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「作陽学園高等学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 01:49時点における版

岡山県作陽高等学校
地図北緯35度3分24.1秒 東経134度0分37.8秒 / 北緯35.056694度 東経134.010500度 / 35.056694; 134.010500座標: 北緯35度3分24.1秒 東経134度0分37.8秒 / 北緯35.056694度 東経134.010500度 / 35.056694; 134.010500
過去の名称 津山女子高等技芸学院
津山女子技芸学校
津山女子高等技芸学校
岡山県作陽女子商業学校
岡山県作陽女子高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人作陽学園
校訓 念願は人格を決定す 継続は力なり
設立年月日 1930年4月1日
創立者 松田藤子
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
設置学科 普通科
学科内専門コース スーパー特進コース
特別進学コース
総合進学コース
体育コース
総合音楽コース
学期 3学期制
学校コード D133310000112 ウィキデータを編集
高校コード 33511J
所在地 708-8518
岡山県津山市八出1320番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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岡山県作陽高等学校(おかやまけんさくようこうとうがっこう)は、岡山県津山市にある私立高等学校

概要

沿革

  • 1930年(昭和5年)4月 - 津山女子高等技芸学院として開校。
  • 1931年(昭和6年)4月 - 津山女子技芸学校と改称。
  • 1936年(昭和11年)3月 - 甲種実業学校に昇格、津山女子高等技芸学校と改称。
  • 1944年(昭和19年)4月 - 教育臨時措置法により教育課程を改変、岡山県作陽女子商業学校と改称。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、岡山県作陽女子商業学校を廃し、岡山県作陽女子高等学校となる。
  • 1962年(昭和37年)4月 - 普通科に音楽コースを設置。
  • 1963年(昭和38年)4月 - 男女共学となり岡山県作陽高等学校と改称。
  • 1974年(昭和49年)4月 - 普通科に特別進学クラスを設置。
  • 1995年(平成7年)4月 - 普通科に情報・秘書コースを設置。
  • 2002年(平成14年)4月 - 普通科にスーパー特進コース、特別進学コース、進学・資格プロコース、保育・福祉コース、吹奏楽コース、音楽デザインコース、体育コース、大地コースを設置。
  • 2015年(平成27年)4月 - 普通科5コース10系を6コース9系に改編。
  • 2023年 (令和5年)4月 - 倉敷市玉島八島に移転予定。校名を作陽学園高等学校に改称予定 [1]

設置学科

普通科:6つのコース

  • スーパー特進コース
  • 特別進学コース
  • 進学コース
  • 総合教養コース
    • IT情報
    • フードデザイン
    • こども保育
  • スポーツコース
  • ミュージックコース

クラブ活動

サッカー部は全国大会の常連であり、Jリーガーを多数輩出している。2002年の全国高校サッカー選手権岡山県予選決勝では延長戦で作陽の青山敏弘が決めた明らかなVゴールを青木隆主審が認めず、結果PK戦で敗退するという誤審事件があった(詳細は第81回全国高等学校サッカー選手権大会#岡山県予選決勝を参照)。第85回大会では大会得点王となるFW小室俊之らを擁し岡山県勢初の決勝進出を果たした。女子チームは「作陽レディース」として岡山湯郷Belleの下部組織にもなっている。

2008年に女子ゴルフ部が第29回全国高等学校ゴルフ選手権大会で優勝した[1]

学校関係者

  • 池田浩子 - 元サッカー選手・サッカー指導者(女子サッカー部監督)
  • 酒井貴政 - 元サッカー選手(作陽サッカー部)・サッカー指導者(サッカー部監督)
  • 野村雅之 - 校長・サッカー指導者(サッカー部総監督)

著名な卒業生

サッカー

プロ野球

ゴルフ

柔道

プロレス

芸能

その他

系列校

脚注

  1. ^ 全国高校ゴルフ選手権 歴代優勝校”. nikkansports.com. 2014年6月28日閲覧。

外部リンク