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2022年10月7日 (金) 12:55時点における版
高知市立城北中学校 | |
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北緯33度34分04.3秒 東経133度31分31.4秒 / 北緯33.567861度 東経133.525389度座標: 北緯33度34分04.3秒 東経133度31分31.4秒 / 北緯33.567861度 東経133.525389度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 高知市 |
学区 | はりまや橋小学校・小高坂小学校・初月小学校・一ツ橋小学校 |
校訓 | 自ら学び、心豊かで、たくましい生徒の育成(2012年度教育目標)[1] |
設立年月日 | 1947年[2] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制[3] |
学校コード | C139210000012 |
中学校コード | 390011[4] |
所在地 | 〒780-0912 |
高知県高知市八反町一丁目8番14号[5] | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
高知市立城北中学校(こうちしりつ じょうほくちゅうがっこう)は、高知県高知市八反町一丁目にある公立中学校。高知城から見て北西に位置する。
沿革
1947年(昭和22年)5月1日に旧高知市立城北国民学校の校舎を使用して開校し、翌1948年(昭和23年)9月1日にPTAが結成された[2]。開校当時の校区は追手前小学校[注 1]・江ノ口小学校・秦小学校・初月小学校・小高板小学校・潮江小学校・第四小学校・第六小学校の各校区だったが、その後以下のように変遷している[2]。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 第四・第六両小学校区が高知市立城西中学校に、潮江小学校区が高知市立潮江中学校に分離される[2]。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 秦小学校区および江ノ口小学校区の一部(愛宕町以東)が高知市立愛宕中学校に分離される[2]。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 江ノ口小学校区の全域が愛宕中学校に分離される[2]。
- 1971年(昭和46年)4月1日 - 一ツ橋町・宝町の一部が本校区に編入される[2]。
1958年(昭和33年)8月6日にプールが完成したほか、1971年5月23日に体育館が完成したが、体育館は1973年(昭和48年)5月15日に一部を残して焼失してしまう[2]。それ以降は分散授業となったが同年7月13日に仮校舎が完成したことで統一授業が再開された[2]。1973年12月1日 - 1974年(昭和49年)9月20日には校舎改築工事が行われ、新校舎完成後の1974年10月1日に校舎を移転した[2]。10月1日に校舎を移転する[2]。
1981年(昭和56年)には2教室を、1982年(昭和57年)には4教室を、1983年(昭和58年)には6教室をいずれもプレハブ校舎で増設した後、1983年7月27日 - 1984年(昭和59年)3月15日に校舎増築工事を行った[2]。またプール工事も実施され、1985年(昭和60年)6月20日に完成している[2]。
通学区域
- 高知市立はりまや橋小学校区
- 永国寺町
- 与力町
- 唐人町2番,3番
- 本町一丁目
- 本町二丁目
本町三丁目1番,2番,3番の一部,4番の一部
- 廿代町1番の一部,2番の一部,3番から18番まで
- 帯屋町一丁目4番の一部,5番の一部,6番の一部,7番から15番まで
- 帯屋町二丁目
- 追手筋一丁目3番の一部,4番の一部,5番から11番まで
- 追手筋二丁目
- 丸ノ内一丁目1番から3番まで,8番
- 丸ノ内二丁目
- 高知市立小高坂小学校区[注 2]
- 宝町3番から8番,16番から19番まで,23番から25番まで,31番から36番まで
- 宮前町
- 山ノ端町
- 三ノ丸
- 越前町一丁目
- 越前町二丁目
- 桜馬場
- 大膳町
- 新屋敷一丁目
- 新屋敷二丁目
- 西町
- 井口町の一部
- 城北町
- 小津町
- 八反町一丁目
- 八反町二丁目
- 北八反町
- 南万々の一部(紅水川から南の地域)
- 高知市立初月小学校区
- 中万々
- 万々
- 西久万
- 中久万
- 南久万
- 円行寺
- 柴巻
- 南万々の一部(紅水川から北の地域)
- みづき一丁目
- みづき二丁目
- みづき三丁目
- みづき山
- 高知市立一ツ橋小学校区
- 宝町1番,2番,9番から15番まで,20番から22番まで,26番から30番まで
- 東久万
- 一ツ橋一丁目
- 一ツ橋二丁目
周辺
- 四国旅客鉄道(JR四国)土讃線・入明駅および円行寺口駅[8]
- 高知大学教育学部附属中学校・高知大学教育学部附属小学校[8]
- 高知市立小高坂小学校[8]
- 高知県立高知小津高等学校[8]
- 小津神社[8]
出身人物
- 岩本久則 - 漫画家(松田ひろむと同級生)[9]
- 松田ひろむ - 俳人[9]
- 江本孟紀 - 元プロ野球選手、政治家。潮江中学校へ転校。
- 中山裕章 - 元プロ野球選手・横浜大洋ホエールズ→中日ドラゴンズ所属投手[10]
- 卒業後は高知市立高知商業高等学校へ進学し1983年夏・1985年夏の高校野球甲子園大会出場。1985年度ドラフト会議にて大洋から1位指名
- 広末涼子 - 女優(旧高知市立追手前小学校出身)[6]
- 藤川球児 - プロ野球選手・阪神タイガース所属投手[11]
- 高知市立小高坂小学校出身[12]。広末とは同級生で[11]、在学中の1995年(当時3年生)には市内を流れる鏡川に転落した男性を他の中学生3人とともに救助して高知警察署から感謝状を受けている[13]。
- 卒業後は高知商業高校へ進学し1997年夏の高校野球甲子園大会に出場。1998年度ドラフト会議にて阪神から1位指名
- 楠瀬章仁 - 元サッカー選手(ミッドフィールダー)・サッカー指導者[14]
- 卒業後は高知小津高校へ進学[14]。
- 山中詩乃 - 2012年ロンドンオリンピック・近代五種競技日本代表[15][16]
- 卒業後は高知県立山田高等学校(香美市)へ進学[15]。
脚注
注釈
出典
- ^ “平成24年度の学校教育方針(目標)” (PDF). 高知市立城北中学校. 高知県教育委員会 (2012年). 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “学校案内>学校沿革史”. 高知市立城北中学校. 高知県教育委員会. 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ “学校案内(2012年12月)”. 高知市立城北中学校. 高知県教育委員会 (2012年12月). 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ “高知県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE” (PDF). 教育開発出版株式会社. 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ “トップページ”. 高知市立城北中学校. 高知県教育委員会. 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ a b 竹山栄太郎「さよなら追手前小 卒業生に広末涼子さん 高知」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2013年3月23日。オリジナルの2020年2月3日時点におけるアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ 「最後の追手前小卒業生 高知市「オーテピア」開館前に同窓会」『高知新聞』高知新聞社、2018年7月17日。オリジナルの2020年2月3日時点におけるアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ a b c d e “学校案内”. 高知市立城北中学校. 高知県教育委員会. 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ a b “岩本久則よりのクリスマスカード”. 鴎座俳句会&松田ひろむの広場. 楽天ブログ (2018年12月24日). 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ 『中日ドラゴンズ '96ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)・中日新聞本社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、1996年3月13日、47頁。ISBN 978-4806203131。
- ^ a b 「【1月3日】1999年(平11) 藤川球児、故郷で大物女優とバッタリ「標準語だった」」『スポニチアネックス(スポーツニッポン)』スポーツニッポン新聞社、2009年1月1日。オリジナルの2020年2月3日時点におけるアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ 山崎道生(運動部記者)「あのころの球児 阪神・藤川投手を見守った人々【1】 いつも中心にいた 小学校から高校まで“女房役”」『高知新聞』高知新聞社、2005年10月。オリジナルの2006年10月29日時点におけるアーカイブ。2006年10月30日閲覧。
- ^ 山崎道生(運動部記者)「あのころの球児 阪神・藤川投手を見守った人々【2】 珍しい名に「おや?」 水難救助で感謝状手渡す」『高知新聞』高知新聞社、2005年10月15日。オリジナルの2006年10月30日時点におけるアーカイブ。2006年10月30日閲覧。
- ^ a b “ヴィッセル神戸 ニュース/レポート : MF楠瀬章仁選手、松本山雅FCへ完全移籍決定のお知らせ”. ヴィッセル神戸 (2011年12月28日). 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ a b 「近代5種山中選手、五輪で活躍誓う 母校で壮行会 高知」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2012年7月9日。オリジナルの2020年2月3日時点におけるアーカイブ。2020年2月3日閲覧。
- ^ “広報 香美” (PDF). 香美市広報委員会 (2012年). 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月3日閲覧。