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==SASUKEでのテーマ曲==
==SASUKEでのテーマ曲==
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2021年11月23日 (火) 09:16時点における版

秋山 和彦(あきやま かずひこ、 1973年1月3日[1] - )は、TBSSASUKE』のSASUKEオールスターズの1人。最初にSASUKEの完全制覇を達成した人物。クイックマッスル(3分間腕立て伏せ)大会記録保持者(307回)。逢和治療院 院長。北海道在住。身長161cm、体重56kg(2012年12月時点)。体脂肪率は5.8%(1999年時点)。

概要

1996年筋肉番付内で行われた『クイックマッスル全国選手権』に出場し、山田勝己に敗れて準決勝敗退するも、307回という大会最高記録を叩き出す。この活躍が評価され、1998年秋の第2回大会にSASUKE初出場(当時25歳)。後述の弱視というハンデを抱えながらも、1999年秋の第4回に史上初の完全制覇を達成。2006年秋の第17回まで7年間の長きに渡って唯一の完全制覇者だった。

2012年の第28回大会をもってSASUKEを引退し、現在はアームレスリング世界王者という新しい夢を追いかけている。

人物

弱視

先天性の弱視を患っており、それにより数々の夢を断念してきた。高校時代から始めたレスリングオリンピックに出場するため自衛隊に入隊して練習してきたが、弱視のためにこの夢を諦めた。その後、父の後を継いで毛ガニ漁師となったものの、船舶免許を取得できないため家業を継ぐことができずに断念。その後は、指圧師の資格を取るため、鍼灸の専門学校である北海道高等盲学校に入学。1999年秋にSASUKEで完全制覇を達成した際の賞金200万円で自身が院長を務める治療院を設立した。設立当初の名称は「秋山治療院」であり、2005年にはオールスターズの仲間からの提案で「逢和治療院」へと名称を変えている。

弱視というハンデゆえに飛びつくエリアが非常に苦手であるが、トランポリンを購入して目を閉じてもネットが掴めるようになるまで練習するなど、完全制覇後も努力を惜しまなかった。また、第6回前には地上数十メートルの橋にクリフハンガーの要領でぶら下がり、何も身につけずに渡りきるという命がけのトレーニングを行っていた。

当初、秋山の弱視は本人の意向により伏せられており、番組サイドは以前からそのハンディを把握していたが、1996年の筋肉番付出演から1999年春のSASUKE第3回大会まで秋山の弱視が番組で言及されることはなかった。1999年秋のSASUKE第4回大会の完全制覇後、総合演出の乾雅人は秋山本人に番組で弱視を公表して良いかを訊ねたところ、断られたという。しかし、乾は「『ハンディがあったって、普通の人ができないこんなすごいことができるぜ』と語ることは意味があるんじゃないか」と秋山を説得し、放送で使用する許可を得ることができたと語っている[2]

影響

総合演出を務める乾雅人は、SASUKEのテーマとして掲げている「名もなきアスリートたちのオリンピック」は、秋山が発端だったことを明かしている。

「彼が挑戦するにいたった流れがとてもドラマチックだったのです。彼はもともと、自衛隊員として、レスリングの五輪選手を目指していましたが、先天的な目の病気が悪化。その後、家業のカニ漁師として働きますが、目の障害のため、船舶免許の取得もできず、家業を継ぐことはあきらめざるをえなくなってしまったのです。彼と会った当時は、札幌の盲学校で鍼灸師の勉強中でした。『SASUKE』にも毎回挑戦してきましたが、日没後の収録で薄暗くなると、彼にはエリアがほとんど見えなくなってしまう。当然、リタイアの連続。僕が、もうやめたらどうかと言うと、彼は『ハンディキャップがあることを言い訳にしたくないからやめません』と。『これはある種、人間の生きざまだ!』と思いました。」[3]

愛称

毛ガニ漁師だったことから、当時の実況者である古舘伊知郎には「毛ガニの秋山」の愛称で呼ばれた。古館はその他にも、1st STAGEのスタート地点で秋山が抱えている毛ガニを「守護神」、秋山の鍛え抜かれた肉体を「背中はまるで渡りガニ状態」、第2回〜第4回には「一人かに道楽」など、毛ガニ関連の愛称を数多く残している。

実の弟である秋山公宏はホタテ漁師である。

SASUKEでの戦歴

第2回大会〜第3回大会

第2回に初出場。クイックマッスル全国選手権で最高記録307回を叩き出した活躍が評価され、ゼッケン100番での登場[4]。1stを18.63秒残して難なく突破。しかし2ndは弱視の影響によって暗闇の中の障害物がよく見えず、動く壁を中心とするスパイダーウォークでタイムロス。最終エリアのウォールリフティングでタイムアップとなる(ゼッケン100)。

第3回は、1stを残り3.6秒で突破した。しかし、前回同様2ndスパイダーウォークで時間を費やし、さらに五連ハンマー前で約7秒の立ち往生。この時点で残り10秒の警告音が鳴り、再びウォールリフティングでタイムアップとなる(ゼッケン99)。

第4回大会 (完全制覇)

第4回は1stを20.92秒残しで突破[5]。2ndも2大会連続で苦戦していたスパイダーウォーク、五連ハンマーをハイペースで突破し、残り時間10秒を残してウォールリフティングを攻略。ゴール前でバック宙を披露し、7,4秒というタイムを残した。後に、スパイダーウォークを克服したのは履物をレスリングシューズから足袋に変えたからだと語っている。

初挑戦の3rdではプロペラうんていに終始片手一本でぶら下がる余裕を見せ、新設されたクリフハンガーも突破。パイプスライダーではバーのスライドに苦戦し、ゴールに飛び移った際に飛距離が足りず両足を踏み外すも、腕の力でゴールにしがみ付いてクリア。

ただ一人進出したファイナルステージを驚異的な速さで登りきり、6,0秒という時間を残して史上初の完全制覇を達成。頂上では実況の古舘に感想を求められ、「やっぱり気分いいです。ずっと一番になりたかったので。スタッフの皆さんにチャンスを何回ももらっていたのに自分のものにできなくて、本当申し訳ないと思ってたので良かったです」と語っている(ゼッケン86)。

この完全制覇を達成したシーンは『サスケマニア』で募集された「SASUKE名場面BEST10」で視聴者から多くの票を集め、第2位に選出された。SASUKEオールスターズ山本進悟もこの場面を選び、「当時(ファイナルを)クリアするのは無理だと思ってたから、秋山君のクリアで、あ、いけるんだと思いました」というコメントを残している。

また、総合演出の乾雅人は、2018年のインタビューにて『過去に一番印象に残っているシーン』として秋山の完全制覇をあげている。前述の通り、秋山の弱視は本人の意向により伏せられていたが、「『ハンディがあったって、普通の人ができないこんなすごいことができるぜ』と語ることは意味があるんじゃないか」と説得し、番組で公表をする運びになったという[2]

完全制覇達成による賞金200万円で、念願であった自身の治療院を設立。それにより第5回は欠場している。

第6回大会〜第10回大会

第6回は自身の完全制覇による全面リニューアルから初の出場。ゼッケン100番での登場となるが、新設されたジャンプハングでトランポリンの前方を踏んでしまい、バランスを崩して落下し、自身初の1stリタイア。タオルに顔を埋めて泣き崩れ、盟友の山田勝己が歩み寄り励ます場面もあった。なお、今大会のみスタート地点で毛ガニを抱えていなかった(ゼッケン100)。

第7回は1stジャンプハングのネットを掴んだものの、反動で落下。弱視でエリアが見えにくいことが災いした。自身初の2大会連続での1stリタイアとなった(ゼッケン99)。

第8回は17万円のトランポリンを購入し、自宅で何度も練習を重ねたものの、再びジャンプハングでリタイア。後のインタビューでは「今までやってきたことが無駄になったなというか、応援してくれていた皆に申し訳ないです」と語っている(ゼッケン99)。

第9回は大会前に引退を示唆する発言をし、ゼッケン100番での出場。しかしスタートエリア五段跳びでバランスを崩し、足が着水。周囲も本人も唖然の結果となってしまった(ゼッケン100)。

大会終了後に放送された『ZONE』では、自身の競技終了後に引退するか続行するかに苦悩し、「これができなければ引退」と呟きながら挑んだジャンプハングを初めて成功させ、SASUKE続行に前向きになった姿が放送された。

第10回は70万円の費用を投じ、自宅に本物よりも高いそり立つ壁や、前回登場の新エリア・ランプグラスパーなどのセットを作り対策。肌を焼き、ヒゲも生やし、心機一転で挑んだ。3大会連続で脱落していたジャンプハングを初めて攻略するも、練習を積んだそり立つ壁でタイムアップ。これで完全制覇後、5大会連続1stリタイアとなる。後のインタビューでは「ジャンプハングを下ってるとき、もう1stSTAGEいけるって思ったのが、気抜けっちゃたんですかね」と語っている(ゼッケン981)。

第11回大会〜第12回大会

第11回前の2002年11月に過度なトレーニングを行ってしまったことにより、左膝を故障。11月から2か月半の入院生活を余儀なくされ、脚力が低下。退院後は自宅のそり立つ壁さえ一度もクリアできずに本大会に挑むことになった。

今大会はホタテ漁師の弟である秋山公宏(ゼッケン82)も出場し、1stのバランスブリッジでリタイアした。

本人はゼッケン99番で出場。秋山の前まで4人連続で1stをクリアしている中での挑戦となった。ジャンプハングは安定した攻略を見せた。直後の攻略は絶望的と思われていたそり立つ壁を3度目に成功させ、残り7秒でロープクライムに到達。最後はタイムアップの音と同時にボタンを押し、残り0.03秒で3年半ぶりの1stクリアを果たした。クリア後はオールスターズやインタビュアーから祝福の声が多く届き、涙を流した。3年半ぶりの進出となった2ndは残り2.8秒でクリア。3rdまで進出したが、初挑戦となったボディプロップで脱落し、自慢の腕力を見せることが出来なかった(ゼッケン99)。

第12回は1stを危なげなく突破。2ndも難なく進んでいたが、ウォールリフティングの3枚目(50kg)の壁で足を挟んでしまうというアクシデントに見舞われる。しかし3rdは本人が「ボディプロップさえクリアすれば、あとは僕の得意分野です」と語った通り、持ち前の腕力で次々と難関エリアを攻略し、第4回以来となる最終エリア・パイプスライダーまで到達。移動を順手・逆手で行い、ゴール前に両逆手にする方法をとった。大きく反動をつけてしがみつこうとしたが弾かれ、脱落。今大会が完全制覇後の自己ベストとなっている(ゼッケン97)。

第13回大会〜第17回大会

出場権獲得のために行われたSASUKEトライアルでは11.01秒のタイムを残し、総合10位となる。

第13回は大会前に自宅に製作したセットを解体した。本大会は1stが日没後の挑戦となったこともあり、ねじれた壁のロープの位置の確認に気を取られ、踏み切りを失敗して脱落(ゼッケン91)。その後の大会では極力昼のうちに挑戦できるゼッケンまで下げられている。

第14回は1stねじれた壁を突破したものの、直後のそり立つ壁でタイムアップ(ゼッケン71)。

第15回は最高気温34℃の猛暑でスタミナ切れし、またしても1stそり立つ壁でタイムアップ。リベンジを果たすことが出来なかった(ゼッケン81)。

第16回は大会前に白鳥文平宅で長崎峻侑、小林信治らと「SASUKE合宿」を敢行。2大会連続でリタイアしているそり立つ壁を中心とした練習を行った。本大会はそり立つ壁を一発で成功し、1stを11.00秒残して4大会振りの1stクリア。続く2ndでは、メタルスピンで多くの脱落者が出ている中、秋山も同エリアで掴みを失敗し、脱落(ゼッケン71)。

第17回は大会前に白鳥文平宅で長野誠竹田敏浩らと「SASUKE合宿」を敢行。1stの新エリア・サークルスライダーでロイター板の使い方を誤り踏切に失敗し、サークルに手が届かず落下した(ゼッケン71)。また、第11回に続いて弟の秋山公宏が出場したが、放送では全カットとなっている。

第18回大会〜第25回大会

第17回に長野誠が史上2人目の完全制覇を達成したことにより、秋山は引退を決意。大会後、秋山は「SASUKEのチャンピオンは、もう僕じゃなくて長野誠です」、「自分がした完全制覇は完全に過去のものだと思っています」というコメントを残している。完全に引退するわけではなく、気が向いたらまた挑戦したいという発言をしており、今後はその情熱を仕事と家族に向けたいと語っている。

第18、19回は欠場。

招待状が届いた第20回記念大会に出場が決定。ゼッケン1901番となり、トップバッターまたは自身初の前半戦での登場となった。1stポールメイズで時間を費やしてしまうも、続くジャンピングスパイダーをなんとか堪え攻略。その後ハーフパイプアタックのロープを掴み損ねて脱落した(ゼッケン1901)。

第21回は欠場。

第22回はゼッケン20番での出場。1stハーフパイプアタックでの助走の際に1歩目を踏み外し、そのまま滑り落ちた(ゼッケン20)。

第23回は欠場。

第24回は初めて坊主頭で出場。1stでは過去2度リタイアしているハーフパイプアタックをクリアするものの、直後のそり立つ壁でタイムアップ(ゼッケン62)。

第25回は抽選によりゼッケンが決められていたものの、完全制覇の3人はシードとしてそれぞれ100(漆原裕治)、99(長野誠)が与えられ、秋山はゼッケン98番での挑戦。第13回以来となるゼッケン90番台での出場、また日没後の挑戦となった。1stステージでは、復活エリアであるジャンプハング、その直後の新エリア、ブリッジジャンプではロープがよく見えずに戸惑う姿が見られたが見事攻略。しかしながらその後のそり立つ壁で再びタイムアップとなる。後のインタビューでは「そり立つ壁は人生の壁かな」というコメントを残している(ゼッケン98)。

第26、27回は欠場。

第28回大会以降

第17回の引退宣言後も度々出場をしていた秋山だが、第28回大会前に「これからはアームレスリング一本でやっていきたいっていう気持ちのほうが強くなってきて、今回でSASUKEは最後にしたいです」と語り、新しい夢を追いかけていることを告白した。

その後、番組視聴者および関係者に向けて、以下のメッセージを送っている。

「目が悪くなければ、今のSASUKEの道にも入ってないし、仲間とも出会っていません。もちろんスタッフの皆さんとも出会っていません。自分は漁師を継げなくて良かったなって今は思ってます。目に障害があって良かったなっていう風に今本当に思ってます。それは完全制覇したことよりも一番の自分の財産です。SASUKEをやめた後もよろしくお願いします、ありがとうございました。」

本大会は妻と息子を緑山に連れての参戦となり、オールスターズの先陣を切るゼッケン96番での登場となった。過去リタイア経験のある五段跳び、初挑戦となるローリングエスカルゴを危なげなく攻略するも直後のスピンブリッジ3つ目の玉でバランスを崩してリタイアとなる。

後のインタビューでは、「自分は13年前に史上初の完全制覇をして、しばらく1人完全制覇者として良い想いをさせてもらいましたし、今自分たちより若い選手が活躍しているのを見ると、もう自分はもう終わったんだなという想いも今日ありましたし、自分はもうこれでSASUKEは卒業と思っているので、後に続くオールスターズの応援をします。どうもありがとうございました」と語り、会場は暖かい拍手に包まれた。

その後、第32回には引退する長野誠の応援に駆けつけていた。

また、第36回では初となる横浜赤レンガ倉庫でのFINAL生放送に合わせ、ゲストとして現場に招待された。

SASUKEに出場した大会の結果

大会別成績

大会 ゼッケン STAGE 記録 備考
第2回大会 100 2nd WALL LIFTING RUN 2枚目、タイムアップ
第3回大会 99 2nd ウォールリフティング 1枚目、タイムアップ
第4回大会 86 FINAL 完全制覇 SASUKE史上初、最優秀成績
第6回大会 100 1st ジャンプハング 池に落下
第7回大会 99 1st ジャンプハング 掴み失敗
第8回大会 99 1st ジャンプハング 掴み失敗
第9回大会 100 1st 五段跳び 着地地点、足が着水
第10回大会 981 1st そり立つ壁 タイムアップ
第11回大会 99 3rd ボディプロップ 3個目の空白
第12回大会 97 3rd パイプスライダー 着地失敗
第13回大会 91 1st ねじれた壁 掴み失敗
第14回大会 71 1st そり立つ壁 タイムアップ
第15回大会 81 1st そり立つ壁 タイムアップ
第16回大会 71 2nd メタルスピン 掴み失敗
第17回大会 71 1st サークルスライダー 掴み失敗
第20回大会 1901 1st ハーフパイプアタック 掴み失敗
第22回大会 20 1st ハーフパイプアタック 滑落
第24回大会 62 1st そり立つ壁 タイムアップ
第25回大会 98 1st そり立つ壁 タイムアップ
第28回大会 96 1st スピンブリッジ 3個目

通算成績

出場数 2nd進出 3rd進出 FINAL進出 最優秀成績
20回 6回 3回 1回 1回
  • 2012年 第28回大会終了時
  • 太字は最高記録

SASUKEトライアル(2004年)

種目 STAGE 制限時間 残り時間 順位 クリア人数
SASUKEトライアル 1st 80秒 11.01秒 10位 15人

SASUKEでのテーマ曲

専用のBGMがテーマソングとして存在する。

曲名 出典 初使用回  備考
The Scorpions Mission G.I.ジェーン 6回

特筆

弱視のため、ジャンプしてロープなどの障害物に掴まるエリアを苦手としている。また特にジャンプハング、そり立つ壁のリタイアが多い。一方、クイックマッスル(後述)で好成績を残しているように、腕力を要するエリアは得意である。3rdは挑戦した3回中2回パイプスライダーまで進出している。

現時点でSASUKE完全制覇は第4回の秋山も含め、第17回の長野、第24回の漆原裕治と、第31回の森本裕介の4名が達成しているが、そのうちファイナルステージ初挑戦で制覇したのは秋山と森本の2名だけである(長野は4回目、漆原は2回目のファイナル挑戦で制覇)。

ゼッケン100番(第2回、第6回、第9回)とゼッケン1番(第20回:正式には1901番)の両方を着用した経験のある唯一の選手でもある。

パイプスライダー最後のジャンプでは独特の手法を用いており、多くの選手が前後に反動をつけて弧を描くようにして飛ぶ中、秋山はほとんど後ろの反動をつけずに直線的にゴール地点に飛びつくようにしている。パイプの後退に苦戦し飛ぶ前に落下した選手が相次いだ第4回ではこれが功を奏し、参加者唯一のFINAL進出を果たした。しかし第12回ではゴール地点が離されていたこともあり、足をかけたものの勢いにはね返されてリタイヤとなった。

3rd最終エリア到達数は2回。そのうち第4回は完全制覇を達成したが、前述の1stステージとの相性もあり、オールスターズとしては最少である。ちなみに同数記録した選手には高橋賢次又地諒など第3期以降に活躍する有力選手が名を連ねる。

完全制覇者の中で唯一全カットの経験が無い。

筋肉番付での活躍

クイックマッスル(3分間腕立て伏せ)

1996年9月7日、『筋肉番付』内で開催された『クイックマッスル全国選手権』に北海道代表として出場。予選はランキング4位で通過し、本選に出場。

本選では1回戦で260回という記録を残して2回戦進出。2回戦の相手は当時事実上のチャンピオンであり、286回の最高記録を保持していたランキング1位の朝野公平。序盤からハイペースで回数を重ね、残り18秒あたりで朝野の持つ286回の記録を更新。最終的に307回の記録を残し、296回の朝野に勝利。秋山は「後のこと考えないで、これを勝てれば後は負けてもいいという気持ちでやった」というコメントを残している。

準決勝の相手は1回戦、2回戦共に250回の記録を残していた山田勝己。当時はセンサーが用意されておらず、秋山が低い姿勢の腕立てをしたとして2度の警告(1度につき10秒間のペナルティー)を受ける。終盤まで山田に引き離されるも、残り15秒から秋山が猛烈な追い上げを見せ、結果は両者298回。審議となり、秋山が2度の警告をうけていたため、山田が決勝へ駒を進めた。大会では敗れたものの、2回戦で記録した307回は大会最高記録となっている。

秋山はこの大会での活躍をきっかけにSASUKE出場を果たしている。

第17回終了時に、お台場マッスルパークにて10年ぶりの腕立て勝負が行われた。秋山は「テレビに出るようになったのがあの腕立てなんで、常に頭の中にはありますし、なんで警告が2回で負けなのかなって、今でも納得できないんです」と語り、本番前には「勝ってスッキリしたいです」と意気込んだ。10年のブランクを感じさせない両者は、秋山253回、山田222回で幕を閉じた。この勝負は『サスケマニア』にて放送された。

MUSCLE RECORD 9ミニッツ(9分間腕立て伏せ)

1997年12月27日、『筋肉番付スペシャル!!』として東京湾アクアラインで行われた『MUSCLE RECORD 9ミニッツ』に北海道代表として出場。ルールは3分間腕立てして1分間休憩、これを3ラウンド繰り返すというもの。大会では597回を記録し、伊藤忠夫(682回)、山田勝己(644回)に次いで第3位となる。

また、秋山は45分間腕立て伏せ1500回という記録も保持している。

三色筋肉(マッスルジム)

2001年、『筋肉番付内』の1コーナーである筋肉行脚にて山田勝己と対決を行った。序盤から快調なペースで山田を引き離すものの、山田が腕立て残り10秒で猛烈な追い上げを見せ逆転。結果は山田202回、秋山200回で山田の勝利となった。後ろでNo.1決定戦の垂れ幕が下がっていたため、収録されたのはスポーツマンNo.1決定戦時だと思われる。

海筋肉王(バイキング)

フジテレビの「海筋肉王」にも2005年4月に出場。

個人戦第2弾に初出場。予選会では1分間腕立て伏せ164回の記録を作り、第1位の成績となった。1stスイングマストでリタイアとなる。

大会 ゼッケン STAGE 記録 備考
個人戦第2弾 50 1st スイングマスト 着地失敗

本大会以外での出来事

  • ゲームボーイ専用ソフト「筋肉番付GB3〜新世紀サバイバル列伝〜」に秋山をモデルにした「マッスルシーマン」というキャラクターで登場。全キャラ中トップクラスのパワーを持つミスター・ボンベ(山田勝己がモデル)に匹敵するパワーとスタミナを持つ。
  • 第4回大会の1st〜FINALの映像は当時『筋肉番付』の公式サイトで視聴することができた。また、PS2専用ソフト『筋肉番付〜マッスルウォーズ21〜』の「マッスルシアター」で一定の条件を満たすことにより、FINALの映像をフルで視聴することができる。
  • 2006年12月13日。お台場のマッスルパーク報道イベントに、山田勝己、長野誠と共に参加。
  • 2007年4月29日マグロフェスタに参加。同じ日に、長野誠、竹田敏浩、白鳥文平も参加している。
  • 2008年4月26日マグロフェスタに参加。同じ日に、長野誠、竹田敏浩、山田勝己も参加している。
  • 2008年4月27日マグロフェスタに参加。同じ日に、長野誠、竹田敏浩、山田勝己、山本進悟も参加している。
  • 2016年6月15日放送の「水曜日のダウンタウン」に出演。庄司智春がプレゼンした「ゲーム×現実 SASUKE マリオ」の企画に山田と共にSASUKE代表として出場し、SASUKEとスーパーマリオメーカーを組み合わせた種目(本放送第32回の1stステージ)に挑戦した。約3年半ぶりのSASUKE挑戦となったが、秋山は第1エリアのクワッドステップスでジャンプ距離が足りず落水。その際山田に「秋山くんの癖で(足場の)上踏んでまうんですよ」と指摘されていたが、その山田も第1エリアで着水した。
  • 2019年4月24日放送の同番組に再び出演した。池谷直樹式腕立て伏せと称した、体制を問わず顎でカウンターに触れた回数を競うという検証に、クイックマッスル世界記録保持者として参加。3分間で544回という圧倒的な記録で優勝した。

出演

テレビ(筋肉番付関連)

テレビ(その他)

  • ZONE(TBS)
  • 時空を超えた大実験!(2010年10月30日、TBS、山本進悟、長野誠、高橋賢次と共に出演)
  • 水曜日のダウンタウン(2016年6月15日、2019年4月24日、TBS)

DVD

  • 『SASUKE』30回記念DVD 〜SASUKEヒストリー&2014スペシャルエディション〜

脚注

  1. ^ SASUKE RISING 公式サイト
  2. ^ a b 『SASUKE』総合演出が語った番組誕生&制作秘話「モチーフになっているのは、あの世界的人気ゲームです」
  3. ^ 海外でも爆発人気、「SASUKE」の魅力
  4. ^ 初出場でのゼッケン100番は、第1回を除くと、第2回の秋山和彦、第18回の粂良太(ゼッケン争奪マラソンによる決定)のみ。
  5. ^ 放送された中では2位のタイム(ゼッケン86番までの中では1位)。1位はゼッケン94番のトラビス・A・シュレイダー(22.71秒残し)。

外部リンク