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「大阪教育大学附属平野中学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 04:55時点における版

大阪教育大学附属平野中学校
地図北緯34度37分5.7秒 東経135度33分3.2秒 / 北緯34.618250度 東経135.550889度 / 34.618250; 135.550889座標: 北緯34度37分5.7秒 東経135度33分3.2秒 / 北緯34.618250度 東経135.550889度 / 34.618250; 135.550889
過去の名称 大阪第一師範学校女子部附属中学校
大阪学芸大学附属平野中学校
大阪教育大学教育学部附属平野中学校
国公私立の別 国立学校
設置者 国立大学法人大阪教育大学
設立年月日 1947年
共学・別学 男女共学
学校コード C127110000027 ウィキデータを編集
所在地 547-0032
大阪市平野区流町2丁目1番24号
外部リンク 大阪教育大学附属平野中学校
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大阪教育大学附属平野中学校(おおさかきょういくだいがくふぞくひらのちゅうがっこう)は、大阪府大阪市平野区にある国立中学校

概要

大阪教育大学の前身の一つである、旧制大阪第一師範学校女子部(当時平野に所在、のちに柏原市に統合移転)附属国民学校の高等科を振り替える形で、1947年学制改革により大阪第一師範学校女子部附属中学校として開校。当初は平野に附属高校がなく、卒業生の進学先として附属高校設立を求める声が1960年代以降関係者から出るようになった。幼稚園小学校・中学校の学級数を減らしてでも高校平野校舎の設立をという機運になり、1972年大阪教育大学附属高等学校平野校舎の設置とともに3学級編成の少数精鋭教育を行っている。

自省五問(真実であるか、公正であるか、個人の価値を尊重しているか、責任をわきまえているか、健康であるか)を理念として掲げ、(考え、確かめ、発動する)を教育目標としている。

平成4年度から平成6年度にかけて、文部省の研究開発指定校として取り組んだ、授業システム「JOIN」[1](選択履修の新しい試み)が特徴的である。これは、自分にあった課題を見つけ、主体的な学びと生き方の自覚を深めていくことをグループ学習や教官の指導の下獲得していくものであり、現在の総合的な学習の時間のさきがけといえるものである。

「附中生は行事で育つ」を合言葉としており、生徒が参画することで自主性や自立性を身に付けられるよう、学校行事を充実させている。

近隣に所在する五校園(附属幼稚園附属平野小学校、附属平野中学校、附属高等学校平野校舎附属特別支援学校)と連携した教育研究活動が行われている。

附属中学校長は同敷地内附属高等学校平野校舎の校舎主任も兼任している。

学校行事

  • 4月 - 磯実習(3年)
  • 5月 - 林間学舎(1年)、修学旅行(3年)、三附中交歓会(2年)
  • 6月 - 体育祭
  • 7月 - 臨海学舎(2年)(昭和22年から毎年実施されており、現在は六口島岡山県倉敷市)で、1㎞と3㎞の遠泳を行う。なお、2020年度は新型コロナウイルスの影響で中止となっている)
  • 9月 - 文化祭
  • 11月 - 研究発表会、遠足
  • 12月 - 総合的学習発表会

入試

1学級36名の3学級編成である。

附属平野小学校から60名程度が連絡進学する。

天王寺池田と違って、副教科の学科試験がなく、国算(各100点)理社(各50点)の4教科のみである。

その分合格ラインは高く、7割でも不合格で7割5分が必要とされる。

倍率は近年8倍前後であり、難易度は全国の中ではかなり高い。

進学

大阪教育大学附属高等学校平野校舎へは約3分の2が連絡進学している。

校舎の変遷

1949年以降学年進行で段階的に進行した旧制大阪第一師範学校女子部から新制大阪学芸大学への移行に伴い、附属中学校は大阪学芸大学第一師範学校平野附属中学校(1949年)・大阪学芸大学附属平野中学校(1951年)へと短期間で改称している。

開校当初の校舎は附属平野小学校に併設されていたが、1951年に現在地に独立校舎を設置している。

大学の改称に伴い、1967年には大阪教育大学附属平野中学校へと改称した。さらに1973年には大阪教育大学教育学部附属平野中学校へと改称している。

1961年には校地の一部を割き、従来は附属平野小学校内にあった附属幼稚園の独立園舎が竣工した。また1972年には敷地内に大阪教育大学附属高等学校平野校舎が併設されている。

2004年国立大学法人化に伴い、校名が再び大阪教育大学附属平野中学校となる。

沿革

1947年学制改革により、従来の旧制大阪第一師範学校女子部附属国民学校(現在の大阪教育大学附属平野小学校)高等科を振り替える形で、大阪第一師範学校女子部附属中学校として開校した。当時平野にあった大阪第一師範学校女子部(のち大阪教育大学平野分校・現在は柏原市に統合移転)の附属学校として開設されている。

1949年以降学年進行で段階的に進行した旧制大阪第一師範学校女子部から新制大阪学芸大学への移行に伴い、附属中学校は大阪学芸大学第一師範学校平野附属中学校(1949年)・大阪学芸大学附属平野中学校(1951年)へと短期間で改称している。

開校当初の校舎は附属平野小学校に併設されていたが、1951年に現在地に独立校舎を設置している。

大学の改称に伴い、1967年には大阪教育大学附属平野中学校へと改称した。さらに1973年には大阪教育大学教育学部附属平野中学校へと改称している。

1961年には校地の一部を割き、従来は附属平野小学校内にあった附属幼稚園の独立園舎が竣工した。また1972年には敷地内に大阪教育大学附属高等学校平野校舎が併設されている。

年表

  • 1947年4月 - 大阪第一師範学校女子部附属中学校として開校する。
  • 1949年7月 - 大学の改称に伴い、大阪学芸大学第一師範学校平野附属中学校に改称。
  • 1951年3月 - 現在地に新校舎竣工する。
  • 1951年4月 - 校名を大阪学芸大学附属平野中学校と改称。
  • 1963年 - 特殊学級を併設。
  • 1966年 - 特殊学級が附属平野小学校特殊学級と統合し、大阪学芸大学附属養護学校として独立開校。
  • 1967年6月 - 校名を大阪教育大学附属平野中学校と改称する。
  • 1973年4月 - 校名を大阪教育大学教育学部附属平野中学校と改称する。
  • 1992年4月 - 文部大臣より研究開発学校に指定。
  • 1999年4月 - 文部省より道徳教育実践研究協力校に指定。
  • 2000年4月 - 前後期制導入。
  • 2002年4月 - 校門に防犯システムを導入。前後期制を3学期制に戻す。
  • 2004年4月 - 大学の法人化により校名を大阪教育大学附属平野中学校に改称。

通学区域

学校が指定した地域(大阪府の大半・奈良県の一部)に保護者と共に居住し、かつ通学時間がおよそ60分以内の者が出願できる。

交通

脚注

  1. ^ JOIN(2・3年)とは「Jungle Of INspration(感性の森)」の略で、「参加する」という意味もある。
    STEP(1年)とは来年度のJOINに向けて「学び方」や「調べ方」を学ぶことで、「歩み」「足跡」「模範」「段階」などの意味がある。大阪教育大学附属平野中学校 学校情報ブログ [H26.12.6(土)]

関連項目

外部リンク

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