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2022年10月7日 (金) 03:02時点における版
岡山県立矢掛高等学校 | |
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北緯34度37分42秒 東経133度35分33秒 / 北緯34.62833度 東経133.59250度座標: 北緯34度37分42秒 東経133度35分33秒 / 北緯34.62833度 東経133.59250度 | |
過去の名称 |
岡山県立矢掛中学校 岡山県矢掛中学校 岡山県立矢掛第一高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岡山県 |
学区 | 倉敷学区・西備学区 |
併合学校 |
岡山県立矢掛第二高等学校 岡山県矢掛商業高等学校 岡山県立美星高等学校 岡山県立矢掛商業高等学校 |
校訓 | 至誠力行 |
設立年月日 | 1902年(明治35年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 |
普通科 地域ビジネス科 |
学校コード | D133210000347 |
高校コード | 33147D |
所在地 | 〒714-1201 |
岡山県小田郡矢掛町矢掛1776番地2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岡山県立矢掛高等学校(おかやまけんりつやかげこうとうがっこう, Okayama Prefectural Yakage High School)は、岡山県矢掛町にある県立高等学校。略称「矢高」(やこう)。
概要
1902年(明治35年)に開校した「岡山県立矢掛中学校」(旧制中学校)を前身とする。2012年(平成24年)に創立110周年を迎えた。
学校データ
- 校訓 : 至誠力行
- 校章 : 「高」の字を校名「矢掛」にちなむ2本の鏃で囲んでいる。
- 校歌 : 作詞は小川博史、作曲は芥川也寸志による。歌詞は3番まであり、校名は登場しない。各番とも「若き日を」で終わる。
沿革
旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
- 1901年(明治34年) - 7月、設置が認可される。
- 1902年(明治35年)
- 4月1日、「岡山県立矢掛中学校」が開校。
- 5月、開校式を挙行。
- 1920年(大正9年)4月1日 - 「岡山県矢掛中学校」と改称(「立」が除かれる)。
- 1947年(昭和22年) - 4月1日、学制改革(六・三制の実施)により、新制の中学校を併設(以下・併設中学校)[注 1][注 2]。
- 1948年(昭和23年) - 4月1日、学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制中学校は廃止され、新制高等学校「岡山県立矢掛第一高等学校」(男子校)が発足[注 3][注 4]。
- 1949年(昭和24年) - 3月31日、最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
- 1913年(大正2年) - 4月1日、「小田郡矢掛尋常高等小学校[注 5]附設矢掛女学校」が設立。
- 1915年(大正4年) - 4月1日、組織改編により、「矢掛町立実科高等女学校」と改称。
- 1920年(大正9年) - 5月、「岡山県矢掛高等女学校」と改称。
- 1923年(大正12年) - 4月1日、「矢掛町外七ヶ町村組合立女学校」と改称。
- 1939年(昭和14年) - 4月1日、岡山県に移管され、「岡山県矢掛高等女学校」と改称。
- 1947年(昭和22年) - 4月1日、学制改革(六・三制の実施)により、新制の中学校を併設(以下・併設中学校)[注 6][注 7]。
- 1948年(昭和23年) - 4月1日、学制改革(六・三・三制の実施)により、高等女学校は廃止され、新制高等学校「岡山県立矢掛第二高等学校」(女子校)が発足[注 8][注 9]。
- 1949年(昭和24年) - 3月31日、最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
新制高等学校(男女共学)発足後
昭和
- 1949年(昭和24年) - 8月31日、高校三原則に基づく岡山県内公立高校再編に伴い、上記2校が統合され、総合制高等学校「岡山県立矢掛高等学校」(現校名)が発足[注 10][注 11]。
- 1950年(昭和25年)
- 4月1日、完全な男女共学を開始。2校舎制は維持し、性別ではなく学年によって校舎を使い分けることとする。
- 9月、東・西両校舎の同窓会を統合。
- 1961年(昭和36年) - 9月、東西両校舎を統合し、1校舎制(現在地)とする。
- 1971年(昭和46年) - 4月1日、岡山県立美星高等学校を統合し、美星分校とする。
- 1976年(昭和51年) - 4月1日、岡山県矢掛商業高等学校[注 12]を統合し、西分校とする。
- 1985年(昭和60年) - 4月1日、西分校が分離し、岡山県立矢掛商業高等学校として独立。
- 1986年(昭和61年) - 3月31日、美星分校を廃止。
平成
- 1999年(平成11年) - 4月、小学区制から中学区制(西備学区)となる。
- 2003年(平成15年)
- 3月、第1棟校舎の大規模改修工事が完成。
- 4月、矢掛地域新高等学校[注 13]開校準備委員会の事務局が設置される。
- 2004年(平成16年)
- 3月、統合に伴い、岡山県立矢掛商業高等学校の生徒募集が停止される。在校生卒業までの間、商業高校の組織は存続。
- 4月1日、矢掛地域新高等学校として新・「岡山県立矢掛高等学校」(全日制普通科・単位制・定員200名)が発足。
- 2005年(平成17年)
- 3月、東棟が完成。
- 8月、南棟が完成。
- 2006年(平成18年) - 3月31日、最後の卒業生を送り出し、岡山県立矢掛商業高等学校が閉校。
- 2009年(平成21年) - 4月1日、類型3コース制(探究・総合・ビジネス)を開始。(全日制普通科・単位制・定員160名)
- 2011年(平成23年) - 4月1日、地域ビジネス科を新設。定員を普通科120名、地域ビジネス科40名とする。
- 2014年(平成26年) - 1月22日、「矢掛高存続協議会」が発足し、初会合[1]。
- 2015年(平成27年) - 3月6日、岡山県立矢掛商業高等学校の跡地を矢掛町[注 14]が一般社団法人「バート・インターナショナル」に無償貸し付けすることを締結[2]。
- 2018年(平成30年) - 2月28日、事業が軌道に乗らずバートインターナショナルが矢掛商業高等学校から退去。矢掛町長(2018年現在 山野通彦)の決断によりバートインターナショナル(代表理事 片山敬済)へ交付された補助金の経緯が不透明と問題となっている。
部活動
運動部
文化部
環境への取り組み
- 2009年にユネスコ・スクールに認定
- 生徒会による駅の清掃活動等
- 環境授業の実施
- 川レンジャーによる小田川整備
著名な出身者
旧制中学時代の卒業生を含む。
- 矢吹憲道(岡山円通寺第28世住職、広島市教育課長・社会課長等を歴任、原爆孤児救済に尽力)
- 蜂谷道彦 (医学者、内科医、被爆時の広島逓信病院院長。被爆体験記『ヒロシマ日記』の著者)
- 岡ノ山喜郎(元大相撲力士)
- 池田道孝(衆議院議員・元岡山県議会議員)
- 横溝亮一(音楽評論家)
脚注
注釈
- ^ 旧制中学校の募集を停止し、旧制中学校の1・2年修了者を新制中学2・3年生として併設中学校に収容。
- ^ 併設中学校は1945年(昭和20年)と1946年(昭和21年)に旧制中学校に入学した生徒のみを対象とした暫定的な中学校で、新たに生徒募集を行うことはなかった。
- ^ 旧制中学卒業生(希望者)を新制高校3年として、旧制中学4年修了者を新制高校2年として編入。併設中学校卒業生を新制高校1年として収容。
- ^ 併設中学校は継承され、在校生は3年生(1946年(昭和21年)4月旧制中学入学生)のみとなる。
- ^ 現・矢掛町立矢掛小学校。
- ^ 高等女学校の募集を停止し、高等女学校の1・2年修了者を新制中学2・3年生として併設中学校に収容。
- ^ 併設中学校は1945年(昭和20年)と1946年(昭和21年)に高等女学校に入学した生徒のみを対象とした暫定的な中学校で、新たに生徒募集を行うことはなかった。
- ^ 高等女学校卒業生(希望者)を新制高校2・3年として編入。併設中学校卒業生を新制高校1年として収容。
- ^ 併設中学校は継承され、在校生は3年生(1946年(昭和21年)4月高等女学校入学生)のみとなる。
- ^ 当分の間、旧両校の校舎を「東校舎」、「西校舎」と改称して使用(2校舎制)。
- ^ この時点では校舎による男女別学であったため完全な男女共学ではなかった。
- ^ 1962年(昭和37年)4月1日開校。設置者は矢掛町。
- ^ 岡山県立矢掛高等学校と岡山県立矢掛商業高等学校の再編・整備。
- ^ 閉校後に矢掛町が岡山県から取得。
出典
- ^ “矢掛高の存続策探る 協議会発足し、初会合”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2014年1月23日). オリジナルの2014年2月2日時点におけるアーカイブ。 2014年8月12日閲覧。
- ^ “矢掛商高跡地を防災拠点で活用へ 町が社団法人と無償貸し付け協定”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2015年3月6日) 2015年3月9日閲覧。