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2022年10月7日 (金) 04:23時点における版
南濃町立南濃高等学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 南濃町 |
設立年月日 | 1951年[注釈 1] |
閉校年月日 | 1987年 |
課程 | 定時制 |
設置学科 | 普通科 |
所在地 | 〒503-0411 |
岐阜県海津郡南濃町駒野826-2 | |
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南濃町立南濃高等学校(なんのうちょうりつ なんのうこうとうがっこう)とは、かつて岐阜県海津郡南濃町(現・海津市)にあった公立の定時制高等学校。
概要
- 生徒の殆どは新内外綿駒野工場(現・ナイガイテキスタイル)の従業員であった。校舎も新内外綿駒野工場に隣接していた。
沿革
- 1951年(昭和26年)
- 1月 - 海津郡城山村に岐阜県立海津高等学校城山分校の設置を認可。
- 4月1日 - 岐阜県立海津高等学校城山分校として開校。設置者は城山村で、岐阜県立海津高等学校城山村立城山分校とも称した。定員は普通科40人、家庭科80人。三部制授業(定時制)。新内外綿駒野工場及び城山中学校を仮校舎とする。
- 6月10日 - 開校式。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)9月 - 校舎を新築し移転。
- 1960年(昭和35年)6月 - 家庭科教室が完成。
- 1964年(昭和39年)
- 4月 - 南濃町立南濃高等学校として独立する。
- 10月 - 南校舎が完成。
- 1966年(昭和41年)3月 - 家庭科を家政科に改称する。
- 1967年(昭和42年)2月 - 体育館兼講堂が完成。
- 1979年(昭和54年) - 普通科・家政科の夜間募集を停止。二部制授業となる。
- 1987年(昭和62年)3月 - 廃校。
注釈
- ^ 海津高校城山分校設立年。閉校記念誌の題名にある三十六年は城山分校設置の年から南濃高校の閉校年までの年数である。
参考文献
- 南濃町史 通史編 (岐阜県海津郡南濃町 1982年) P.918 - 921
- 欅:三十六年の歩み 南濃高等学校閉校記念誌 (南濃町立南濃高等学校 1987年)
- 岐阜県定通教育三十周年記念誌 (岐阜県高等学校定時制通信制三十周年記念会 1978年) P.84