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=== モバイルという大海図 ===
=== モバイルという大海図 ===
1990年、HWLは[[ケーブル・アンド・ワイヤレス]]および中国国際信託投資公司([[:en:CITIC Group|CITIC Group]])と三社合弁で[[アジアサット]]1号を打ち上げた。1991年この衛星が李とHWLの出資・手引きで[[スター (衛星放送)|スターテレビ]]の38カ国をカバーする放送網に使われた。[[ニューズ・コーポレーション]]が63%を出資した合弁事業であった<ref name=eng />。同年6月、[[P&O]]が主要港の一つ・'''[[フェリクストウ]]'''([[:en:Port of Felixstowe|Port of Felixstowe]], F港)の持分をHWLへ売却した<ref>[[英国放送協会]]電子版 "A real contender on the waterfront", 13 January 2008</ref>。そしてこのころ後述のHPHが[[メガターミナルオペレーター]]となった。1993年にサイモンがHWLを去った。1994年、HWLは[[東方海外貨櫃航運公司]]に7500万ドルを払い、F港の25%を取得して完全支配した<ref name=eng />。1996年に後述のOrange plcを上場させ、英米圏で携帯電話サービスをはじめた(HWLが当時48.2%を支配)。HWLグループの[[ワトソンズ]]も繁栄して、[[ウクライナ]]や[[バルト三国]]までその営業圏を広めた。
1990年、HWLは[[ケーブル・アンド・ワイヤレス]]および中国国際信託投資公司([[:en:CITIC Group|CITIC Group]])と三社合弁で[[アジアサット]]1号を打ち上げた。1991年この衛星が李とHWLの出資・手引きで[[スター (衛星放送)|スターテレビ]]の38カ国をカバーする放送網に使われた。[[ニューズ・コー]]が63%を出資した合弁事業であった<ref name=eng />。同年6月、[[P&O]]が主要港の一つ・'''[[フェリクストウ]]'''([[:en:Port of Felixstowe|Port of Felixstowe]], F港)の持分をHWLへ売却した<ref>[[英国放送協会]]電子版 "A real contender on the waterfront", 13 January 2008</ref>。そしてこのころ後述のHPHが[[メガターミナルオペレーター]]となった。1993年にサイモンがHWLを去った。1994年、HWLは[[東方海外貨櫃航運公司]]に7500万ドルを払い、F港の25%を取得して完全支配した<ref name=eng />。1996年に後述のOrange plcを上場させ、英米圏で携帯電話サービスをはじめた(HWLが当時48.2%を支配)。HWLグループの[[ワトソンズ]]も繁栄して、[[ウクライナ]]や[[バルト三国]]までその営業圏を広めた。


[[香港返還]]の1997年、HWLがボイスストリーム(VoiceStream Wireless PCS)の前身企業を買収した。1999年HWLはOrange株の45%を[[デュッセルドルフ]]のマンネスマン([[:en:Mannesmann|Mannesmann AG]])へ146億ドルで売却したが、2000年2月に[[ボーダフォン]]がマンネスマンを買収し、HWLがボーダフォン株の5%を取得した(この三割がすぐに130億ドル超で売却された)。一方で1999年にボイスストリームがオムニポイントを買収すると、HWLの株価が30%以上も上がった。2001年、ボイスストリームは[[ドイツテレコム]]に売却され[[T-Mobile US]]となった。1999年11月、HWLはグローバル・クロシング([[:en:Global Crossing|Global Crossing]])と12億ドルの[[光ファイバー]]合弁事業を香港でスタートしたが、しかし2002年1月までに相手方が財政破綻してしまい、債務整理で合弁事業の相手方持分をHWLが買い取った。このころHWLは[[第3世代移動通信システム]] (3G) を中心として、世界中のモバイル事業ライセンスへ資本参加した(日本・オランダ・イタリア・オーストリア・デンマーク・オーストラリア・ニュージーランド、2003年に投資先がさらに拡大)。<ref name=eng />
[[香港返還]]の1997年、HWLがボイスストリーム(VoiceStream Wireless PCS)の前身企業を買収した。1999年HWLはOrange株の45%を[[デュッセルドルフ]]のマンネスマン([[:en:Mannesmann|Mannesmann AG]])へ146億ドルで売却したが、2000年2月に[[ボーダフォン]]がマンネスマンを買収し、HWLがボーダフォン株の5%を取得した(この三割がすぐに130億ドル超で売却された)。一方で1999年にボイスストリームがオムニポイントを買収すると、HWLの株価が30%以上も上がった。2001年、ボイスストリームは[[ドイツテレコム]]に売却され[[T-Mobile US]]となった。1999年11月、HWLはグローバル・クロシング([[:en:Global Crossing|Global Crossing]])と12億ドルの[[光ファイバー]]合弁事業を香港でスタートしたが、しかし2002年1月までに相手方が財政破綻してしまい、債務整理で合弁事業の相手方持分をHWLが買い取った。このころHWLは[[第3世代移動通信システム]] (3G) を中心として、世界中のモバイル事業ライセンスへ資本参加した(日本・オランダ・イタリア・オーストリア・デンマーク・オーストラリア・ニュージーランド、2003年に投資先がさらに拡大)。<ref name=eng />

2021年11月2日 (火) 13:35時点における版

ハチソン・ワンポア・リミテッド
和記黄埔有限公司
Hutchison Whampoa Limited
種類 株式会社
市場情報 SEHK13
略称 HWL
設立 1977年
業種 サービス業
事業内容 港湾事業
小売業
不動産開発など
代表者 李嘉誠
主要株主 CKハチソン・ホールディングス
外部リンク Hutchison Whampoa Limited
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ハチソン・ワンポア・リミテッド(英文社名:Hutchison Whampoa Limited/略称:HWL, 中文社名:和記黄埔有限公司SEHK13)は、阿片戦争を契機に香港を地政学的な拠点とする英国資本のコングロマリット[1]。現地海運アライアンスのコアとなった。現在はCKハチソン・ホールディングス長江実業グループ)傘下の多国籍企業である。

2015年1月、グループ代表の李嘉誠テレフォニカにO2というプロバイダー事業を買収したいと申し出たが、しかしこのBTグループとセキュリコア(Securicor)の合弁事業がもともと巨大であったことなどが理由となり、2016年に欧州委員会の反トラスト委員会が取引をやめさせた。

五大事業

Hutchison Logistics Centre

HWLは現在[いつ?]、世界56か国で事業を展開し、22万人以上の従業員が勤務している。主力事業は、港湾、エネルギー・インフラ・投資、通信、不動産とホテル、小売業の5つから構成されている。

湾口オペレーター

和記黄埔港口(Hutchison Port Holdings, 略称:HPH)は、アジア中東ヨーロッパ北アメリカおよびアフリカで港湾の投資・開発・運営を行っている世界有数のメガターミナルオペレーターである。世界で取扱量の多い7つのコンテナ港のうちの5か所でコンテナターミナルを運営し、全世界コンテナ輸送の13%を担っている。

インフラ

長江基建有限公司(Cheung Kong Infrastructure, 略称:CKI)はHWLのインフラ部門であり、交通・エネルギー・インフラ資材・水道事業やその関連事業を行っている多角的インフラ会社である。HWLは香港島およびラマ島へ唯一電力を供給している香港電燈集団有限公司(Hongkong Electric Holdings, 略称:HEH)の株式を保有している。HWLはまた、カナダ最大のエネルギー会社の一つであるハスキー・エナジー (Husky Energy) の大株主でもある(2000年8月時点で49%)[1]

移動通信

ハチソン・ワンポアは移動体マルチメディア通信事業も行っており、「3」ブランドの下で3G事業やネットワーク構築を行っている。また、和記電訊國際有限公司 (Hutchison Telecommunications International Limited) を通じて国際的な通信事業会社として、アジア・中東及びアフリカの9つの市場で携帯電話ネットワークとデータサービスを提供している。また、イギリスに本社を置く携帯端末メーカーINQ(Inq Mobile)は同社の子会社である。フランス最大の通信会社で、かつてフランステレコムと称していたOrangeの社名は、元々はハチソン・ワンポアのイギリスでのブランド名であり、イギリスでの事業をフランステレコムに売却したことでブランドも移転したものである。ただし香港では売却後もOrange商標を使用していた。そのため現在のイギリスでの3とOrange UK (EE) は2Gでのローミングで提携している。豪州の3は、ボーダフォン豪州法人と経営統合したことに伴い、現在はボーダフォンブランドで営業を行っている。アメリカでは2000年1月からプライスライン(Priceline.com)を合弁で支援してきたが[1]、2012年ごろHWLがプライスラインの主要株主となった。2007年、エジプトのオラスコム・テレコムを買収し、和記電訊國際有限公司の株価を65%近く上昇させた[1]

不動産

和記黄埔地産集団 (Hutchison Whampoa Properties) は香港・北京上海のオフィスビルからイギリスの豪華な住居用不動産に至るまで種々の開発や投資を手掛けている。HWLは長江実業グループとともに、海逸国際酒店集団 (Harbour Plaza Hotel Management (International) Limited) という合弁会社を設立し、和記黄埔地産集団の傘下でホテル運営を行っている。

リテール

HWLの小売部門であるA.S.ワトソンズ(A.S. Watson & Co., Limited, 略称:ASW)は、アジアにおいてワトソンズスーパーマーケット「PARKnSHOP」、高級スーパー・食品販売店「TASTE」「GOURMET」「GREAT」、電器量販店チェーン「Fortress」、ワトソンズ・ワイン&セラー (Watson's Wine and Cellar)、免税店「Nuance-Watson」といった小売店チェーンを運営している。ヨーロッパでは美容・健康商品販売チェーン「DC」「Drogas」「Kruidvat」「Rossmann」「Savers」「Superdrug」「Trekpleister」「Spektr」などを展開するとともに、高級香水化粧品販売の「Marionnaud(2005年に買収)」「ICI PARIS XL」「The Perfume Shop」も展開している。

歴史

貿易摩擦の化石

1860年九龍南京条約の租借圏に加えられた。1861年に香港黄埔埠頭社(香港黄埔船塢有限公司、Hongkong and Whampoa Dock Company (HWD))を、1880年に和記企業有限公司 (Hutchison International)を、いずれもイギリス商人(John Duflon Hutchison)が香港で設立した。これら二社がハチソン・ワンポアのルーツである。前者は現地で最初に登録された会社であった。オーナーのジョン・クーパー(John Couper)はアロー戦争の間に行方不明となったが、残された会社はヨーロッパ人で賑わう広東で乾ドックを営み存続した。1865年、やっと香港にドックを買った(紅磡か)。広東と九龍をつなぐ鉄道に接続して、門戸開放の旗手となった。香港は、義和団の乱満州国、そして二度の世界大戦によりダメージを受けたが、二社とも成長をやめなかった。[1]

オセアニアの動脈

1950年代は依然として二社が独立していた。1960年代に和記企業有限公司はダグラス・クレーグ(Douglas Clague)の下でHWDの支配権を握った。このダグラスはローデシア生まれの軍人で、戦後から大班として活躍していた。オイルショックがダグラス帝国をぐらつかせると、香港上海銀行(現HSBC)が資本注入ついでに、オーストラリア出身の会社顧問ビル・ウィリー(Bill Wyllie)を派遣してきた[1]。ビルは1976年にダグラス帝国の非採算事業を103社も売り払い現金化した。1977年、資金を得た和記企業有限公司はHWDの全株を取得してハチソン・ワンポア・リミテッド (HWL) となった[1]

長江実業グループへ

1979年、香港上海銀行からの売却で李嘉誠がHWLの株22.8%を取得した。このときダグラスが李嘉誠を支援していた。1981年、李がHWLの会長となり、ビルは出て行った[1]。李は、アルフレート・クルップのように若くして家族を養う境遇を生きてきた。造花のホンコンフラワーを売りさばき、ただでさえ巨大人口の中国では貴重な石油の浪費に貢献した人物でもある。1984年、HWLは6.71億ドルの利益を計上した。それまで年間5万人の専門職業人が中国本土から香港へ流れていたので、この1984年に中国はその他山積する問題とともに解決する合意をイギリスから取り付けた。また、このころ元フランス外人部隊のサイモン・マレー(Simon Murray)がマネージング・ディレクターとして入社した[1]。1985年に電話会社をつくって、香港の携帯電話サービスを草分けた。ここから1989年まで親会社は経営の多角化と拡大に努め、同年23億ドルの利益を計上した。

モバイルという大海図

1990年、HWLはケーブル・アンド・ワイヤレスおよび中国国際信託投資公司(CITIC Group)と三社合弁でアジアサット1号を打ち上げた。1991年この衛星が李とHWLの出資・手引きでスターテレビの38カ国をカバーする放送網に使われた。ニューズ・コープが63%を出資した合弁事業であった[1]。同年6月、P&Oが主要港の一つ・フェリクストウPort of Felixstowe, F港)の持分をHWLへ売却した[2]。そしてこのころ後述のHPHがメガターミナルオペレーターとなった。1993年にサイモンがHWLを去った。1994年、HWLは東方海外貨櫃航運公司に7500万ドルを払い、F港の25%を取得して完全支配した[1]。1996年に後述のOrange plcを上場させ、英米圏で携帯電話サービスをはじめた(HWLが当時48.2%を支配)。HWLグループのワトソンズも繁栄して、ウクライナバルト三国までその営業圏を広めた。

香港返還の1997年、HWLがボイスストリーム(VoiceStream Wireless PCS)の前身企業を買収した。1999年HWLはOrange株の45%をデュッセルドルフのマンネスマン(Mannesmann AG)へ146億ドルで売却したが、2000年2月にボーダフォンがマンネスマンを買収し、HWLがボーダフォン株の5%を取得した(この三割がすぐに130億ドル超で売却された)。一方で1999年にボイスストリームがオムニポイントを買収すると、HWLの株価が30%以上も上がった。2001年、ボイスストリームはドイツテレコムに売却されT-Mobile USとなった。1999年11月、HWLはグローバル・クロシング(Global Crossing)と12億ドルの光ファイバー合弁事業を香港でスタートしたが、しかし2002年1月までに相手方が財政破綻してしまい、債務整理で合弁事業の相手方持分をHWLが買い取った。このころHWLは第3世代移動通信システム (3G) を中心として、世界中のモバイル事業ライセンスへ資本参加した(日本・オランダ・イタリア・オーストリア・デンマーク・オーストラリア・ニュージーランド、2003年に投資先がさらに拡大)。[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l International Directory of Company Histories, Vol.111.
  2. ^ 英国放送協会電子版 "A real contender on the waterfront", 13 January 2008

関連項目