コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「大阪市立三稜中学校」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{日本の学校
{{Infobox 日本の学校
|校名 = 大阪市立三稜中学校
|校名 = 大阪市立三稜中学校
|画像 = [[ファイル:Osakashiritsu Sanryo Cyugakko.jpg|300px|大阪市立三稜中学校]]
|画像 = [[ファイル:Osakashiritsu Sanryo Cyugakko.jpg|300px|大阪市立三稜中学校]]

2022年10月7日 (金) 05:03時点における版

大阪市立三稜中学校
大阪市立三稜中学校
地図北緯34度36分26.4秒 東経135度29分59.2秒 / 北緯34.607333度 東経135.499778度 / 34.607333; 135.499778座標: 北緯34度36分26.4秒 東経135度29分59.2秒 / 北緯34.607333度 東経135.499778度 / 34.607333; 135.499778
過去の名称 大阪市立住吉第三中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪市
設立年月日 1947年4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C127210000971 ウィキデータを編集
所在地 558-0047
大阪府大阪市住吉区千躰1丁目5番22号
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

大阪市立三稜中学校(おおさかしりつ さんりょう ちゅうがっこう)は、大阪府大阪市住吉区にある公立中学校

校名の「三稜」は、校名制定当時(1949年)の校区が大阪市立墨江小学校大阪市立遠里小野小学校大阪市立清水丘小学校の3小学校の校区だったことで、「3小学校を基盤として、その頂点に立って3校が結ばれて発展する」という意味が込められている。

沿革

学制改革と同時の1947年に、住吉区で最初の中学校の一つ・大阪市立住吉第三中学校として創立した。創立当初の校区は、墨江遠里小野清水丘住吉の4小学校の校区だった。しかし翌1948年、大阪市立住吉第五中学校(現在の大阪市立住吉中学校)の新設に伴い、住吉小学校校区を住吉第五中学校校区へと変更した。

地域の宅地化に伴い小学校が増設されたため、1960年代には新設小学校の大阪市立南住吉小学校大阪市立山之内小学校の校区を中学校校区へと編入している。

一方で地域の生徒の増加によりマンモス校となったため、1970年代には大阪市立大和川中学校大阪市立墨江丘中学校の2中学校が相次いで分離開校している。

年表

  • 1947年4月1日 - 大阪市立住吉第三中学校として創立。
  • 1948年4月1日 - 大阪市立住吉第五中学校(現在の大阪市立住吉中学校)の創立に伴い校区縮小。
  • 1949年5月1日 - 大阪市立三稜中学校に改称。
  • 1961年4月1日 - 大阪市立南住吉小学校の開校に伴い、南住吉小学校校区を当校校区に編入。
  • 1970年4月1日 - 大阪市立山之内小学校の開校に伴い、山之内小学校校区を当校校区に編入。
  • 1972年9月15日 - 分校を設置。1年生を収容。
  • 1973年4月1日 - 分校が大阪市立大和川中学校として独立。2年生のうち該当校区(遠里小野・山之内小学校区)在住者を大和川中学校へ移籍。
  • 1978年4月1日 - 大阪市立墨江丘中学校を分離。2年生のうち該当校区(墨江・清水丘小学校区)在住者を墨江丘中学校へ移籍。
  • 1984年4月12日 - 講堂兼体育館完成。
  • 1999年 - 新校舎が完成。

通学区域

大阪市住吉区 我孫子西、沢ノ町、南住吉、千躰1丁目、殿辻1丁目。

出身者

交通

参考文献

  • 大阪市立三稜中学校『創立50周年記念誌 - 三稜』1997年。 

関連項目

外部リンク