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「キリル・サクスコブルクゴツキ」の版間の差分

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'''キリル・サクスコブルクゴツキ'''({{翻字併記|bg|Кирил Сакскобургготски|Kiril Sakskoburggotski}}, [[1964年]][[7月11日]] - )は、[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア王国]]の元国王で[[ブルガリア|ブルガリア共和国]]の元首相である[[シメオン・サクスコブルクゴツキ]](シメオン2世)とその妻[[マルガリータ・ゴメス=アセボ・イ・セフエラ|マルガリータ]]の次男。ブルガリア王族として[[プレスラフ]]公の[[儀礼称号]]を用いるが、これは国王[[フェルディナンド1世 (ブルガリア王)|フェルディナンド1世]]の次男でシメオン2世の在位中に摂政を務めた同名の大叔父[[キリル (プレスラフ公)|キリル王子]]と同じものである。
'''キリル・サクスコブルクゴツキ'''({{翻字併記|bg|Кирил Сакскобургготски|Kiril Sakskoburggotski}}, [[1964年]][[7月11日]] - )は、[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア王国]]の元国王で[[ブルガリア|ブルガリア共和国]]の元首相である[[シメオン・サクスコブルクゴツキ]](シメオン2世)とその妻[[マルガリータ・ゴメス=アセボ・イ・セフエラ|マルガリータ]]の次男。ブルガリア王族として[[プレスラフ]]公の[[儀礼称号]]を用いるが、これは国王[[フェルディナン (ブルガリア王)|フェルディナン]]の次男でシメオン2世の在位中に摂政を務めた同名の大叔父[[キリル (プレスラフ公)|キリル王子]]と同じものである。


父シメオンのスペイン亡命時代に[[マドリード]]で生まれる。[[プリンストン大学]]で[[物理学]]を学び、[[1986年]]に卒業した。
父シメオンのスペイン亡命時代に[[マドリード]]で生まれる。[[プリンストン大学]]で[[物理学]]を学び、[[1986年]]に卒業した。

2021年9月17日 (金) 22:34時点における版

キリル・サクスコブルクゴツキブルガリア語: Кирил Сакскобургготски, ラテン文字転写: Kiril Sakskoburggotski, 1964年7月11日 - )は、ブルガリア王国の元国王でブルガリア共和国の元首相であるシメオン・サクスコブルクゴツキ(シメオン2世)とその妻マルガリータの次男。ブルガリア王族としてプレスラフ公の儀礼称号を用いるが、これは国王フェルディナントの次男でシメオン2世の在位中に摂政を務めた同名の大叔父キリル王子と同じものである。

父シメオンのスペイン亡命時代にマドリードで生まれる。プリンストン大学物理学を学び、1986年に卒業した。

1989年に結婚した妻ロサリオとの間に1男2女がいる。2009年より夫妻は別居している。