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「メッツ (ジャニーズ)」の版間の差分

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2021年8月4日 (水) 22:20時点における版

メッツとは、1975年第1期ジャニーズJr.出身のメンバーたちによって結成された男性アイドルグループである。 バーニングプロダクションからデビューした。 前身グループは「ジャニーズ・ジュニア・エース」(後述)。

メンバー

第一期(1975年 - 1976年)

第二期(1978年 - 1979年)

  • 小坂まさる
  • 柏木孝夫
  • 鈴木寛
  • 砂野誠一 - ボーカル&ドラム。ジェット元メンバー
  • 青山浩一(後の江蔵浩一) - リードギター&コーラス。ジェット元メンバー

概要

  • 1974年夏、「ジャニーズ・ジュニア第1期生」が2つのグループに分割された。一つはフォーリーブスのコンサートのバックダンサーチームとして作られた3人組の「ジュニア・スペシャル」(板野俊雄、林正明、山縣孝良)。もう一方はジャニーズ・ジュニアの名義のまま、郷ひろみのコンサートのバックを担当した(小坂まさる、畠山昌久、近藤純市、鈴木寛、吉田義久、柏木孝夫)。 夏のコンサートを終えた同年9月、小坂と近藤が共にジャニーズ事務所からの脱退を宣言し、それまで住んでいたジャニーズの合宿所を退所する。その為、山縣がスペシャルから元のジャニーズ・ジュニアへ異動となり、同年10月に山縣、畠山、鈴木、吉田、柏木の5名に対して「ジャニーズ・ジュニア・エース」というグループ名が与えられたが、翌11月には山縣、鈴木、吉田、柏木の4名もジャニーズ事務所を退所してしまい、エースはわずか一ヶ月で消滅した。そして事務所を辞めた計6名のジュニアたちは、一斉にバーニングプロダクションへ移籍した。
  • バーニングに移籍した6名は、新グループ「メッツ」を結成し、1975年2月23日、大阪の枚方市民会館にてステージデビュー。しばらくは郷ひろみのバックに付いて「Go & Mets」として活動していたが、それから1年後の1976年2月、テイチクのレーベルだったユニオンレコードより『レディ・レイは最高さ!』でレコードデビュー。
  • 一方、移籍せずに事務所に残った畠山昌久や「ジュニア・スペシャル」の2名は、新たに「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」(通称:JJS)を結成し、メッツよりも1年早い1975年2月21日にレコードデビューしている。
  • その後は小坂まさるがソロで芸能活動を行っていたが、しばらくしてから元メンバーの柏木と鈴木とロックバンドとして第二期「メッツ」を再結成。レコード会社もRCAレコード(その後のBMG JAPAN)に変わり再デビューをした。

エピソード

  • 「メッツ」というグループ名は、メジャーリーグの「ニューヨーク・メッツ」にあやかり[1]、郷ひろみが命名した。 ちなみに郷ひろみのバックバンド(4人組)には「フォー・ジェッツ」と名付けた。後にメンバーの入れ替えがあり、7人組のバンド「スーパー・ジェッツ」に改名。

解散後

  • 小坂まさるは、バーニングから「プラスワン」という事務所に移籍。1980年NHK大河ドラマ獅子の時代』に書生役で出演。また、1980年代に東京都議会議員選挙に出馬したが、落選した。その後は地元の大阪で飲食店を経営後、政治関係の仕事についている。
  • 近藤純市は脱退後、劇団にも入団していたが、後に故郷の広島市に帰郷。その後は妻子と共に渡米。 ロサンゼルスで長年セレブ・コーディネーターなどとして活躍してた。
  • 柏木孝夫は、千駄ヶ谷にあるアパレル関係の会社で企画の仕事をする傍らで、同世代の男性アイドルグループレモンパイのメンバーとバンドを結成。現在でもライブ活動を行っている。
  • 山縣孝良は有名ホテルチェーンに長年勤務。
  • 鈴木寛は、ミュージャンに転向後、金子美香、MIE、小比類巻かほる、河合その子など女性アーティストのレコーディングアレンジやギターリストとしてコンサートサポートを行っていた。
  • 青山浩一は第二期解散後、江蔵浩一に改名し、バンド「ピンナップス」を結成。また、松比良直樹KENZIelectric combatなどアーティストのプロデュースを手がけた。2020年5月27日死去[2]

テレビ

ミュージカル

  • 俺たち仲間より友情 1975年8月1日 - 30日、コンサートツアー 「’75 サマー・エキサイティング・メッツ」の中でのミュージカル。

音楽

シングル

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
第一期
ユニオンレコード
1 1975年
11月25日
A面 レディ・レイは最高さ! 竜真知子 P.Groscolas あかのたちお US-850
B面 ひとりぼっちの夜 Colombus
2 1976年
2月25日
A面 ジュディ・ランラン 竜真知子 W.Bickerton 馬飼野康二 US-856
B面 ママルー P.Groscolas
3 1976年
4月25日
A面 ダイナマイト・パーティー 森雪之丞 馬飼野康二 UC-1
B面 愛する人へのラヴ・ソング 東海林良 馬飼野康二
4 1976年
7月25日
A面 メッツのシーサイド・バウンド 橋本淳 すぎやまこういち 馬飼野康二 UC-9
B面 あなた好みの男 竜真知子 P.Groscolas
5 1976年
11月25日
A面 オー・ママ・ミア 竜真知子 P.L.Sebastian 馬飼野康二 UC-19
B面 気になるあの娘 馬飼野康二
第二期
RCA
1 1978年
10月25日
A面 エナメル・シックスティーン 森雪之丞 佐藤健 沢健一 RVS-1146
B面 真夜中の天使 大浜和史
2 1978年
12月25日
A面 TRY!! 杉山政美 佐瀬寿一 船山基紀 RVS-1161
B面 マザー・シップ 大浜和史

アルバム

主なステージ

ほか多数

ジャニーズ・ジュニア・エース (前身)

1974年10月結成。11月に消滅。活動実績は無いが、上記「メッツ」の前身に当たる。

メンバー

  • 山縣孝良
  • 畠山昌久 (後に「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」のメンバーに)
  • 柏木孝夫
  • 鈴木寛
  • 吉田義久

脚注

  1. ^ 「スターの芸名はどうして作られたの 芸名をつけたエピソード」『近代映画』1976年10月号、近代映画社、168頁。 
  2. ^ Koich Egura|1957-2020”. yda.jpn.org. 2021年5月6日閲覧。

関連項目