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2022年10月7日 (金) 12:39時点における版
金山町立濃斐中学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 金山町 |
設立年月日 | 1948年 |
閉校年月日 | 1970年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒509-1622 |
岐阜県下呂市金山町金山2619[注釈 1] | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
金山町立濃斐中学校(かなやまちょうりつ のうひちゅうがっこう)は、かつて岐阜県益田郡金山町(現・下呂市)にあった公立中学校。
概要
- 昭和の大合併以前の武儀郡金山町(金山)、および益田郡下原村(福来・中津原・大船渡・中切・下原町・渡)が校区であった。1951年から1962年までは校舎内に岐阜県立益田高等学校濃斐分校を設置していた。
- 1970年、金山町の4つの中学校(濃斐中学校・菅田中学校・東中学校・東第二中学校)を統合し、金山中学校の新設により廃校。
- 校地校舎は金山小学校に転用された。
沿革
- 1947年4月 -
- 1947年(昭和22年)10月 - 金山町と下原村で学校組合を設立。
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年) - 統合校舎が完成し、移転。
- 1954年(昭和29年) - 校舎を増築する。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 武儀郡金山町、菅田町、郡上郡東村、益田郡下原村が合併し、益田郡金山町が発足。同時に金山町立濃斐中学校と改称する。
- 1960年(昭和35年) - 校舎を増築する。
- 1967年(昭和42年) - 金山町内の4つの中学校(濃斐中学校・菅田中学校・東中学校・東第二中学校)の統合計画が作成される。
- 1970年(昭和45年)
- 3月31日 - 金山町内の中学校を統合し、金山町立金山中学校の新設により廃校。
- 4月1日 - 金山町立金山中学校濃斐分教室となる。
- 1972年(昭和47年) - 金山中学校の統合校舎が完成し、金山中学校濃斐分教室を廃止。
脚注
- ^ 現在の住所表記。
参考文献
- 金山町誌 (金山町誌編纂委員会 1975年) P.912 - 916