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「西面」の版間の差分

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== 歴史 ==
== 歴史 ==
「西面」の地名は、かつての[[面 (朝鮮)|面]](村に相当する行政単位)の名に由来する。[[日本統治時代の朝鮮|日本統治時代]]の[[慶尚南道 (日本統治時代)|慶尚南道]][[東郡]]西面は、現在の釜山鎮区と[[南区 (釜山広域市)|南区]]のほぼ全域を管轄していた<ref>現在の[[釜山鎮区]]の大部分(楊亭洞・凡田洞・釜田洞・草邑洞・蓮池洞・田浦洞・釜岩洞・開琴洞・伽倻洞・堂甘洞)および[[南区 (釜山広域市)|南区]]の全域(門峴洞・大淵洞・牛岩洞・龍湖洞・龍塘洞・戡蛮洞)</ref>。西面の面事務所(村役場)が釜田洞にあったことから、釜田洞の集落のことを指して「西面」と呼ぶようになった。
「西面」の地名は、かつての[[面 (朝鮮)|面]](村に相当する行政単位)の名に由来する。[[日本統治時代の朝鮮|日本統治時代]]の[[慶尚南道 (日本統治時代)|慶尚南道]][[東郡]]西面は、現在の釜山鎮区と[[南区 (釜山広域市)|南区]]のほぼ全域を管轄していた<ref>現在の[[釜山鎮区]]の大部分(楊亭洞・凡田洞・釜田洞・草邑洞・蓮池洞・田浦洞・釜岩洞・開琴洞・伽倻洞・堂甘洞)および[[南区 (釜山広域市)|南区]]の全域(門峴洞・大淵洞・牛岩洞・龍湖洞・龍塘洞・戡蛮洞)</ref>。西面の面事務所(村役場)が釜田洞にあったことから、釜田洞の集落のことを指して「西面」と呼ぶようになった。


行政機関・行政区域としての西面は1936年に釜山府に編入され、釜田洞には府庁の釜山鎮出張所が置かれた。解放後の1957年、釜山市域に区制が布かれると、釜山鎮出張所は釜山鎮区庁となった。1999年に区庁舎が釜岩洞に移転するまで、釜田洞は地域行政の中心地であった。
行政機関・行政区域としての西面は1936年に釜山府に編入され、釜田洞には府庁の釜山鎮出張所が置かれた。解放後の1957年、釜山市域に区制が布かれると、釜山鎮出張所は釜山鎮区庁となった。1999年に区庁舎が釜岩洞に移転するまで、釜田洞は地域行政の中心地であった。

2021年12月14日 (火) 09:29時点における版

西面
各種表記
ハングル 서면
漢字 西面
発音 ソミョン
日本語読み: せいめん
ローマ字転写: Seomyeon
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西面(ソミョン)は、大韓民国釜山広域市の中央部に位置する繁華街釜山鎮区釜田洞朝鮮語版田浦洞朝鮮語版一帯にあたる。

地理

西面は、釜山港を擁する旧市街からは北東方向に離れた内陸部に位置する。周辺地域の編入によって拡大した釜山市域の地理的な中心に当たることから、市内交通の要衝となっている。釜山都市鉄道(Humetro)の西面駅1号線2号線の乗換駅となっているほか、バスの路線が集中している。

歴史

「西面」の地名は、かつての(村に相当する行政単位)の名に由来する。日本統治時代慶尚南道東萊郡西面は、現在の釜山鎮区と南区のほぼ全域を管轄していた[1]。西面の面事務所(村役場)が釜田洞にあったことから、釜田洞の集落のことを指して「西面」と呼ぶようになった。

行政機関・行政区域としての西面は1936年に釜山府に編入され、釜田洞には府庁の釜山鎮出張所が置かれた。解放後の1957年、釜山市域に区制が布かれると、釜山鎮出張所は釜山鎮区庁となった。1999年に区庁舎が釜岩洞に移転するまで、釜田洞は地域行政の中心地であった。

繁華街として発展する契機は、1985年に釜山地下鉄1号線が開通したことである。交通網の再編に伴い、市内バス路線の大部分が西面を経由することとなり、乗り換えの拠点となった。1995年にはロッテ百貨店が出店した。

周辺施設

ファイル:Lotte Hotel Busan.jpg
釜山ロッテホテル

交通

西面駅

脚注

  1. ^ 現在の釜山鎮区の大部分(楊亭洞・凡田洞・釜田洞・草邑洞・蓮池洞・田浦洞・釜岩洞・開琴洞・伽倻洞・堂甘洞)および南区の全域(門峴洞・大淵洞・牛岩洞・龍湖洞・龍塘洞・戡蛮洞)