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2022年10月7日 (金) 04:10時点における版
奈良県立高田東高等学校 | |
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北緯34度31分09秒 東経135度45分49秒 / 北緯34.519194度 東経135.763639度座標: 北緯34度31分09秒 東経135度45分49秒 / 北緯34.519194度 東経135.763639度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 奈良県 |
学区 | 全県一学区 |
設立年月日 | 1976年 |
閉校年月日 | 2007年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程、定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒635-0001 |
奈良県大和高田市松塚200番地 | |
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奈良県立高田東高等学校(ならけんりつ たかだひがしこうとうがっこう)は、かつて奈良県大和高田市松塚にあった公立の高等学校である。
2005年度に県立高等学校再編により、広陵高等学校との合併により、大和広陵高等学校となる。
概要
- 奈良県立高田東高等学校は、当初、大和高田市を中心とした紡績・靴下製造会社、その他県内にある二交替制の職場に勤務する傍らで、高等学校での教育を受けられるように創立された昼間定時制をおく学校として発足した。その後、生徒の激増により全日制を置くようになる[1]。もともとは、同市内に現存している奈良文化高等学校の前身である奈良文化女子短期大学付属高等学校に設置されていた定時制課程から始まり、のちに広陵高等学校(現在の大和広陵高等学校)において設置された昼間定時制に移管され、さらに高田東高等学校として独立した。
- 定時制課程の生徒は、ほぼ全員が勤労者であり、イムラ封筒、岡本、共立、福西メリヤス、富士紡績八尾工場などの企業に働きながら進学していた生徒が多かったようである[2]
- 定時制の生徒は奈良県内のみならず、大阪府ほか北は北海道南は鹿児島県から進学した生徒も少なからずいた[3]。
沿革
- 1976年 - 昼間定時制のみをおく高等学校として発足。
- 1981年 - 全日制をおく。
- 1998年 - 定時制課程の学生募集を正式に停止する。
- 2000年 - 定時制課程を廃止。
- 2005年 - 大和広陵高等学校として再編され、生徒の募集を停止。
- 2007年 - 廃校となる。
設置学科
- 普通科
- 全日制
- 昼間定時制
クラブ活動
- 定時制では、軟式野球部が第26回全国高等学校定時制通信制軟式野球大会に出場した実績がある[4]
- 全日制の弓道部は近畿大会で入賞・国体選手に選ばれるなどの実績がある
卒業後の主な進路
- 卒業後は、就職者が多かった。進学先として、神戸大学、大阪外国語大学、成城大学、神奈川大学、京都産業大学、関西大学、近畿大学、天理大学、奈良大学、姫路獨協大学、小樽商科大学短期大学部、和歌山大学経済短期大学部、奈良県立短期大学、拓殖短期大学、中日本自動車短期大学、高山短期大学、龍谷大学などの実績がある[5]。
- 定時制課程の卒業者は、在学中から勤務していた企業にそのまま継続して勤務する者や新たに就職する人、帰郷する人などが多く、進学者はごく僅かだった。しかし、奈良文化女子短期大学をはじめとした高等教育機関への進学者も若干みられた[6]。
現況
- 廃校の校舎がそのまま残っている。
最寄り駅は、近鉄大阪線松塚駅より徒歩で約2-3分程度だった。