コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「印西市立船穂中学校」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 新規情報の追記
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{混同|x1=[[岡山県]][[倉敷市]]にある|倉敷市立船穂中学校}}
{{混同|x1=[[岡山県]][[倉敷市]]にある|倉敷市立船穂中学校}}
{{日本の学校
{{Infobox 日本の学校
|校名=印西市立船穂中学校
|校名=印西市立船穂中学校
|画像=
|画像=

2022年10月7日 (金) 10:21時点における版

印西市立船穂中学校
地図北緯35度47分42.8秒 東経140度7分56.3秒 / 北緯35.795222度 東経140.132306度 / 35.795222; 140.132306座標: 北緯35度47分42.8秒 東経140度7分56.3秒 / 北緯35.795222度 東経140.132306度 / 35.795222; 140.132306
国公私立の別 公立学校
設置者 印西市
設立年月日 1947年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C112210003065 ウィキデータを編集
中学校コード 120264[1]
所在地 270-1342
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

印西市立船穂中学校(いんざいしりつ ふなほちゅうがっこう)は、千葉県印西市高花一丁目にある公立中学校

概要

千葉ニュータウン中央駅から車で5分の場所にある本校は、ニュータウン地区と旧農村地区とが共生する、伝統と活気に満ちた学校である。 本校は旧来からの農村地域である船穂・草深地区を学区としていたが、千葉ニュータウン事業の進展により昭和59年(1984年)に内野地区の入居が始まって以来、年間70名~80名の急激な生徒数増をみてきた。平成元年にはニュータウン地区の生徒数が8割を超え、生徒数586名、普通学級14、特殊学級1の規模となり、翌平成2年ニュータウン地区に原山中学校が分離開校することとなった[2]

沿革

  • 1947年(昭和22年)5月 - 新制度により船穂村立船穂小学校開校。船穂小、草深小学校校舎内に各学年1クラス、職員6名、生徒183名。
  • 1948年(昭和23年)2月 - 新校舎起工式(船尾字原山1449)。
  • 1949年(昭和24年)2月 - 校舎落成。
  • 1954年(昭和29年)12月 - 町村合併により印西町立船穂中学校と改称する。
  • 1990年(平成2年)4月 - 原山中学校開校により分離。
  • 1996年(平成8年)4月 - 市制施行、印西市立船穂中学校と改称。

学区

  • 高花小学校の学区である印西市高花一丁目、高花二丁目、高花三丁目、高花四丁目、高花五丁目及び高花六丁目の全部の区域並びに草深の一部の区域[3]

著名な出身者


脚注

関連項目

外部リンク

Template:印西市の小・中学校