下呂市立下原小学校
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下呂市立下原小学校 | |
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北緯35度40分11秒 東経137度10分05秒 / 北緯35.66962度 東経137.16805度座標: 北緯35度40分11秒 東経137度10分05秒 / 北緯35.66962度 東経137.16805度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 下呂市 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 2021年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B121222000108 |
所在地 | 〒509-1616 |
岐阜県下呂市金山町下原町113 | |
外部リンク | 公式サイト |
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下呂市立下原小学校(げろしりつ しもはらしょうがっこう)は岐阜県下呂市にあった市立の小学校。
概要
[編集]- 江戸時代初期までは、飛騨高山藩主金森氏が諸国への往来の際に使用する下原旅館(下原陣屋)が敷地内に存在した。小学校の存在する土地周辺の小字は旅館、旅館平となっている。
- 旧・益田郡下原村の小学校であり、校区は旧・下原村にほぼ該当する。
- 2021年に下呂市金山地区の4つの小学校(金山小学校・下原小学校・菅田小学校・東第一小学校を統合することが決まり、2021年3月に閉校した[1]。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年) - 下原町村に行三義校、中津原村に中津原義校が開校する。
- 1875年(明治8年) - 久野川村、夏焼村、蛇之尾村、田口村、門和佐村、門原村、保井戸村、火打村、和佐村、瀬戸村、三ツ渕村、福来村、中津原村、大船渡村、中切村、下原町村、渡村が合併し下原村が発足。
- 1875年(明治8年) - 行三義校、中津原義校が合併し、下原学校となる。
- 1883年(明治16年) - 下原村から上原村[2]、中原村[3]が分立。
- 1887年(明治20年) - 下原小学校に改称する。
- 1897年(明治30年) - 下原尋常小学校に改称する。
- 1941年(昭和16年) - 下原国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年) - 下原村立下原小学校に改称する。下原村立下原中学校を併設。
- 1948年(昭和23年) - 下原中学校が武儀郡学校組合立金山下原中学校[4]として分離し、単独校となる。
- 1955年(昭和30年)
- 1972年(昭和47年) - 校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 下呂町、小坂町、金山町、萩原町、馬瀬村が合併し、下呂市が発足。同時に下呂市立下原小学校に改称する。
- 2021年(令和3年)3月31日 - 旧下呂市立金山小学校と統合し、閉校。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 児童大幅減で4小学校統合へ「多くの仲間と学ぶ環境を」(岐阜新聞2020年1月12日)
- ^ 久野川・夏焼・蛇之尾・田口・門和佐。
- ^ 門原・保井戸・火打・和佐・瀬戸・三ツ渕。
- ^ 同年5月に武儀郡学校組合立濃斐中学校と改称し、1970年、統合によりか金山町立金山中学校。