「島村雄二」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
m Bot作業依頼: 改名によるテンプレートおよびテンプレート引数の置き換え依頼 (Template:存命人物の出典皆無) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{ |
{{存命人物の出典皆無|date=2014年9月}} |
||
{{Infobox baseball player |
{{Infobox baseball player |
||
|選手名 = 島村 雄二 |
|選手名 = 島村 雄二 |
2021年8月4日 (水) 05:09時点における版
![]() |
基本情報 | |
---|---|
国籍 |
![]() |
出身地 |
埼玉県浦和市 (現・さいたま市) |
生年月日 | 1951年10月6日(72歳) |
身長 体重 |
174 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1969年 ドラフト7位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
島村 雄二(しまむら ゆうじ、1951年10月6日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
来歴・人物
埼玉県立大宮高等学校では、1967年、1年生ながら控えの内野手として夏の甲子園に出場。チームメートに2年上のエース金子勝美、吉田誠、1年上の新井良雄、同期の鈴木治彦がいた。1回戦で報徳学園と対戦。9回裏2死までリードするがここから反撃を許し、大会史上初の本盗による逆転サヨナラ負けを喫した[1]。秋の埼玉国体では、決勝でエース河原明を擁する大分商を降し優勝。翌1968年夏には新井が主戦投手となり、三塁手、七番打者として県予選決勝に進出するが、春の選抜で優勝した大宮工の吉沢敏雄に抑えられ0-1で敗退。
同年秋季関東大会県予選では鈴木が主戦投手となり、準決勝に進むが川口工に延長13回サヨナラ負け。翌1969年春季関東大会県予選では、準決勝でエース岡持和彦を擁する立教高を降し、決勝に進むが深谷商に惜敗。夏も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。
1969年のドラフトに広島から7位指名され入団。一軍公式戦に出場がなく、1972年限りで引退。
詳細情報
年度別打撃成績
- 一軍公式戦出場無し
背番号
- 48 (1970年 - 1972年)
脚注
- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年