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在来線(東海道本線)ホームは[[プラットホーム#形状と配置|島式ホーム]]2面4線。東海道本線と伊豆箱根鉄道駿豆線はホームが離れており、東海道本線から駿豆線に乗り入れる特急「[[踊り子 (列車)|踊り子]]」は上下とも東海道本線のホーム、1番線の[[函南駅|函南]]寄りから発着する。この1番線の線路では、ホーム途中に東海道本線から駿豆線への[[分岐器|左片開き分岐器]]が設置されており、[[建築限界]]を破らないように、ホームの線路側端に最大幅約40cmで約15mにわたって湾状に抉られた部分がある |
在来線(東海道本線)ホームは[[プラットホーム#形状と配置|島式ホーム]]2面4線。東海道本線と伊豆箱根鉄道駿豆線はホームが離れており、東海道本線から駿豆線に乗り入れる特急「[[踊り子 (列車)|踊り子]]」は上下とも東海道本線のホーム、1番線の[[函南駅|函南]]寄りから発着する。この1番線の線路では、ホーム途中に東海道本線から駿豆線への[[分岐器|左片開き分岐器]]が設置されており、[[建築限界]]を破らないように、ホームの線路側端に最大幅約40cmで約15mにわたって湾状に抉られた部分がある。 |
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東海道新幹線ホームは在来線ホームの北側に位置しているが、在来線ホームと新幹線ホームとの間には新幹線の検車庫があり、在来線ホーム・新幹線ホーム相互から見渡すことができない。外側に通過線2線を持ち、島式ホーム1面2線。駅の開設時より三島始発、三島止まりの「[[こだま (列車)|こだま]]」も運行されている。当初は終日運行されていたが、現在では朝夕のみの設定である。新幹線駅で唯一、ホームが1面のみの駅である(※)。 |
東海道新幹線ホームは在来線ホームの北側に位置しているが、在来線ホームと新幹線ホームとの間には新幹線の検車庫があり、在来線ホーム・新幹線ホーム相互から見渡すことができない。外側に通過線2線を持ち、島式ホーム1面2線。駅の開設時より三島始発、三島止まりの「[[こだま (列車)|こだま]]」も運行されている。当初は終日運行されていたが、現在では朝夕のみの設定である。新幹線駅で唯一、ホームが1面のみの駅である(※)。 |
2006年11月20日 (月) 00:32時点における版
三島駅(みしまえき)は、静岡県三島市一番町にある東海旅客鉄道(JR東海)・伊豆箱根鉄道の駅である。
南側の駅舎は富士山と三嶋大社をイメージしたものになっていて、中部の駅百選にも選定された。
利用可能な鉄道路線
東海旅客鉄道
構内
在来線(東海道本線)ホームは島式ホーム2面4線。東海道本線と伊豆箱根鉄道駿豆線はホームが離れており、東海道本線から駿豆線に乗り入れる特急「踊り子」は上下とも東海道本線のホーム、1番線の函南寄りから発着する。この1番線の線路では、ホーム途中に東海道本線から駿豆線への左片開き分岐器が設置されており、建築限界を破らないように、ホームの線路側端に最大幅約40cmで約15mにわたって湾状に抉られた部分がある。
東海道新幹線ホームは在来線ホームの北側に位置しているが、在来線ホームと新幹線ホームとの間には新幹線の検車庫があり、在来線ホーム・新幹線ホーム相互から見渡すことができない。外側に通過線2線を持ち、島式ホーム1面2線。駅の開設時より三島始発、三島止まりの「こだま」も運行されている。当初は終日運行されていたが、現在では朝夕のみの設定である。新幹線駅で唯一、ホームが1面のみの駅である(※)。
出入り口は南口(在来線側)と北口(新幹線側)の2箇所。駅構内は地下通路で結ばれており、東海道本線ホームと新幹線ホームの間には、全国で初めて設置された平面付き2段階エスカレータ(エスカレータ+オートウォーク)があり、「ゆうロード・三島」と命名された。このエスカレータは登場当初日立のCMでも紹介された。なお南北の自由通路は無い。
- ※九州新幹線新八代駅もホームが1面であるが、将来の延伸時に使用される予定のホームが既に完成している。また同じくホームが1面のみで新幹線の車両が乗り入れている博多南駅とガーラ湯沢駅は、正式には在来線の駅とされるため、ここには該当しない。
当駅は2007年9月28日から9月30日にかけて行われる「2007 FIA F1世界選手権フジテレビジョン 日本グランプリレース」の電車+シャトルバス方式の指定駅である。対象となる路線は東海道新幹線と東海道本線(伊豆箱根鉄道駿豆線は含まれない)で、開催期間中は、無料シャトルバスを当駅~富士スピードウェイ間で運行する予定である。詳しくは公式ホームページのチケット&ライド・鉄道+シャトルバス方式を参照のこと。
のりば
1 | ■特急「踊り子」 | 修善寺方面・東京方面 |
2 | ■東海道線(下り) | 沼津・静岡・浜松方面 |
3 | ■東海道線(上り) | 熱海・小田原・東京方面 |
4 | ■東海道線(下り) | 沼津・静岡・浜松方面(当駅始発) |
5 | ■東海道・山陽新幹線(下り) | 静岡・名古屋・新大阪方面 |
6 | ■東海道新幹線(上り) | 新横浜・東京方面 |
- 新幹線は全てのこだまと1日上下各6本のひかりが停車。のぞみは全て通過。
- 在来線の優等列車で停車するのは特急「東海」と「踊り子」の上下線全列車と夜行快速「ムーンライトながら」(下りのみ)、「ホームライナー浜松」・「ホームライナー静岡」である。寝台列車はすべて通過し、熱海駅や沼津駅に停車する。
- 7時26分発普通列車東京行き(4ドア10両編成)は4番線から発車する。また、22時26分発普通列車沼津行きは当駅始発であるにも関わらず、4番線ではなく2番線から発車する。
駅舎
南口(東海道本線側)の駅舎は昭和9年(1934年)開業当初からのもので神保忠良によって設計された。木造一階建て372平方メートルで、屋根の緩やかな曲線により富士山と三嶋大社の社をイメージしていると言われる。みどりの窓口、JR東海ツアーズ、キヨスクが入居する。途中で駅舎の改装、及び水と緑を配置した駅前広場の整備が行われており、美しい景観の印象的な駅である。
北口(新幹線側)の駅前広場はツインロータリー方式で、2006年3月に南口広場の2倍の広さでリニューアルされた。
JR東海により平成20年春までに新幹線駅部の高架橋柱の耐震補強工事及び駅舎内の設備改良が実施されることが発表された。駅舎内の設備改良については、北口切符売場・改札口の配置変更、新幹線改札内の待合室の増床、トイレの改良、商業ゾーンの増床及びリニューアルなどが予定されている。
伊豆箱根鉄道
- 駅舎は、JR三島駅南口駅舎に隣接しており、構内にはJR線と伊豆箱根鉄道との連絡改札口もある。行き止まり式の櫛形ホームであり、2面3線のホーム(7番線と8・9番線の2面)を持つ。
- 駿豆線に乗り入れる特急「踊り子」は、7~9番線には入線せず東海道線1番線から発車する。
- 8・9番線のホーム上には売店と休憩所がある。
- 立ち食いそば屋は改札口の外にある。
- コインロッカーは改札口の外の飲料水自動販売機横にある。
- トイレは改札口の外(駅レンタカー事務所の隣)とJR線連絡改札口を抜けたJR三島駅駅舎内にある。
- 自動改札機設置駅。
のりば
7 | ■駿豆線 | (12:00発修善寺行きの1本のみが発車) |
8・9 | ■駿豆線 | 伊豆長岡・大仁・修善寺方面 |
駅周辺
東海道の難所の一つに挙げられる箱根越え、西からの越峠に備える宿場街として、古くから栄えた同市の駅は三島市の名勝である楽寿園のすぐ前にある。北西に約1~2kmほど行くと御殿場線の下土狩駅がある。
三島駅北口では2006年(平成18年)4月現在、大規模な再開発工事が計画されている。北口前にあった約1万m²規模の三共三島工場が、2003年(平成15年)に平塚工場に移転統合されたことで駅前の再開発事業がスタートした。再開発事業に伴い三共三島工場跡地の約1万m²については、三島市が約3035m²・日本大学が約4920m²・増進会出版社が約1651m²を取得した。
三島市が取得した土地部分では、駅前広場のリニューアル工事がなされ、2006年(平成18年)3月に完成している。
日本大学が取得した土地については、10階建て以上と見られる高層複合ビルを建設することが決定された。 高層複合ビルには、大学・大学院施設や観光案内センター、商業施設、ファルマバレー構想関係施設等が入居することが計画されているが、詳細は明らかになっていない。
増進会出版社取得分の土地についても複合ビルが建設される。隣の日本大学複合ビルと一体感を持ったデザインとなる予定で、こちらも一部に商業施設の入居が期待される。
2006年(平成18年)8月には、北口駅前広場奥に新しい自転車駐輪場が完成。3階建ての建物に約1400台が収容可能である。さらに立体駐輪場の東側には、放送大学併設の東部地域新構想高校が建設される。2008年(平成20年)4月の開校を目指している。
なお三島市の中心市街地としては、三島駅周辺よりも伊豆箱根鉄道駿豆線の三島広小路駅付近を挙げる場合が多い(三島大通り商店街と呼ばれる)。
歴史
なお、丹那トンネル開業前の東海道本線(現、御殿場線)にも「三島駅」が存在した。それは1898年(明治31年)6月15日に開業し、現在の三島駅が開業する直前の10月1日に下土狩駅へ改称されている。
そもそも現在の御殿場線経由で東海道本線が計画された際、三島は東海道五十三次11番目の宿場町であったため、裾野から同地を経由するルートが予定されていた。しかし「汽車が通れば宿場に泊まるものがいなくなる」という理由で地元民が反対し、結局1889年(明治22年)2月に裾野から沼津まで直進ルートをとる形で線路は通され、三島に駅は設けられなかった。
その結果、栄えていた宿場町は人の流れから外れたため寂れる事になってしまい、後悔した地元民は1891年(明治24年)に東海道本線が三島町(市制施行は1941年)に一番近い所を通る長泉村(現、駿東郡長泉町)へ三島駅を設置することを請願した。しかしこの時の請願は却下された。
そんな中、東海道本線から伊豆半島中部温泉地への便を図る目的で、沼津から大仁に至る「豆相鉄道」(現、伊豆箱根鉄道駿豆線)の計画が立てられた。その話を聞いた三島町では、この機を逃せば二度と立ち直りは出来ないと考えて土地の無償提供まで行って誘致を行い、同町を経由して長泉村で東海道本線と接続するように計画を変更させた。これが功を奏し、東海道本線が開通した9年後に豆相鉄道線の分岐駅として、ようやく現在の下土狩駅の位置に三島駅が設置される事になったのである。なお豆相鉄道線は三島駅開設の約1ヶ月前に三島町駅(現、三島田町駅)~南条駅(現、伊豆長岡駅)間で営業を開始し、長泉村に駅が出来たのに合わせて三島駅~三島町駅間を延伸した。
それから後、勾配のきつい御殿場経由から熱海経由へ丹那トンネルを開削して東海道本線のルートを変更させようという計画が発表された。三島町ではその話を聞くや明治時代の二の舞は起こすまいと、当初丹那トンネルの出口に当たる函南からは直線ルートで沼津まで抜け、三島市街を通過せずその南を通るルートが取られる予定であったのを、当時の鉄道院総裁であった後藤新平の元へ町長が直接請求をするなど当初から積極的な誘致を行い、市街北部を通過させる計画に変更させて現在地に新しい三島駅が設けられる事になったのである。それにあわせて以前の三島駅を下土狩駅に改称し、豆相鉄道改めた駿豆鉄道の起点も新しい三島駅に変更された。三島町ではようやく市街地近くに東海道本線の駅が開設されたことを大いに喜び、新駅の開業日には富士山を模した駅舎の前に同じ形のアーチが組まれ、同町のみならず周辺からの人も集めて盛大な式典が催された。また夜になると、アーチには電飾が翌朝まで灯されたといわれる。
なお新幹線駅は、新幹線の開業当初から在来線駅に隣接して保線基地や車両基地、信号場が設けられた関係で設置の準備はされていたものの、熱海駅から近いということで当面は見送られることになった。しかし開通後、三島市だけならず、沼津市民からの募金が主だったが近隣市町からも設置の請願がなされ、開設されることとなった。開設は新幹線開業5年目の1969年(昭和44年)4月25日となった。これは、新幹線の新駅第1号となるものでもあった。その後、「ひかり」で東京駅まで44分、「こだま」でも1時間という利便性の結果、東京・神奈川方面への通勤・通学者が増加し、静岡県内でも有数の乗降客数が多い駅となった。
1995年(平成7年)に新幹線に乗ろうとした客がドアにはさまれ、そのまま引きずられ死亡するという事故が発生した(新幹線三島駅乗客転落事故)。これは、新幹線の乗客が初めて事故で死亡した例であった。
隣の駅
- 伊豆箱根鉄道
- 駿豆線
- 三島駅 - 三島広小路駅
関連項目
外部リンク