「栃木市立藤岡中学校」の版間の差分
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== 統合校 == |
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=== 第二中学校 === |
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2022年10月7日 (金) 10:12時点における版
栃木市立藤岡中学校 | |
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北緯36度16分12秒 東経139度39分9.5秒 / 北緯36.27000度 東経139.652639度座標: 北緯36度16分12秒 東経139度39分9.5秒 / 北緯36.27000度 東経139.652639度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 栃木市 |
併合学校 |
栃木市立藤岡第一中学校 栃木市立藤岡第二中学校 |
校訓 | 考動 響生 創自 |
設立年月日 | 2021年4月1日[1] |
創立者 | 栃木市 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C109210001204 |
所在地 | 〒323-1104 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
栃木市立藤岡中学校(とちぎしりつ ふじおかちゅうがっこう)は、栃木県栃木市藤岡町藤岡にある公立中学校。2022年(令和4年)に[1]旧藤岡第一中学校の校地を継承して開校した[2]。
歴史
2016年(平成28年)2月、栃木市教育委員会は「栃木市立小中学校適正配置基本方針」を策定し、学校の適正規模を示した[3]。これに満たない藤岡第二中学校では、同年5月に住民説明会を初開催し、2017年(平成29年)1月、第二中学校と第二中学校に進学する部屋小学校の保護者を対象としたアンケートで、統合した方が良いとの回答が77%に達した[3]。2018年(平成30年)5月に、藤岡第二中学校地元代表協議会は統合やむなしとの結論を得て、教育委員会に藤岡第一中学校との統合を要望した[3]。2019年(令和元年)11月に統合の方針が新聞報道され[2]、2020年(令和2年)2月20日発行の「広報とちぎ3月号」で、2022年(令和4年)4月1日に第一中学校と第二中学校を統合し、藤岡中学校を開校することと、第一中学校の校舎・施設を利用することが市民に周知された[4]。
2022年(令和4年)3月31日、第一中学校と第二中学校が閉校し、翌4月1日に藤岡中学校が開校した[1]。
校歌
校歌は八津弘幸の作詞、矢口博康の作曲で、3番まであり、「藤色の物語(ストーリー)」という題名がある[5]。作詞者・作曲者とも藤岡第一中学校の卒業生である[6]。
通学区域
統合校
第一中学校
栃木市立藤岡第一中学校 | |
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北緯36度16分12秒 東経139度39分9.5秒 / 北緯36.27000度 東経139.652639度 | |
過去の名称 | 藤岡町立藤岡第一中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 栃木市 |
設立年月日 | 1959年4月1日[5] |
閉校年月日 | 2022年3月31日[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C109210001204 |
中学校コード | C109210001204[8] |
所在地 | 〒323-1104 |
栃木県栃木市藤岡町藤岡10番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
栃木市立藤岡第一中学校(とちぎしりつ ふじおかだいいちちゅうがっこう)は、栃木県栃木市藤岡町藤岡にあった公立中学校。教育目標は、考える生徒 やりぬく生徒 助け合う生徒であった。校地は藤岡中学校に継承された[2]。
第一中学校の年表
第一中学校の通学区域
栃木市立藤岡小学校・栃木市立三鴨小学校・栃木市立赤麻小学校の学区を合わせたものだった[10]。
- 栃木市のうち
- 藤岡町藤岡
- 藤岡町内野
- 藤岡町下宮
- 藤岡町赤麻
- 藤岡町大前
- 藤岡町甲
- 藤岡町都賀
- 藤岡町大田和
- 藤岡町太田
藤岡第一中学校の卒業生
閉校までに14,262人が卒業した[9]。
第二中学校
栃木市立藤岡第二中学校 | |
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北緯36度16分59.6秒 東経139度41分48.3秒 / 北緯36.283222度 東経139.696750度 | |
過去の名称 |
部屋村立部屋中学校 藤岡町立部屋中学校 藤岡町立藤岡第二中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 栃木市 |
設立年月日 | 1947年4月1日 |
閉校年月日 | 2022年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C109210001204 |
中学校コード | C109210001213[8] |
所在地 | 〒329-0311 |
栃木県栃木市藤岡町富吉1544番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
栃木市立藤岡第二中学校(とちぎしりつ ふじおかだいにちゅうがっこう)は、栃木県栃木市藤岡町富吉にあった公立中学校。教育目標は、「自ら学び、自ら問う生徒」、「人を思いやり、協調し合う生徒」、「健康で、きびきび活動する生徒」であった。生徒会は、放送・体育・図書・給食・ボランティア・広報・保健の7委員会、部活動はソフトテニス・サッカー・ソフトボール・柔道・バレーボールの5部が活動していた。2022年(令和4年)に栃木市立藤岡第一中学校と統合し、閉校した[1]。
第二中学校の年表
- 1947年4月1日 - 部屋小学校の一部を使用し、部屋村立部屋中学校として発足。
- 1949年7月15日 - 第1期工事として現在地に校舎が落成し移転。
- 1955年3月31日 - 町村合併により藤岡町立部屋中学校となる。
- 1959年4月1日 - 藤岡町立藤岡第二中学校と校名変更。
- 2010年3月29日 - 市町合併により栃木市立藤岡第二中学校となる。
- 2022年
第二中学校の通学区域
- 栃木市のうち
- 藤岡町部屋
- 藤岡町新波
- 藤岡町石川
- 藤岡町帯刀
- 藤岡町緑川
- 藤岡町西前原
- 藤岡町蛭沼
- 藤岡町富吉
- 藤岡町中根
脚注
- ^ a b c d e f g h i “令和4(2022)年度公立小・中学校及び義務教育学校の設置廃止等の状況について”. 栃木県教育委員会義務教育課人事担当 (2022年3月31日). 2022年4月18日閲覧。
- ^ a b c d e “藤岡第一、第二中を統合 22年度「藤岡中」開校 栃木市教委が再編方針”. 下野新聞 (2019年11月29日). 2022年4月12日閲覧。
- ^ a b c “藤岡第一中・藤岡第二中統合準備会だより第1号” (2018年11月1日). 2022年4月18日閲覧。
- ^ “広報とちぎ3月号”. 栃木市 (2020年2月20日). 2022年4月18日閲覧。
- ^ a b c d e “藤岡第一中・藤岡第二中統合準備会だより第6号” (2022年3月18日). 2022年4月18日閲覧。
- ^ “藤岡第一中・藤岡第二中統合準備会だより第5号” (2021年5月20日). 2022年4月18日閲覧。
- ^ “栃木市立中学校通学区域表”. 栃木市 (2022年4月). 2022年4月18日閲覧。
- ^ a b “文部科学省 学校コード/北海道〜三重県”. 文部科学省総合教育政策局 (2021年5月1日). 2022年4月3日閲覧。
- ^ a b c “伝統引き継ぎ再出発へ 栃木・藤岡第一中で閉校式”. 下野新聞. 2022年4月12日閲覧。
- ^ “栃木市立中学校通学区域表”. 栃木市 (2015年5月12日). 2022年4月18日閲覧。 “Internet Archiveによる2017年3月19日時点のアーカイブページ。”
- ^ a b とちぎテレビ (2022年2月17日). “栃木市藤岡第二中学校で閉校式 75年の歴史に幕”. ノアドット. 2022年4月13日閲覧。
- ^ a b “栃木駅にストリートピアノ 栃木市、藤岡二中から受け継ぐ 5月1日にお披露目式”. 下野新聞 (2022年4月7日). 2022年4月13日閲覧。
- ^ “栃木市立小中学校区”. 栃木市 (2015年5月12日). 2017年5月5日閲覧。