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2022年10月7日 (金) 01:00時点における版
北海道中札内高等学校 | |
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北緯42度41分49秒 東経143度08分19秒 / 北緯42.696833度 東経143.138556度座標: 北緯42度41分49秒 東経143度08分19秒 / 北緯42.696833度 東経143.138556度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 北海道 |
学区 | 北海道十勝 |
設立年月日 | 1955年 |
閉校年月日 | 2008年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
高校コード | 01340E |
所在地 | 〒089-1324 |
北海道河西郡中札内村東4条北1丁目1 | |
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北海道中札内高等学校(ほっかいどう なかさつないこうとうがっこう、Hokkaido Nakasatsunai High School)は、かつて北海道河西郡中札内村東4条北1丁目にあった道立高等学校。
概要
- 今は、広く知られるようになった中札内農業の「自主自立」精神が「農業者にも教育が必要だ」との考えに及び、1954年(昭和29年)農業生を受け入れるために、高等学校設置を中札内村議会が決断。農業を働きながら学ぶ昼間定時制の村立単科高校として、1955年(昭和30年)開校した[1]。
- その後、村は定時制農業科を募集停止し、全日制の普通科高校に転換。科目転換ののちに、中札内村立から北海道立へ設置者転換している。
- 北海道教育委員会は、2004年(平成16年)12月に有識者で構成する「高校教育推進検討会議」を設置し諮問を受けた結果をふまえ、2006年(平成18年)8月「新たな高校教育に関する指針」を決定する[2] 。それは、1学年1学級校の存続は認めないという内容であった。
- 道内において、高校の小規模校整理の流れが強くなるなかにおいて、同校は2005年(平成17年)度新入学生が、十勝管内において初の1学年1学級校となり、学校存続問題が取り沙汰されるようになる[3]。2005年(平成17年)6月、北海道教育委員会より中札内高校の募集停止提案がなされる[4]。地元では、高校存続に向けて活発な活動をし[5][6][7]、さまざまな意見が交換された[8]が、高校創立五十周年を迎えた年度の年に募集停止が決定された[9]。なお、この募集停止を受け「創立五十周年記念式典」は閉校記念式典と併せて盛大に実施するとして開催延期されている[10]。
- こうして、2008年(平成20年)の春、中札内高等高校は閉校となった[11]。
- 校訓
- 「自己研磨 知行合一」[12]
- 校歌
- 作詞 : 原田将吉
- 作曲 : 飯田信夫
設置学科
- 定時制農業科 - 学校創立時より、1975年(昭和50年)募集停止・ 1978年(昭和53年)閉科[13]。
- 全日制普通科 - 1975年(昭和50年)募集開始、2008年(平成20年)閉校時まで[13]。
沿革
- 1954年(昭和29年)9月7日 - 中札内村議会において村立高校の設置を決議[13]。
- 1954年(昭和29年)11月30日 - 校舎第一期工事落成[13]。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 第一種高等学校設置認可[13]。「定時制[14]」農業科 1学級募集[13]。
- 1955年(昭和30年)4月20日 - 開校式・第一回入学式[13]。
- 1955年(昭和30年)12月3日 - 別科 1学級募集[13]。
- 1965年(昭和40年)11月7日 - 屋内体育館完成[13]。創立十周年記念式典挙行[13]。
- 1966年(昭和41年) - 別科 廃止[13]。
- 1974年(昭和49年)12月10日 - 全日制普通科設置認可[13]。
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 全日制普通科1学級募集、定時制農業科募集停止[13]。
- 1975年(昭和50年)11月12日 - 全日制普通科2学級設置許可[13]。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 全日制普通科2学級募集[13]。
- 1976年(昭和51年)4月30日 - 新校舎建築着工[13]。
- 1977年(昭和52年)1月17日 - 新校舎移転、仮使用開始[13]。
- 1977年(昭和52年)6月10日 - 新校舎完成[13]。
- 1978年(昭和53年)1月16日 - 定時制閉科記念顕彰式挙行[13]。
- 1978年(昭和53年)9月30日 - 新・屋内体育館ほか体育施設完成[13]。
- 1979年(昭和54年)2月10日 - 校舎落成記念式典挙行[13]。
- 1979年(昭和54年)3月1日 - 道立移管[13]。
- 1985年(昭和60年)11月17日 - 創立三十周年記念式典挙行[13]。
- 1994年(平成6年)7月17日 - 創立40周年記念講演会[13]。
- 1995年(平成7年)11月6日 - 校訓制定[13]。
- 1996年(平成8年)10月23日 - 大規模改造第2期工事竣工[13]。
- 1999年(平成11年)3月25日 - 防災対策付属施設整備工事竣工[13]。
- 2006年(平成18年) - 新入生徒募集停止[12]。
- 2008年(平成20年)3月 - 閉校[11]。
閉校後の現在
- 閉校後の学校施設[15]は、2009年(平成21年)4月1日より、宿泊棟を備えた研修施設「中札内交流の杜」として利用、営業が開始された[16][17]。
- サッカー場 : 天然芝サッカーコート(105m×68m)4面 (夏期間 : 4月~10月の日中のみ利用可)。
- 旧・高校グランドのほかにも、中札内村教育委員会が管理する「札内川運動公園」の利用も可能。(交流の杜から約1km)
- 研修棟 : 旧・校舎。
- アリーナ : バレーボールの場合 2面 など。バスケットボール・ミニバスケットボール・バドミントン・フットサル・卓球・その他室内競技に利用可能。
- 多目的室 : 99畳敷の元・柔道場をフローリングに改修。軽運動室・ダンスルームとしても、ジョイントマット敷にての利用も可能。
- ウェイトトレーニング室 : アスリート仕様ウェイトトレーニング機器(マシン・フリーウェイト・バイク)を設置。
- リラクゼーション&酸素カプセル室 : 高気圧酸素カプセル1台設置。
- 2階 研修室(1) : 旧・音楽室 1室。グランドピアノ・エレクトーン設置、吹奏楽/合唱練習可能。
- 2階 研修室(2) : 旧・書道教室。
- 2階 研修室(3) : 旧・進路指導室。
- 2階 研修室(4)~(7) : 旧・普通教室。
- 3階 研修室(8) : 旧・被服教室。
- 3階 研修室(9)和室 : 旧・和室。
- 3階 研修室(10) : 旧・生徒会室。
- 3階 研修室(11) : 旧・食物教室。
- 3階 研修室(12) : 旧・教材室。
- 3階 研修室(13) : 旧・図書室。
- 3階 研修室(14) : 旧・生物・化学実験室。
- 3階 研修室(15) : 旧・理科準備室。
- 3階 研修室(16) : 旧・物理・地学実験室。
- 展示室 : 中札内高校53年間の資料を展示。
- ほか、食堂、談話室、シャワー室、洗濯・乾燥室、資料展示室。
- 宿泊棟 : 宿泊施設「ユービックハウス」 - 完成2009年3月、110名収容。
- スタッフルーム 4名定員×4室・2名定員×1室。
- 8人部屋(二段ベッド4台) - 9室。
- 4人部屋(二段ベッド2台) - 5室。
- サッカー場 : 天然芝サッカーコート(105m×68m)4面 (夏期間 : 4月~10月の日中のみ利用可)。
- 1997年から福島県のJヴィレッジを会場に行われてきた日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会は、東日本大震災の影響により2011年以降、北海道帯広市を中心に開催されており、中札内交流の杜も、会場として利用されている。
- 同校廃校後の各種証明書発行などの事務取扱は、北海道更別農業高等学校にて取り扱われている[18]。
主な出身者
脚注
- ^ 地域事例 - 地域経済レポート マルシェノルド No.1 - 広報誌「開発こうほう」バックナンバー 北海道開発協会
- ^ “新たな高校教育に関する指針”. 北海道教育委員会 (2011年5月26日). 2016年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
- ^ “道教委が道立高学級削減*中札内高は1年1学級に*管内初 統廃合検討へ*住民不安*「学校なくなるのでは」”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2005年4月6日). 2016年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
- ^ “中札内高募集停止案 肩落とす関係者 「検討会」は存続活動実施”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社. 2022年5月4日閲覧。
- ^ “計画の再考を 中札内高募集停止 道議会文教委で佐々木氏”. 十勝毎日新聞電子版 (2005年6月13日). 2022年5月4日閲覧。
- ^ “中札内高の募集停止案*村外通学 不安大きく*経済負担、進学断念も*「人材育成にも打撃」*存続活動を継続”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2005年6月17日). 2016年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
- ^ “中札内高振興協*存続目指し近く新組織*署名活動、チラシ配布へ”. 北海道新聞社. フォト北海道(道新写真データベース) (2005年6月21日). 2016年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
- ^ “中札内高の募集停止案*存続望む声強く*守る会*道教委と意見交換”. 北海道新聞社. フォト北海道(道新写真データベース) (2005年7月13日). 2016年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
- ^ “中札内高募集停止*節目の年に…落胆*関係者ら肩落とす”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2005年8月3日). 2016年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
- ^ “07年度に廃校 中札内高*11月の50年式典延期*協賛会「盛り上がらぬ」*閉校式に合わせて盛大に”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2005年9月21日). 2016年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
- ^ a b “「永遠の母校」別れの垂れ幕*中札内高”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2007年10月6日). 2016年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
- ^ a b “地域と歩んだ53年~中札内高校3月閉校”. 2013年9月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 学校の沿革 - 北海道中札内高等学校 - ウェイバックマシン(2005年4月8日アーカイブ分)
- ^ a b “定時制農業校として出発”. 十勝毎日新聞 (2008年2月27日). 2015年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
- ^ “中札内高跡地*合宿施設を来春開設*条例案を村議会可決*スポーツ、芸術向け*芝生サッカー場4面”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2008年6月17日). 2016年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
- ^ “旧中札内高が合宿所に*110人収容 柔道場も”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2009年4月2日). 2016年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
- ^ “春本番 屋内 中札内交流の杜で村民見学会 広々「利用したい」”. 北海道新聞社. フォト北海道(道新写真データベース) (2009年4月6日). 2016年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月4日閲覧。
- ^ “各種証明書の発行について”. 更別農業高校. 2015年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月4日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 北海道中札内高等学校 - ウェイバックマシン(2009年6月15日アーカイブ分)
- 中札内交流の杜