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2022年10月7日 (金) 16:23時点における版
大垣市立東小学校 | |
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北緯35度21分48.35秒 東経136度37分44.49秒 / 北緯35.3634306度 東経136.6290250度座標: 北緯35度21分48.35秒 東経136度37分44.49秒 / 北緯35.3634306度 東経136.6290250度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大垣市 |
設立年月日 | 1876年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B121220200020 |
所在地 | 〒503-0808 |
岐阜県大垣市三塚町1180番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大垣市立東小学校(おおがきしりつ ひがししょうがっこう)は、岐阜県大垣市三塚町にある市立小学校。
概要
- かつての大垣城の城下町の東部一帯が校区である。大垣市立東中学校とは道路を挟んで隣接しており、小中一貫教育を行っている。また、特別支援学級の他、大垣市で働く日系ブラジル人生徒のための言語通級、日本語学級を有する。
- かつては大垣市立東幼稚園を併設していたが、2022年(令和4年)に閉園した。
沿革
- 1873年(明治6年)
- 1月 - 興文第四校(伝馬町)、浩然学校(西崎村)、観文学校(室村)、観瀾学校(林本郷村)、喬木学校(高橋村)、藤江学校(藤江村)、南郊学校(南頬村)が開校。
- 12月 - 興文第一校、興文第二校、興文第三校、興文第四校が師範研習学校附属小学校にあてられる。
- 1876年(明治9年) - 興文第四校が六街学校に改称し、本町に移転。
- 1877年(明治10年) - 師範研習学校が移転し、六街学校の附属小学校指定を廃止。
- 1889年(明治19年) - 各学校が尋常小学校となる。
- 1893年(明治26年) - 六街尋常小学校が六街尋常高等小学校に改称する。同年、大垣第二尋常高等小学校に改称する。
- 1894年(明治27年) - 浩然尋常小学校、観文尋常小学校、観瀾尋常小学校、喬木尋常小学校、藤江尋常小学校、南郊尋常小学校が統合し、七聯尋常小学校となる。同年、大垣第三尋常小学校に改称する。
- 1901年(明治34年) - 大垣第三尋常小学校が大垣第三尋常高等小学校に改称する。
- 1913年(大正2年) - 大垣第二尋常高等小学校と大垣第三尋常高等小学校が統合され、閣東尋常高等小学校になる。「閣東」とは大垣城の東の意味である。
- 1917年(大正6年) - 大垣市東小学校に改称する。
- 1924年(大正13年) - 大垣市東尋常高等小学校に改称する。
- 1934年(昭和9年) - 大垣市東尋常小学校に改称する。
- 1941年(昭和16年) - 大垣東国民学校に改称する。
- 1945年(昭和20年)7月28日 - 大垣空襲により、ほとんどの建物を焼失する。
- 1947年(昭和22年) - 大垣市立東小学校に改称する。
- 1948年(昭和23年) - 現在地に移転。
- 1953年(昭和28年) - 大垣市立東幼稚園が開園する。
- 1958年-1969年 - 現在の校舎が完成する。
- 2022年(令和4年)3月 - 大垣市立東幼稚園が閉園する
通学区域
- 東外側町1丁目、栗屋町、歩行町1・2丁目、高橋町1・5丁目、代官町、新地町、東長町、清水町、中町、魚屋町、伝馬町、本町1・2丁目、岐阜町、高屋町1-4丁目、錦町、藤江町1-7丁目、南高橋町1-8丁目、千鳥町1-4丁目、橘町1-4丁目、鹿島町1-5丁目、住吉町1-5丁目、早苗町1-5丁目、貝曽根町の一部、緑園、今宿1-6丁目、鶴見町、三塚町である[1]。