ゲーム

CM

書籍

写真集

  • 芳本美代子ファースト(1985年7月5日初版)
  • 芳本美代子写真集』近代映画社、1986年3月1日。
  • 頬杖ついて(1987年3月10日初版)
  • Be My Lady(1987年10月24日初版)
  • 芳本美代子写真集 It's a beautiful memory(1988年4月5日初版)
  • Risky(1989年3月30日初版)
  • ESPER(1990年5月3日初版)
  • Why not!(1991年5月10日初版)
  • 檸檬(1995年10月10日初版)

エッセイ他

  • ミッチョン元気印!』近代映画社、1986年7月5日。
  • BIGアイドルカセットおしゃべり文庫 芳本美代子(1988年8月8日発行) - 書籍扱い

脚注

  1. ^ a b c d e 別冊宝島 2017, p. 97.
  2. ^ BOMB学研)1985年6月号 p88
  3. ^ a b c d e 日外アソシエーツ 1995, p. 938.
  4. ^ a b c DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、183頁。
  5. ^ 芳本美代子”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2024年4月29日閲覧。
  6. ^ a b "芳本美代子、教授になっていた「本当に私で良いの?」4月から大阪芸大短期大学部で演技基礎講義". スポーツ報知. 報知新聞社. 26 September 2023. 2023年12月14日閲覧
  7. ^ 芳本 美代子|教員一覧|大阪芸術大学短期大学部
  8. ^ a b BOMBアイドル30年読本 2010, p. 59.
  9. ^ a b c d e BOMB学研)1985年7月号「芳本美代子 巻頭大特集」
  10. ^ a b 「巻頭大特集 miyoko hotline'86 芳本美代子」『BOMB』1986年7月号、学習研究社、28頁。 
  11. ^ a b "芳本美代子語る"寝起きドッキリ番組"の怖さ「ホテルのドアチェーンが外されてた」". 女性自身. 光文社. 10 April 2022. 2022年4月10日閲覧
  12. ^ a b c d 別冊宝島 2017, p. 52.
  13. ^ a b c 別冊宝島 2017, p. 53.
  14. ^ a b 芳本美代子 アイドルから舞台人、そしてユーチューバー!自然体で挑み続ける「みっちょん」の“野望” 東京スポーツ 2021年7月18日
  15. ^ 『80年代アイドルカルチャーガイド』洋泉社、2013年10月26日、117頁。ISBN 978-4-8003-0227-4。C9476。 
  16. ^ 「特集・'85新人賞レースを総括する!美代子・美奈子・典子・美穂が大活躍!激戦に次ぐ激戦。新しいアイドルが続々誕生だ!」『BOMB』1986年2月号、学習研究社、190-191頁。 
  17. ^ ザ・ベストテン』1986年6月26日、10月9日放送回
  18. ^ 「巻頭大特集 miyoko hotline'86 芳本美代子」『BOMB』1986年7月号、学習研究社、33頁。 
  19. ^ a b c d 別冊宝島 2017, p. 54.
  20. ^ 芳本美代子、一般男性と昨夏再婚していた「素の自分で向き合える」”. サンスポ (2017年1月3日). 2018年3月21日閲覧。
  21. ^ “芳本美代子 再婚していた 事務所からも1月いっぱいで独立へ”. デイリースポーツ. (2017年1月4日). https://www.daily.co.jp/gossip/2017/01/04/0009801109.shtml 2017年1月4日閲覧。 
  22. ^ 別冊宝島 2017, pp. 54–55.
  23. ^ 山田修爾「全603回 ベストテンランキング一覧」『ザ・ベストテン』新潮社新潮文庫〉、2012年1月1日、337-339頁。ISBN 978-4-10-136341-7。C0176。 
  24. ^ “「アイゾウ」2夜連続スペシャルに鈴木浩介、駒木根葵汰、加藤小夏らゲスト出演”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2023年3月20日). https://natalie.mu/eiga/news/517240 2023年3月20日閲覧。 
  25. ^ 映画『痴人の愛』作品情報”. 映画.com. エイガ・ドット・コム. 2024年11月30日閲覧。
  26. ^ 廃工場に5組の家族が集められ…“STRAYDOG”「幸せになるために」主演は鳥居みゆき”. ステージナタリー. ナターシャ (2022年5月23日). 2022年5月23日閲覧。
  27. ^ 『読売新聞』1988年3月24日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1988年3月号p.1118)および夕刊第20面(同前p.1142)のテレビ番組表に番組放送予定と「芳本美代子」の記載あり。
  28. ^ 「スーパーヒーロージェネレーション」,強敵が集結するEXステージの情報を公開。仮面ライダーバースやスサノオなどの参戦も判明”. 4Gamer.com (2014年8月22日). 2014年8月23日閲覧。

参考文献

外部リンク