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「八幡市立男山第三中学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 09:06時点における版

八幡市立男山第三中学校
地図北緯34度52分09秒 東経135度41分42秒 / 北緯34.869028度 東経135.695111度 / 34.869028; 135.695111座標: 北緯34度52分09秒 東経135度41分42秒 / 北緯34.869028度 東経135.695111度 / 34.869028; 135.695111
過去の名称 八幡町立男山第三中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 八幡市
校訓 規律・責任・友情
設立年月日 1975年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
学期 3学期制
学校コード C126210001436 ウィキデータを編集
所在地 614-8372
京都府八幡市男山笹谷3番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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八幡市立男山第三中学校(やわたしりつ おとこやまだいさんちゅうがっこう)は、京都府八幡市男山笹谷に所在する公立中学校。通称「三中」(さんちゅう)。

概要

八幡市で3校目の中学校として1975年に開校した中学校である。

男山団地北部と橋本地区、西山地区を校区としている。

校地は鉄筋3階建て校舎3棟、体育館、柔剣道場(選挙の際に使用)、グラウンドからなり、他の市立中学校と同様にプールは導入されていない。

学校給食が2017年5月1日より導入されている。

制服は指定のものを着用することになっている。


沿革

  • 1975年昭和50年)4月 - 八幡町立男山第三中学校開校(男山中学校、男山第二中学校から分離)
  • 1977年(昭和52年)11月 - 市制施行に伴い八幡市立男山第三中学校に改称
  • 1978年(昭和53年) - 北校舎を新築、中校舎の一部を増築。生徒数が500人を突破
  • 1981年(昭和56年) - 中校舎、北校舎を増築(それぞれ西側へ拡張。生徒数798人)
  • 1982年(昭和57年)6月 - 柔剣道場竣工[1]
  • 1984年(昭和59年) - 北校舎を増築(西側へ拡張)、障害児学級新設。生徒数が1000人を突破
  • 1985年(昭和60年)10月 - 職員室にコンピューターを配備(南山城地域で初)[2]
  • 1988年(昭和63年) - 生徒数がピークを迎える(1263人、31学級)
  • 1990年平成2年)3月 - LL教室新設[3]
  • 1992年(平成4年)10月 - コンピューター教室新設[4]
  • 1999年(平成11年)7月 - 体育館の天井からコンクリート片が落下[5]
  • 2001年(平成13年) - コンピューター機器を更新
  • 2002年(平成14年) - 校内LANを整備。教室に壁掛け型扇風機を設置[6]
  • 2003年(平成15年)4月 - 2学期制導入(市立学校初)
  • 2003年(平成15年)5月 - 天竜川下り転覆事故発生[7]
  • 2004年(平成16年)7月 - 「敷地内(校内)全面禁煙」を実施開始[8]
  • 2004年(平成16年)10月 - 耐震補強工事竣工
  • 2006年(平成18年) - 「読み書き計算モジュール学習」を開始
  • 2007年(平成19年) - 昼食サポート制度を本格実施
  • 2008年(平成20年) - 特別教室(保健室、図書室、音楽室、家庭科室)にエアコンを設置[9]
  • 2010年(平成22年)7月 - 普通教室にエアコンを設置[10]。太陽光発電設備設置[11][12]
  • 2011年(平成23年) - 各教室に地デジ対応液晶テレビを設置
  • 2011年(平成23年)7月 - NIE(教育に新聞を)2011年度実践指定校に認定[13]

部活動

体育系
  • 陸上競技部
  • サッカー部
  • 野球部
  • ソフトボール部
  • 男子ソフトテニス部
  • 女子ソフトテニス部
  • 男子卓球部
  • 女子卓球部
  • 女子バスケットボール部
  • 女子バレーボール部
  • 剣道部
文化系
  • 吹奏楽部
  • 美術部
  • カルチャー・理科部
かつて存在した部活動
  • 柔道部
  • 体操部
  • 男子バレーボール部
  • 囲碁・将棋部
  • 演劇部
  • 合唱部
  • ESS部
  • 家庭科部
  • 理科部
  • 技術部

校区

八幡市では公立学校選択制が導入されていないため、この2校の小学校区在住の場合、市立中学校への進学は原則男山第三中学校となる。

周辺施設

著名な出身者

交通

その他

コンクリート片落下事故

1999年7月9日朝、部活動をするために体育館に入った教師が体育館床にコンクリート片が落下しているのを発見した。けが人はいなかった。8日夜から9日朝にかけて、コンクリート製の柱(高さ7.7m)の上端が、縦46cm、横27cm、厚さ10cm(いずれも最大値)にわたって落下した[5]

市は13日までに柱のひび割れ部分に樹脂を注入したり、更に崩落しそうな部分を取り去る処置をした[5]。 男山第三中学校の体育館は、鉄筋コンクリート造りで、18本のコンクリート柱が屋根を支えている構造で、同じ工法の市立学校の体育館を点検することになった[14]

天竜川下り転覆事故

2003年5月23日長野県飯田市時又の天竜川で、修学旅行[15]に来ていた男山第三中学校3年生25人と引率の教師2人、船頭2人の計29人が乗った観光船(川下り船)が転覆した[7]。29人全員が救助され、生徒1人が頭部打撲の軽いけがをし、船頭1人が肋骨の折れる重傷を負った[16]

事故は天竜橋の上流約300m付近(水深2~4m、川幅約25m)で起きた。修学旅行中の3年生226人が9隻の船に分かれて弁天港を出発し、下流にある終点の時又港に向かったが、このうち2隻目に出発した船が転覆した。転覆した2隻目は水深が浅く流れも急な天竜川とイタチガ沢の合流する付近で岩にぶつかり、船底から浸水、全員が船外へ投げ出された[16]。その後自力で岸まで泳ぎ着いたり、後続の船やたまたま居合わせたボートに乗った人に助け出されたりして、全員が救助された。転覆後、約500m流された生徒もいたという[17]。問題の岩は左岸から約4mの水中に先端を数センチのぞかせた状態であり、船は船首部分からやや斜めに岩へ乗り上げた結果、中央部に穴が開き、浸水しながら転覆、沈没したと考えられている[18]

船は全長12m、幅2m、深さ60cm[19]、30人乗りの向かい合わせに乗る形で、運営会社の「天竜舟下り」によると、背中の部分にスポンジタイプの救命具を備え付けていたが、救命胴衣は装着していなかった[17]。事故当時増水していたわけではなく[17]、天候も特に荒れていなかったため、船頭の操縦ミスの可能性が高いという[16][18]

天竜川下りでは、1987年5月にも観光船が水面に出ていた丸太にぶつかり転覆する事故を起こしていた(2人が死亡)[17]。今回の事故を受けて同社は2003年6月、従来のスポンジタイプの救命具の設置に加えて、大人を含む乗客全員にライフジャケットの着用を義務化した[20][21][注 1]

脚注

注釈
  1. ^ 2003年からの法令では、20トン未満の小型船舶の操縦者は、12歳未満の子供に救命胴衣を常に着用させることが定められ、罰則も存在する。大人については「着用に努める」とされている。
出典
  1. ^ 出典元:「広報やわた」第216号(1982年6月発行)
  2. ^ 出典元:「広報やわた」第260号(1985年11月発行)
  3. ^ 出典元:「広報やわた」第319号(1990年4月発行)
  4. ^ 出典元:「広報やわた」第351号(1992年11月発行)
  5. ^ a b c "コンクリート製柱の上端崩落 八幡市の男山第三中 夜間の体育館、けが人なし"1999年7月14日付京都新聞朝刊 第22面
  6. ^ 教育委員会広報紙「くすのき」第32号”. 八幡市教育委員会教育総務課 (2002年7月19日). 2011年6月12日閲覧。
  7. ^ a b "29人乗り舟転覆 修学旅行生ら全員救助"2003年5月23日付 朝日新聞夕刊(東京本社4版)第1面
  8. ^ 教育委員会広報紙「くすのき」第38号”. 八幡市教育委員会教育総務課 (2004年7月1日). 2011年6月12日閲覧。
  9. ^ 教育委員会広報紙「くすのき」第50号”. 八幡市教育委員会教育総務課 (2008年7月1日). 2011年6月12日閲覧。
  10. ^ 4中学の夏休み短縮検討 空調設置で八幡市教委”. 京都新聞 (2010年9月1日). 2011年8月20日閲覧。
  11. ^ 教育委員会広報紙「くすのき」第55号”. 八幡市教育委員会教育総務課 (2010年11月15日). 2011年6月12日閲覧。
  12. ^ 太陽光発電設備が稼働 男山中と男山第三中”. 京都新聞 (2010年7月6日). 2011年8月20日閲覧。
  13. ^ 2011年7月15日付 朝日新聞朝刊34面(第2京都面)
  14. ^ 1999年7月15日付 京都新聞朝刊 山城面
  15. ^ 21日に出発し、上高地などを回り、23日に川下りなどをした後、学校に戻る予定だった。(2003年5月23日付 毎日新聞夕刊(東京本社版第4版)13面)
  16. ^ a b c "「急流に生徒、早く」"2003年5月24日付 朝日新聞朝刊(東京本社版第14版)第35面
  17. ^ a b c d "救命具抱え「助けて」"2003年5月23日付 朝日新聞夕刊(東京本社4版)第19面
  18. ^ a b "観光舟操船誤り 岩に乗り上げ?"2003年5月25日付 毎日新聞朝刊(東京本社14版)第27面
  19. ^ "舟底の破損部調査"2003年5月24日付 朝日新聞夕刊(東京本社版第4版)第15面
  20. ^ 2011年8月18日付 朝日新聞朝刊(大阪本社版)第31面
  21. ^ 2011年8月18日付 朝日新聞夕刊(大阪本社版)第9面

参考文献

  • 八幡市教育委員会教育総務課『平成22年度 八幡市の教育』2010年7月

関連項目

外部リンク