「ダイヤモンドの鷹」の版間の差分
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創設以来[[大阪府]]を本拠としていた南海ホークスを[[南海電気鉄道]]から[[ダイエー]]が買収、[[1989年の野球|1989年シーズン]]より福岡ダイエーホークスへ球団名を変更し、[[福岡県]]を新たな本拠として再出発するに当たり制作され、[[1月19日]]に[[博多駅]]隣のホテルセントラーザ博多において開催された披露パーティーの席で発表された<ref name="sponichi">{{Cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_january/KFullNormal20071226151.html|title=【1月19日】1989年(平1)若鷹軍団、福岡へ飛来 必要経費は4億円|newspaper=[[スポーツニッポン]]|accessdate=2012-10-17}}{{リンク切れ|date=2018年11月}}</ref>。本曲について作曲を担当した宇崎は「ファンクでノリのいい作品にしようと思い、最高にファンキーでビビッドな曲に仕上がった」と、また作詞を担当した阿久は「涙が出るくらいの昂揚で、それこそ鷹になってダイヤモンドに散ってもらいたい」とコメントしたが<ref name="sponichi" />、それまでの[[軍歌]]や[[行進曲]]風の曲調が主流であった球団歌のイメージからかけ離れた[[ロック (音楽)|ロック]]調の本曲に対して[[山内孝徳]]は「ナウすぎて、ついていけない」と評し、[[プロ野球監督|監督]]の[[杉浦忠]]も「すぐには覚えられないなあ」とコメントするなど、選手や監督の評価は芳しいものではなかった<ref name="sponichi" />。 |
創設以来[[大阪府]]を本拠としていた南海ホークスを[[南海電気鉄道]]から[[ダイエー]]が買収、[[1989年の野球|1989年シーズン]]より福岡ダイエーホークスへ球団名を変更し、[[福岡県]]を新たな本拠として再出発するに当たり制作され、[[1月19日]]に[[博多駅]]隣のホテルセントラーザ博多において開催された披露パーティーの席で発表された<ref name="sponichi">{{Cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_january/KFullNormal20071226151.html|title=【1月19日】1989年(平1)若鷹軍団、福岡へ飛来 必要経費は4億円|newspaper=[[スポーツニッポン]]|accessdate=2012-10-17}}{{リンク切れ|date=2018年11月}}</ref>。本曲について作曲を担当した宇崎は「ファンクでノリのいい作品にしようと思い、最高にファンキーでビビッドな曲に仕上がった」と、また作詞を担当した阿久は「涙が出るくらいの昂揚で、それこそ鷹になってダイヤモンドに散ってもらいたい」とコメントしたが<ref name="sponichi" />、それまでの[[軍歌]]や[[行進曲]]風の曲調が主流であった球団歌のイメージからかけ離れた[[ロック (音楽)|ロック]]調の本曲に対して[[山内孝徳]]は「ナウすぎて、ついていけない」と評し、[[プロ野球監督|監督]]の[[杉浦忠]]も「すぐには覚えられないなあ」とコメントするなど、選手や監督の評価は芳しいものではなかった<ref name="sponichi" />。 |
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ファンの間でも本曲より同年に一般公募を経て製作・発表された公式[[応援歌]]「[[いざゆけ若鷹軍団]]」の方が圧倒的な支持を獲得し、[[1993年]](平成5年)の新本拠地・[[福岡ドーム]]完成以降はその傾向が一層、顕著となる。本楽曲は試合前の練習中や、本拠地最終戦終了後のセレモニー等でしか使用されなくなり、[[1999年]](平成11年)に球団が南海時代以来26年ぶりのリーグ優勝と35年ぶりの[[1999年の日本シリーズ|日本シリーズ制覇]]を達成し、福岡に限らず全国のダイエー店舗で記念セールが実施された際は店内の[[ |
ファンの間でも本曲より同年に一般公募を経て製作・発表された公式[[応援歌]]「[[いざゆけ若鷹軍団]]」の方が圧倒的な支持を獲得し、[[1993年]](平成5年)の新本拠地・[[福岡ドーム]]完成以降はその傾向が一層、顕著となる。本楽曲は試合前の練習中や、本拠地最終戦終了後のセレモニー等でしか使用されなくなり、[[1999年]](平成11年)に球団が南海時代以来26年ぶりのリーグ優勝と35年ぶりの[[1999年の日本シリーズ|日本シリーズ制覇]]を達成し、福岡に限らず全国のダイエー店舗で記念セールが実施された際は店内の[[背景音楽|BGM]]として「いざゆけ若鷹軍団」が演奏されるなど、正式な球団歌である「ダイヤモンドの鷹」の地位は年を追って相対的に低下。作詞者の阿久は自分の曲が使われなくなったことを「遺憾に思う」と嘆いた<ref><div>「阿久悠の歌もよう人もよう」『産経新聞』2003年10月11日付東京本社22面・2003年10月11日付大阪本社24面。</div></ref>。 |
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そして[[2004年]](平成16年)の[[2004年の日本プロ野球|シーズン]]終了後、ダイエーが[[産業活力の再生及び産業活動の革新に関する特別措置法|産業再生法]]の適用に伴いソフトバンク(現・[[ソフトバンクグループ]])へ球団を売却し、球団名が福岡ソフトバンクホークスへ改称された際に、それまでは公式応援歌であった「いざゆけ若鷹軍団」が正式に球団歌となり「ダイヤモンドの鷹」は球団歌としての役目を終えた。 |
2021年11月23日 (火) 10:06時点における版
「ダイヤモンドの鷹」 | ||||
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竜童組 の シングル | ||||
初出アルバム『『'98福岡ダイエーホークス ダイヤモンドの鷹/いざゆけ若鷹軍団/選手別応援歌』他』 | ||||
リリース | ||||
規格 | 8センチCD | |||
ジャンル | 球団歌 | |||
レーベル | EPIC/ソニー | |||
作詞・作曲 |
作詞:阿久悠 作曲:宇崎竜童 | |||
竜童組 シングル 年表 | ||||
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「ダイヤモンドの鷹」(ダイヤモンドのたか)は、竜童組の4枚目のシングル。日本プロ野球のパシフィック・リーグに所属する福岡ソフトバンクホークスの前身球団、福岡ダイエーホークスの球団歌である。作詞・阿久悠、作曲・宇崎竜童。1989年(平成元年)3月1日にEPIC/ソニー(現エピックレコードジャパン)より発売された。
解説
創設以来大阪府を本拠としていた南海ホークスを南海電気鉄道からダイエーが買収、1989年シーズンより福岡ダイエーホークスへ球団名を変更し、福岡県を新たな本拠として再出発するに当たり制作され、1月19日に博多駅隣のホテルセントラーザ博多において開催された披露パーティーの席で発表された[2]。本曲について作曲を担当した宇崎は「ファンクでノリのいい作品にしようと思い、最高にファンキーでビビッドな曲に仕上がった」と、また作詞を担当した阿久は「涙が出るくらいの昂揚で、それこそ鷹になってダイヤモンドに散ってもらいたい」とコメントしたが[2]、それまでの軍歌や行進曲風の曲調が主流であった球団歌のイメージからかけ離れたロック調の本曲に対して山内孝徳は「ナウすぎて、ついていけない」と評し、監督の杉浦忠も「すぐには覚えられないなあ」とコメントするなど、選手や監督の評価は芳しいものではなかった[2]。
ファンの間でも本曲より同年に一般公募を経て製作・発表された公式応援歌「いざゆけ若鷹軍団」の方が圧倒的な支持を獲得し、1993年(平成5年)の新本拠地・福岡ドーム完成以降はその傾向が一層、顕著となる。本楽曲は試合前の練習中や、本拠地最終戦終了後のセレモニー等でしか使用されなくなり、1999年(平成11年)に球団が南海時代以来26年ぶりのリーグ優勝と35年ぶりの日本シリーズ制覇を達成し、福岡に限らず全国のダイエー店舗で記念セールが実施された際は店内のBGMとして「いざゆけ若鷹軍団」が演奏されるなど、正式な球団歌である「ダイヤモンドの鷹」の地位は年を追って相対的に低下。作詞者の阿久は自分の曲が使われなくなったことを「遺憾に思う」と嘆いた[3]。
そして2004年(平成16年)のシーズン終了後、ダイエーが産業再生法の適用に伴いソフトバンク(現・ソフトバンクグループ)へ球団を売却し、球団名が福岡ソフトバンクホークスへ改称された際に、それまでは公式応援歌であった「いざゆけ若鷹軍団」が正式に球団歌となり「ダイヤモンドの鷹」は球団歌としての役目を終えた。
脚注
- ^ a b この2枚は1989年3月1日に同時発売された。
- ^ a b c “【1月19日】1989年(平1)若鷹軍団、福岡へ飛来 必要経費は4億円”. スポーツニッポン 2012年10月17日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 「阿久悠の歌もよう人もよう」『産経新聞』2003年10月11日付東京本社22面・2003年10月11日付大阪本社24面。
関連項目
- 地平を駈ける獅子を見た - 埼玉西武ライオンズの球団歌。本曲と同じく阿久悠が作詞を担当している。
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