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2021年8月1日 (日) 06:25時点における版

末永 直登(すえなが なおと、1976年7月23日 - )は鹿児島県出身の全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)ドライバー。血液型はO型。同じくD1ドライバーの末永正雄は実弟。勤務する福島県二本松市エビスサーキットで企画・広報[1]、ドリフトスクールの講師及びドリフトタクシーのドライバー[2]を務めている。

略歴

小学校入学前からポケットバイクに乗り始める。その後二輪のレースを20歳ほどまで続けるが、競技への疑問から活動を休止する[3]

鹿児島県立武岡台高等学校および鹿児島大学を卒業。大学でドリフトと出会う。鹿児島大学在学中は自動車部に所属。[4][5]

D1にデビューしたのは弟・正雄と同じ2002年。 参戦当初から活躍した弟と違い、資金繰り等で苦しんだことと重なり、成績が伴わずD1ライセンスの剥奪も経験した。

2005年にD1グランプリ参戦後初のポイントを獲得。

2006年には大学卒業後から勤務していた機械系の会社を退職し、熊久保信重が支配人のエビスサーキットへ転職。以来企画・広報を担当している。第1戦アーウィンデールではECR33スカイラインで参戦、その後はチームオレンジ加入と共にマシンをGC8(スバル・インプレッサ)に変更した。

2008年は、D1GPでは予選通過2度のみと振るわなかったが、並行して参戦していたD1ストリートリーガルでは、シリーズ7戦のうち、第1戦エビスサーキット・第2戦鈴鹿サーキット・第4戦エビスサーキット・第6戦セキアヒルズDECサーキット・第7戦筑波サーキットの5戦優勝でシリーズチャンピオンとなった。

2009年は、前年まで熊久保が乗っていたランサーエボリューションIXに乗り換え参戦。

2012年ランサーエボリューションXに乗り換え、第4戦のエビスサーキットで見事D1GP初優勝を果たした。

2013年からはS15シルビア(エンジンは当初は熊久保が使用していたローレルRB26、2018年から2JZ-GTE)で参戦。最終戦までチャンピオン争いを演じたが、2位に終わる。

2017年より熊久保とともに全日本ダートトライアルにも並行して参戦を開始した。マシンは86を使う。

2019年には、D1GPと並行してフォーミュラドリフトジャパンシリーズにTeam Kazama With Powervehiclesから参戦。

エピソード

  • 2005年最終戦の筑波サーキットでは予選前日に車両盗難に遭ってしまい、友人から借りてきた日産・180SXで参戦した。(結果は予選落ち)
  • 2005年の第2戦お台場の追走で、末永正雄とのD1史上初の兄弟対決が実現。その後も追走において7回対戦しており、2020年シーズン終了時点での戦績は兄弟それぞれ4勝ずつとなっている。
  • エビスサーキットへ転職直後の2007年、同サーキットにてビデオオプションの珍レース「目隠しラジコンレースリターンズ」の収録が行われ、直登は「サーキット職員として勤務中、無理矢理レースに巻き込まれた」形で出場した。ただし、チーム紹介では名前が入っていることから、出場はもともと予定されていたと思われる。

脚注

  1. ^ Teams & Drivers D1 OFFICIAL WEBSITE、2021年4月21日閲覧
  2. ^ 「【二本松】スリル満点『ドリフトタクシー』運行開始 エビスサーキット」 福島民友新聞、2017年5月10日
  3. ^ ヒューマントーク「日本に、世界に届けドリフトパワー。」エンケイ、2021年4月21日閲覧
  4. ^ 武岡台高校同窓会三紅会 活躍中の同窓生(2018年5月7日) 2019年4月29日閲覧
  5. ^ チームオレンジ・末永直登の鹿児島からドリフトの聖地へ 2007年07月31日 2019年4月29日閲覧