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2022年10月6日 (木) 21:22時点における版
愛媛県立宇和高等学校 | |
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北緯33度21分45秒 東経132度31分13秒 / 北緯33.36250度 東経132.52028度座標: 北緯33度21分45秒 東経132度31分13秒 / 北緯33.36250度 東経132.52028度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 愛媛県 |
併合学校 |
愛媛県立宇和農業高等学校 愛媛県立東宇和高等学校 |
理念 | 大地と共に心を耕せ |
校訓 | 剛健・清純・親和 |
設立年月日 | 1908年 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | 愛媛県立宇和高等学校三瓶分校 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 |
普通科 生物工学科 |
学期 | 三学期制 |
学校コード | D138221400014 |
高校コード | 38142A |
所在地 | 〒797-0015 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
愛媛県立宇和高等学校(えひめけんりつうわこうとうがっこう)は、愛媛県西予市にある県立高等学校である。
校訓・教育理念
校訓
剛健・清純・親和
- 剛健・・・質実、剛健で責任感が強く、独立精神と実践力を持つ人材を育成する。
- 清純・・・敬愛の心豊かな、清純・明朗で優しさのある人材を育成する。
- 親和・・・学友仲良く、師弟の絆を強め、隣人愛を持つ人材を育成する。
教育理念
大地と共に心を耕せ
「大地と共に心を耕せ」という教訓は札幌農学校の教育理念とされ、農蚕学校を前身にもつ本校の「農場訓」として引き継がれています。
豊かな心を持ち、たくましく今世紀を生き抜く生徒を育成する本校にとって、この「大地と共に心を耕せ」は、普通科・農業科から成る総合制高校の教育理念として最もふさわしく、誇らしい言葉です。
宇和高校では、さまざまな教育活動を通して「こんな大人になってほしい」という視点での教育を行っています。[1]
設置学科
かつてあった学科
- 園芸科(1974年(昭和49年)に募集停止)
- 農業科(1974年(昭和49年)に募集停止)
- 農業経営科(1992年(平成4年)に募集停止)
- 農業工学科(2000年(平成12年)に募集停止)
- 商業科(2004年(平成16年)に募集停止)
沿革
宇和農業学校
- 1908年3月2日(明治41年)- 郡立農蚕学校設置並びに学則、文部大臣認可
- 5月1日 - 仮校舎である蚕病予防事務所にて開校
- 6月30日 - 新校舎に移転
- 1918年4月1日(大正7年)- 県移管、愛媛県立宇和農業学校と改称
- 1941年4月1日(昭和16年)- 学級増加6学級編成、定員300名
- 1945年4月1日(昭和20年)- 獣医畜産科設置、定員450名に増員
- 1946年4月1日(昭和21年)- 獣医畜産科を農業科に改める。
- 1948年4月1日(昭和23年)- 学制改革により愛媛県立宇和農業高等学校と改称 農業科・園芸科設置
- 10月14日 - 定時制課程発足
- 10月26日 - 定時制課程奥南分校農業科開校
- 10月27日 - 定時制課程俵津分校農業科開校
- 10月28日 - 定時制課程高山分校農業科開校
東宇和高等女学校
- 1922年4月22日(大正11年)- 愛媛県立東宇和高等女学校が開校。
- 1942年4月6日(昭和17年)- 学級増加、定員400名
- 1945年4月1日(昭和20年)- 専攻科設置
- 1947年4月1日(昭和22年)- 新学制実施、生徒募集行わず
- 1948年(昭和23年) - 学制改革により東宇和高等学校設置(男女共学)
宇和高等学校
- 1949年9月1日(昭和24年)- 東宇和高等学校、宇和農業高等学校を併せ、宇和高等学校発足(定員 全日制普通科450名、商業科150名、農業科300名)
- 1950年4月1日(昭和25年)- 校章制定
- 1951年1月11日(昭和26年)- 校歌制定
- 4月1日 - 奥南分校は愛媛県立吉田高等学校に移管
- 1957年4月1日(昭和32年)- 俵津分校を豊海分校と改称
- 1958年5月2日(昭和33年)- 講堂兼体育館落成
- 5月3日 - 創立50周年記念式典挙行
- 1961年4月1日(昭和36年)- 園芸科150名増設、農業科定員150名に減員 豊海分校募集停止
- 1962年4月1日(昭和37年)- 商業科募集定員100名に増員
- 1963年4月1日(昭和38年)- 募集定員を普通科220名、農業科55名、園芸科55名、商業科110名に増員
- 1964年4月1日(昭和39年)- 募集定員 園芸科90名、農業科45名
- 1965年4月1日(昭和40年)- 募集定員 園芸科80名、農業科40名、商業科106名に減員
- 1966年3月(昭和41年)- 特別教棟(現・第1教棟)竣工
- 4月1日 - 募集定員 普通科200名、商業科100名に減員
- 1967年4月1日(昭和42年)- 募集定員 普通科192名、商業科96名に減員
- 1968年4月1日(昭和43年)- 募集定員 普通科184名、商業科92名に減員
- 1968年11月23日(昭和43年)- 創立60周年記念式典挙行
- 1969年4月1日(昭和44年)- 募集定員 普通科180名、商業科92名に減員
- 1970年8月27日(昭和45年)- 本館新築落成
- 10月31日 - 本館及びプール落成記念式典挙行
- 1971年4月1日(昭和46年)- 募集定員 園芸科40名に減員(1学級減)
- 1973年3月31日(昭和48年)- 定時制課程(高山分校)閉校
- 5月31日 - 特別第2教棟(現・第3教棟)及び総合畜舎の竣工式挙行
- 1974年4月1日(昭和49年)- 農業科、園芸科募集停止 農業経営科40名、農業工学科40名新設
- 1979年4月1日(昭和54年)- 創立70周年記念式典・体育館落成式挙行
- 1983年3月28日(昭和58年)- 第2教棟新築落成
- 1988年1月26日(昭和63年)- 立間分教場、特別教棟落成
- 3月25日 - 農業経営科、特別教棟新築完成(2棟)
- 10月31日 - 創立80周年記念会館、桜が丘会館新築落成
- 11月19日 - 創立80周年記念式典挙行
- 1991年5月30日(平成3年)- 弓道場落成
- 1992年4月1日(平成4年)- 農業経営科募集停止 生物工学科40名新設
- 募集定員 商業科45名に減員(1学級減)
- 1993年4月1日(平成5年)- 募集定員 商業科40名に減員
- 1996年4月1日(平成8年)- 募集定員 普通科120名に減員(1学年減)
- 1998年11月20日(平成10年)- 創立90周年記念式典挙行
- 2000年4月1日(平成12年)- 農業工学科募集停止
- 2004年4月1日(平成16年)- 商業科募集停止
- 2006年2月22日(平成18年)- 商業科閉科式挙行
- 2008年10月31日(平成20年)- 創立100周年記念運動練習場(百桜館)竣工
- 11月8日 - 創立100周年記念式典挙行
- 2012年4月1日(平成24年)- 募集定員 普通科80名に減員
- 2018年10月27日(平成30年)- 創立110周年記念式典挙行
- 2020年4月1日(令和2年)- 再編整備により愛媛県立宇和高等学校三瓶分校設置
学校行事
年間行事
4月
- 入学式
5月
- 中間考査
6月
- 期末考査
7月
- 前期夏期補習
8月
- 後期夏期補習
- 始業式
9月
- 体育祭
10月
- 中間考査
11月
- 学園祭
12月
- 期末考査
- 冬期補習
1月
- 始業式
- 学年末考査
2月
- マラソン大会
- 男子:8km, 女子:4km
3月
- 卒業式
- 終業式
校歌
1951年1月11日(昭和26年)制定
作詞:佐伯秀雄 作曲:深尾茂男
生徒歌・応援歌
- 「第一生徒歌」(作詞:渡辺 尚)
- 「第二生徒歌」(作詞:白銀継哉 作曲:西脇正紀)
- 「応援歌」(作詞:高辻義胤 作曲:兵頭 晃)
- 「剛健の歌」(作詞:清水秀明 作曲:末光信三)
著名な出身者
脚注
- ^ “概要 - 愛媛県立宇和高等学校”. uwa-h.esnet.ed.jp. 2022年8月31日閲覧。
- ^ “普通科紹介 - 愛媛県立宇和高等学校”. uwa-h.esnet.ed.jp. 2022年8月31日閲覧。
- ^ “生物工学科紹介 - 愛媛県立宇和高等学校”. uwa-h.esnet.ed.jp. 2022年8月31日閲覧。
参考文献
- 土井中照『愛媛の校歌 校歌から愛媛が見える』アトラス出版、2007年