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* [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年)
* [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年)
* 『[[オデュッセイア]]/[[アルゴナウティカ]]』[[松平千秋]]・[[岡道男]]訳、[[講談社]](1982年)
* 『[[オデュッセイア]]/[[アルゴナウティカ]]』[[松平千秋]]・[[岡道男]]訳、[[講談社]](1982年)
* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照男訳、[[講談社学術文庫]](2005年)
* [[ヒュギーヌス]]『ギリシャ神話集』[[松田治]]・青山照男訳、[[講談社学術文庫]](2005年)
* [[ホメロス]]『[[イリアス]](上・下)』松平千秋訳、岩波文庫(1992年)
* [[ホメロス]]『[[イリアス]](上・下)』松平千秋訳、岩波文庫(1992年)

2021年11月15日 (月) 10:48時点における版

松明を持ったヘカテーと戦う巨人クリュティオス。ペルガモンの大祭壇英語版ベルリンペルガモン博物館

クリュティオス古希: Κλυτίος, Klytios)は、ギリシア神話巨人、あるいは人物である。主に、

などのほか数人が知られている。

ギガースの1人

このクリュティオスは、ギガースの1人。ギガントマキアーのさいに神々と戦い、ヘカテー松明で殴り殺された[1]

ペーノーの父

このクリュティオスは、アテーナイの人で、娘ペーノーの父。ペーノーはシキュオーンラーメドーンの妻で、ゼウクシッペーの母[2]。またクリュティオスの子孫イアニスコスはシキュオーンの王[3]

エウリュトスの子

このクリュティオスは、オイカリア王エウリュトスとピュローンの娘アンティオペーの子で[4]、兄弟のイーピトスとともにアルゴナウタイの1人[5][4]コルキスアイエーテースに殺されたという[4]

アルクマイオーンの子

このクリュティオスは、アルクマイオーンとペーゲウスの娘アルシノエー[6]あるいはアルペシボイアの子[7]。クリュティオスは予言者の一族クリュティダイの祖で、アルクマイオーンを殺したのが母の兄弟たちと知ったとき、彼らと同じ土地に住むことを嫌い、エーリスに移った[8]

ラーオメドーンの子

このクリュティオスは、トロイア王ラーオメドーンの子で、ティートーノスラムポスヒケターオーンプリアモスヘーシオネーキラアステュオケーと兄弟[9]カレートール[10][11][12]、また一説にプロクレイアの父[12]

トロイア戦争のときクリュティオスはトロイアの長老の1人だった[13]。しかしラーオメドーンとその子供たちはプリアモスを除いてヘーラクレースに殺されたともいわれる[14]。子のカレートールはトロイア戦争で大アイアースに討たれた[15]

その他のクリュティオス

脚注

  1. ^ アポロドーロス、1巻6・2。
  2. ^ パウサニアス、2巻6・5。
  3. ^ パウサニアス、2巻6・6。
  4. ^ a b c ヒュギーヌス、14話。
  5. ^ ロドスのアポローニオス、1巻86行-87行。
  6. ^ アポロドーロス、3巻7・5。
  7. ^ パウサニアス、8巻24・8。
  8. ^ パウサニアス、6巻17・6。
  9. ^ アポロドーロス、3巻12・3。
  10. ^ 『イーリアス』15巻419行。
  11. ^ 『イーリアス』15巻428行。
  12. ^ a b パウサニアス、10巻14・2。
  13. ^ イーリアス』3巻147行。
  14. ^ アポロドーロス、2巻6・4。
  15. ^ 『イーリアス』15巻419行-441行。
  16. ^ 『イーリアス』11巻302行。
  17. ^ アポロドーロス、摘要(E)7・27。
  18. ^ アポロドーロス、摘要(E)7・28。
  19. ^ アポロドーロス、摘要(E)7・29。

参考文献