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=== 旅客 === |
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!colspan="3"|'''1日平均の乗車人員の推移''' |
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1954年度は他年度の数値より突出している。同年度の到着量の半数ほどを[[砂利]]や[[セメント]]が占めていた<ref>『武豊線物語』</ref>。 |
1954年度は他年度の数値より突出している。同年度の到着量の半数ほどを[[砂利]]や[[セメント]]が占めていた<ref>『武豊線物語』</ref>。 |
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!colspan="3"|貨物取扱量の推移 |
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1972年度から、荷物の取り扱いが廃止された1983年度までの荷物取扱量(発送および到着個数)は以下の表のとおりに推移していた。 |
1972年度から、荷物の取り扱いが廃止された1983年度までの荷物取扱量(発送および到着個数)は以下の表のとおりに推移していた。 |
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!colspan="3"|荷物取扱量の推移 |
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2021年8月8日 (日) 13:59時点における版
東浦駅 | |
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![]() 駅舎(2018年4月) | |
ひがしうら Higashiura | |
![]() | |
愛知県知多郡東浦町大字藤江字柳牛19 | |
駅番号 | CE 04 |
所属事業者 |
東海旅客鉄道(JR東海) 衣浦臨海鉄道 |
電報略号 | ウラ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
1,897人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1944年(昭和19年)11月11日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 |
![]() |
キロ程 | 6.8 km(大府起点) |
◄CE03 石浜 (2.2 km) (3.4 km) 亀崎 CE05► | |
所属路線 | 碧南線(衣浦臨海鉄道、貨物線) |
キロ程 | 0.0 km(東浦起点) |
(8.2km) 碧南市► | |
備考 | 駅員無配置駅(集中旅客サービスシステム導入駅) |
東浦駅(ひがしうらえき)は、愛知県知多郡東浦町大字藤江字柳牛(やぎゅう)にある、東海旅客鉄道(JR東海)・衣浦臨海鉄道の駅である。駅番号はCE04。
概要
東浦駅は、武豊線を運営するJR東海と、碧南線を運営する衣浦臨海鉄道に属する駅である。武豊線は愛知県内の大府駅と武豊駅を結び、当駅を起点とする貨物列車専用の貨物線である碧南線が碧南市内の碧南市駅まで伸びている。武豊線はJR東海が施設を有する第一種鉄道事業者で、日本貨物鉄道(JR貨物)がそれを借用して貨物列車を運行する第二種鉄道事業者になっているが、駅自体はJR貨物には属さない。
東浦町内南部の藤江地区に位置し、町内に位置する4駅の中で最も乗車客が多い。1944年(昭和19年)に、1930年代に開業した尾張生路駅(おわりいくじえき)と藤江駅(ふじええき)の代替として駅として開業し、1977年(昭和52年)に碧南線が乗り入れた。
歴史
東浦駅が開業する前、付近には尾張生路駅(大府起点6.0km)と藤江駅(大府起点7.2km)が存在した。どちらも武豊線の気動車運転開始を契機に開業した駅で、尾張生路駅は1933年(昭和8年)に、藤江駅は翌1934年(昭和9年)に開設された。
このうち藤江駅は、駅開設を求める請願活動が1911年(明治44年)から行われている。1929年(昭和4年)には商工会を中心とする「藤江新駅接地期成同盟会」が組織された。1933年に気動車運転開始が決定すると、藤江地区の他にも請願活動を行う地域が現れ、駅の設置をめぐって東浦村(現・東浦町)内中部の石浜地区、中南部の生路地区、南部の藤江地区が争った。その結果1933年12月に生路地区に尾張生路駅が新設されるが、藤江地区ではその後も請願活動を展開したため1年遅れて藤江駅が開業することになった[1]。
第二次世界大戦下において戦局の悪化に伴って燃料の節約が求められるようになると、武豊線では駅の統廃合が進められる。尾張生路駅と藤江駅も対象となり、両駅は統廃合されて東浦駅が新設された[1]。1944年(昭和19年)11月のことである。開業時の東浦駅は旅客のみを取り扱っていたが、1947年(昭和22年)に荷物、翌1948年(昭和23年)に貨物の取り扱いを開始した。ただし貨物については長く続かず、武豊線の他駅よりも早い1960年(昭和35年)に廃止されている。荷物営業の廃止は他駅と同時期の1984年(昭和59年)である。
1977年(昭和52年)、東浦駅を起点とし衣浦港東岸を結ぶ貨物線・衣浦臨海鉄道碧南線が開業した。1987年(昭和62年)に国鉄分割民営化が実施された結果日本国有鉄道(国鉄)東浦駅はJR東海に継承され、JR東海と衣浦臨海鉄道が所管する形態となって現在に至っている。
年表
- 1933年(昭和8年)12月7日 - 武豊線緒川・亀崎間に尾張生路駅を新設[2]。
- 1934年(昭和9年)8月22日 - 尾張生路・亀崎間に藤江駅を新設[2]。
- 1939年(昭和14年)7月21日 - 両駅とも、上記各駅に加えて中央本線大曽根駅・千種駅・鶴舞駅を発着する旅客の取り扱いも開始[2]。
- 1944年(昭和19年)11月11日 - 東浦駅開業、それに伴って尾張生路駅・藤江駅廃止。旅客の取り扱いのみで、上記の取り扱い制限も引き継いだ[2]。
- 1947年(昭和22年)11月21日 - 荷物の取り扱いを開始[3]。旅客取り扱い区間の制限は廃止[2]。
- 1948年(昭和23年)10月1日 - 小口扱貨物と車扱貨物の取り扱いを開始[2]。
- 1960年(昭和35年)1月15日 - 貨物の取り扱いを全廃[2]。
- 1977年(昭和52年)5月25日 - 衣浦臨海鉄道碧南線が開業。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取り扱いを廃止[2]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、国鉄駅は東海旅客鉄道(JR東海)が継承。
- 1992年(平成4年)11月 - JR全線きっぷうりば営業開始[4]。
- 2001年(平成13年)
- 2006年(平成18年)11月25日 - TOICAの利用が可能となる。
- 2013年(平成25年)10月1日 - 「集中旅客サービスシステム」導入により、無人化[8][9]。
- 2014年(平成26年)3月14日 - バリアフリー整備が完了し、新たにエレベーターや多機能トイレの設備が使用可能になる[10]。
駅構造
相対式ホーム2面2線の地上駅。2つのホームは跨線橋で繋がる。碧南線の線路は駅の南方から分岐しているが、1・2番線双方に繋がっている[11]。単線の武豊線上にある交換駅であり、列車の交換が可能である。駅舎は1番線に隣接して設置されている。
大府駅管理の無人駅。かつては、業務委託の駅員が配置されている有人駅(業務委託駅)でJR全線きっぷうりばも設置されていたが[12][13]、JR東海は2013年10月1日より当駅を含む6駅について「集中旅客サービスシステム」を導入し、自動券売機・自動改札機を整備した上で遠隔案内によって一括的に管理されるようになり、無人化された[8][9]。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ![]() |
上り | 大府・名古屋方面[14] |
2 | 下り | 武豊方面[14] |
-
ホーム
-
駅名標
-
改札機
利用状況
旅客
「愛知県統計年鑑」および「知多半島の統計」によれば、1日平均の乗車人員は以下の通りであった。
1日平均の乗車人員の推移 | ||
---|---|---|
年度 | 乗車人員 | 出典・備考 |
1950年度 | 951人 | [15] |
1951年度 | 1,106人 | [16] |
1952年度 | 1,118人 | [17] |
1953年度 | 1,093人 | [18] |
1954年度 | 1,058人 | [19] |
1955年度 | 1,046人 | [20] |
1956年度 | 1,178人 | [21] |
1957年度 | 1,313人 | [22] |
1958年度 | 1,312人 | [23] |
1959年度 | 1,342人 | [24] |
1960年度 | 1,501人 | [25] |
1961年度 | 1,409人 | [26] |
1962年度 | 1,342人 | [27] |
1963年度 | 1,383人 | [28] |
1964年度 | 1,313人 | [29] |
1965年度 | 1,389人 | [30] |
1966年度 | 1,405人 | [31] |
1967年度 | 1,307人 | [32] |
1968年度 | 1,181人 | [33] |
1969年度 | 1,050人 | [34] |
1970年度 | 1,011人 | [35] |
1971年度 | 950人 | [36] |
1972年度 | 891人 | 1950年度以降最低値[37] |
1973年度 | 1,053人 | [38] |
1974年度 | 1,180人 | [39] |
1975年度 | 1,263人 | [40] |
1976年度 | 1,301人 | [41] |
1977年度 | 1,312人 | [42] |
1978年度 | 1,280人 | [43] |
1979年度 | 1,308人 | [44] |
1980年度 | 1,217人 | [45] |
1981年度 | 1,160人 | [46] |
1982年度 | 1,135人 | [47] |
1983年度 | 1,174人 | [48] |
1984年度 | 1,104人 | [49] |
1985年度 | 1,089人 | [50] |
1986年度 | 1,025人 | [51] |
1987年度 | 959人 | [52] |
1988年度 | 1,017人 | [53] |
1989年度 | 1,101人 | [54] |
1990年度 | 1,294人 | [55] |
1991年度 | 1,495人 | [56] |
1992年度 | 1,591人 | [57] |
1993年度 | 1,610人 | [58][59] |
1994年度 | 1,666人 | [60][59] |
1995年度 | 1,688人 | [61][59] |
1996年度 | 1,702人 | [62][63] |
1997年度 | 1,620人 | [64][63] |
1998年度 | 1,572人 | [65][66] |
1999年度 | 1,548人 | [67][68] |
2000年度 | 1,557人 | [68] |
2001年度 | 1,558人 | [68] |
2002年度 | 1,566人 | [69] |
2003年度 | 1,572人 | [69] |
2004年度 | 1,583人 | [69] |
2005年度 | 1,639人 | [70] |
2006年度 | 1,686人 | [70] |
2007年度 | 1,757人 | [70] |
2008年度 | 1,800人 | [71] |
2009年度 | 1,766人 | [71] |
2010年度 | 1,779人 | [71] |
2011年度 | 1,772人 | [72] |
2012年度 | 1,772人 | [73] |
2013年度 | 1,854人 | [73] |
2014年度 | 1,859人 | [74] |
2015年度 | 1,922人 | [75] |
2016年度 | 1,926人 | 1950年度以降最大値[76] |
2017年度 | 1,880人 | [77] |
2018年度 | 1,881人 | [77] |
2019年度 | 1,897人 | [78] |
貨物
1950年度から、貨物の取り扱いが廃止された1959年度までの貨物取扱量(発送・到着トン数)は、以下の表のとおりに推移していた。
1954年度は他年度の数値より突出している。同年度の到着量の半数ほどを砂利やセメントが占めていた[79]。
貨物取扱量の推移 | ||
---|---|---|
年度 | 発送 | 到着 |
1950年度 | 2,588t | 8,836t |
1951年度 | 2,934t | 9,655t |
1952年度 | 1,049t | 7,267t |
1953年度 | 1,905t | 6,317t |
1954年度 | 993t | 22,284t |
1955年度 | 830t | 4,483t |
1956年度 | 1,152t | 7,151t |
1957年度 | 1,932t | 5,345t |
1958年度 | 332t | 4,544t |
1959年度 | 673t | 4,288t |
※出典は乗車人員の推移に同じ。 |
荷物
1972年度から、荷物の取り扱いが廃止された1983年度までの荷物取扱量(発送および到着個数)は以下の表のとおりに推移していた。
荷物取扱量の推移 | ||
---|---|---|
年度 | 発送 | 到着 |
1972年度 | 2,730個 | 4,827個 |
1973年度 | 2,508個 | 5,509個 |
1974年度 | 2,659個 | 504個 |
1975年度 | 2,179個 | 576個 |
1976年度 | 2,026個 | 654個 |
1977年度 | 2,079個 | 812個 |
1978年度 | 2,109個 | 1,764個 |
1979年度 | 2,148個 | 2,059個 |
1980年度 | 2,116個 | 2,065個 |
1981年度 | 1,483個 | 2,072個 |
1982年度 | 753個 | 1,885個 |
1983年度 | 381個 | 1,189個 |
※出典は乗車人員の推移に同じ。 |
停車列車
東浦駅には、すべての電車が停車する。2018年3月のダイヤ改正まで運転されていた快速列車も停車していた。
駅周辺
愛知県知多郡東浦町には「イオンモール東浦」があるが、最寄り駅はこの東浦駅ではなく2つ大府駅寄りの緒川駅が最寄り駅になる[80]。
周辺の施設
バス路線
西側の駅前には「東浦駅」バス停留所があり、東浦町運行バスが発着している。
東浦町運行バスは緒川駅を中心として運行されている路線のうち、同駅と町内南部の平池台を結ぶ平池台線が経由している。 知多バスが運行していた、同駅から乙川駅前等を経由して知多半田駅を結んでいた有脇線は2016年3月31日をもって知多半田駅~知多リハビリ病院前間に路線が短縮されたため、同駅への乗り入れはなくなった。
隣の駅
- 衣浦臨海鉄道
- 碧南線
- 東浦駅 - 碧南市駅
脚注
- ^ a b 『新編東浦町誌』本文編、506-509頁
- ^ a b c d e f g h i 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』2、115頁
- ^ 「運輸省告示第302号」『官報』1947年11月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『JR時刻表』1992年11月号と12月号の比較から
- ^ 『東海旅客鉄道20年史』、812頁
- ^ 『武豊線物語』
- ^ 『武豊線物語』、1頁
- ^ a b "武豊線 集中旅客サービスシステムの使用開始について" (PDF) (Press release). 東海旅客鉄道. 22 August 2013. 2016年9月25日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2020年12月19日閲覧。
- ^ a b "武豊線への集中旅客サービスシステムの導入について" (PDF) (Press release). 東海旅客鉄道. 15 November 2012. 2016年3月4日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2020年12月19日閲覧。
- ^ "武豊線 亀崎駅・東浦駅エレベーター等使用開始について" (PDF) (Press release). 東海旅客鉄道. 24 February 2014. 2020年12月19日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2020年12月19日閲覧。
- ^ 『東海道ライン全線・全駅・全配線』、24・46頁
- ^ 「地方鉄道レポート19 JR東海武豊線」、『鉄道ジャーナル』通巻469号、78頁
- ^ 『東海旅客鉄道20年史』、732頁
- ^ a b 駅構内の案内表記。これらはJR東海公式サイトの各駅の時刻表で参照可能(駅掲示用時刻表のPDFが使われているため。2015年1月現在)。
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和27年度刊、326頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和28年度刊、310頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和29年度刊、329頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和30年度刊、305頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和31年度刊、303頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和32年度刊、319頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和33年度刊、335頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和34年度刊、379頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和35年度刊、292頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和36年度刊、260頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和37年度刊、324頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和38年度刊、296頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和39年度刊、298頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和40年度刊、262頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和41年度刊、239頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和42年度刊、262頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和43年度刊、192頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和44年度刊、196頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和45年度刊、204頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和46年度刊、228頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和47年度刊、237頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和48年度刊、217頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和49年度刊、214頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和50年度刊、221頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和51年度刊、225頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和52年度刊、217頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和53年度刊、231頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和54年度刊、233頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和55年度刊、221頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和56年度刊、227頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和57年度刊、239頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和58年度刊、223頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和59年度刊、223頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和60年度刊、241頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和61年度刊、235頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和62年度刊、223頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』昭和63年度刊、223頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成元年度刊、225頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成2年度刊、223頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成3年度刊、225頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成4年度刊、229頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成5年度刊、221頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成6年度刊、221頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成7年度刊、239頁
- ^ a b c 『知多半島の統計』平成9年版、47頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成8年度刊、241頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成9年度刊、243頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成10年度刊、241頁
- ^ a b 『知多半島の統計』平成11年版、47頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成11年度刊、241頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成12年度刊、239頁
- ^ 『知多半島の統計』平成12年版、47頁
- ^ 『愛知県統計年鑑』平成13年度刊、240頁
- ^ a b c 『知多半島の統計』平成15年版、47頁
- ^ a b c 『知多半島の統計』平成18年版、115頁
- ^ a b c 『知多半島の統計』平成21年版、43頁
- ^ a b c 『知多半島の統計』平成24年版、43頁
- ^ 『知多半島の統計』平成25年版、43頁
- ^ a b 『知多半島の統計』平成27年版、43頁
- ^ 『知多半島の統計』平成28年版、43頁
- ^ 『知多半島の統計』平成29年版、43頁
- ^ 『知多半島の統計』平成30年版、43頁
- ^ a b 『知多半島の統計』令和元年版、43頁
- ^ 『知多半島の統計』令和2年版、43頁
- ^ 『武豊線物語』
- ^ “電車・バスのアクセス”. イオンモール東浦. 2021年2月8日閲覧。
参考文献
- 東浦町誌編さん委員会『新編東浦町誌』 本文編、東浦町、1998年。
- 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6。
- 鈴木文彦「地方鉄道レポート19 JR東海武豊線」『鉄道ジャーナル』第39巻第11号、鉄道ジャーナル社、2005年11月。
- 東海旅客鉄道『東海旅客鉄道20年史』東海旅客鉄道、2007年。
- 川島令三『東海道ライン全線・全駅・全配線』 第4巻 豊橋駅-名古屋エリア、講談社、2009年。ISBN 978-4-06-270014-6。
- 河合由平『武豊線物語』交通新聞社、2009年。ISBN 978-4-330-04609-9。
- 愛知県編 『愛知県統計年鑑』各年度版
- 知多統計研究協議会編 『知多半島の統計』各年版
関連項目
外部リンク
- 東浦駅 - 東海旅客鉄道