「名古屋市立菊井中学校」の版間の差分
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名古屋市立菊井中学校 | |
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北緯35度10分55秒 東経136度53分21秒 / 北緯35.181889度 東経136.889194度座標: 北緯35度10分55秒 東経136度53分21秒 / 北緯35.181889度 東経136.889194度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C123210000190 |
所在地 | 〒451-0043 |
愛知県名古屋市西区新道一丁目6番33号 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
名古屋市立菊井中学校(なごやしりつ きくいちゅうがっこう)は、愛知県名古屋市西区新道にある名古屋市立中学校。
沿革
- 1947年(昭和22年)4月 - 本校舎を幅下小学校内に、分教場を江西小学校内に置き、名古屋市立菊井中学校として創立される[1]。
- 1949年(昭和24年)4月 - 名古屋市立西陵商業高等学校より6教室を借用し、分教場を設置[1]。
- 1950年(昭和25年)1月 - 現在地において新校舎を竣工し、同時に江西小学校内分教場を9教室に変更[1]。
- 1974年(昭和49年)4月 - 特殊学級(難聴)を設置する[1]。
- 1994年(平成6年)4月 - からくり時計設置[1]。
歴代校長
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年は着任年を示す
- 2015年(平成27年) - 安保章一[2]
生徒会活動・部活動
生徒会活動
部活動
通学区域
2015年(平成27年)3月以前は、幅下小学校・江西小学校・那古野小学校の各学区を通学区域としていたが、各校が統合されなごや小学校となったため、なごや小学校学区のみが通学区域となっている[5]。
- 牛島町[5]
- 押切一丁目(一部)[5]
- 菊井一丁目(一部)[5]
- 菊井二丁目[5]
- 城西(一部)[5]
- 新道一丁目・同二丁目[5]
- 浅間一丁目・同二丁目(各一部)[5]
- 那古野一丁目・同二丁目[5]
- 則武新町三丁目(一部)[5]
- 幅下一丁目・同二丁目[5]
- 名駅一丁目~同三丁目[5]
脚注
- ^ a b c d e f “学校の沿革”. 名古屋市立菊井中学校. 2015年4月1日閲覧。
- ^ “名古屋市の教職員異動 校長・園長” (日本語). 中日新聞朝刊市民版・なごや東版: p. 1. (2015年3月29日)
- ^ a b c d e f “生徒委員会”. 名古屋市立菊井中学校. 2015年4月1日閲覧。
- ^ a b c d “部活動”. 名古屋市立菊井中学校. 2015年4月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 名古屋市教育委員会事務局子ども応援委員会制度担当部学校計画室計画係 (2015年4月1日). “名古屋市立小・中学校の通学区域一覧(西区)” (PDF). 名古屋市. 2015年4月1日閲覧。