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2022年10月7日 (金) 16:45時点における版
松阪市立柿野小学校 | |
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北緯34度28分27.1秒 東経136度24分20.5秒 / 北緯34.474194度 東経136.405694度座標: 北緯34度28分27.1秒 東経136度24分20.5秒 / 北緯34.474194度 東経136.405694度 | |
過去の名称 |
深野村学校 大石尋常小学校 柿野第一尋常小学校 柿野尋常高等小学校 柿野第一国民学校 柿野第一小学校 飯南町立柿野小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 松阪市 |
併合学校 |
横野村学校 松阪市立仁柿小学校 |
設立年月日 | 1874年11月19日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B124220420361 |
所在地 | 〒515-1301 |
外部リンク | https://www.iinan-matsusaka.com/kakino/ |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
松阪市立柿野小学校(まつさかしりつ かきのしょうがっこう)は三重県松阪市の市立小学校。
概要
校歌は安田光治の作詞、小川誠一郎の作曲による[1]。3番まであり、各番とも「こころのふるさと かきのこう」で終わる[1]。
1975年(昭和50年)には9学級256人が在籍していたが、少子化が進み、2009年(平成21年)には7学級(うち1学級は特別支援学級)93人まで減少した[2]。松阪市立仁柿小学校を統合した2010年(平成22年)には103人になった[3]。
沿革
- 1874年(明治7年)11月19日 - 私立の横野村学校と深野村学校が開校[4]。
- 1875年(明治8年)
- 1881年(明治14年)
- 1887年(明治20年)
- 1889年(明治22年)
- 1902年(明治35年)4月1日 - 横野分教室(第二分教室)を廃止[7]。
- 1903年(明治36年)5月 - 柿野高等小学校設置[7]。
- 1906年(明治40年)3月 - 小学校の義務教育が6年となり、高等小学校は2年に変更[7]。
- 1907年(明治41年)
- 1912年(大正元年) - 校訓・校歌制定[8]。
- 1918年(大正7年) - 実業補習学校を併設[8]。
- 1927年(昭和2年)3月21日 - アメリカ友情人形歓迎会を開催[9]。
- 1937年(昭和12年)12月7日 - 神社形式の奉安殿が落成[9]。
- 1940年(昭和15年)11月10日 - 紀元二千六百年・教育勅語渙発五十周年式典を挙行[9]。
- 1941年(昭和16年) - 国民学校令により、柿野第一国民学校に改称[10]。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、柿野第一小学校に改称、新制の柿野中学校を併設[10]。
- 1954年(昭和28年)1月6日 - 柿野中学校が分離[10]。
- 1956年(昭和31年)8月1日 - 飯南町発足により、飯南町立柿野小学校に改称[10]。
- 1958年(昭和33年)10月21日 - 創立50周年記念行事を挙行[10]。
- 1963年(昭和38年)8月29日 - 鉄筋コンクリート3階建(一部4階)の新校舎完成[10]。
- 1966年(昭和41年)7月 - 学校給食開始[10]。
- 1969年(昭和44年)7月25日 - プール完成[10]。
- 2005年(平成17年)1月1日 - 市町村合併に伴い、松阪市立柿野小学校に改称。
- 2006年(平成18年)度 - 通学路の危険箇所を小学生が点検する「あんなびたんけん隊」を実施[11]。
- 2010年(平成22年)
校区
飯南町深野、飯南町横野、飯南町下仁柿、飯南町上仁柿、飯南町粥見(一部)
周辺
脚注
- ^ a b 飯南町史編さん委員会 編(1984):1155ページ
- ^ 松阪市(2010):39ページ
- ^ 夕刊三重新聞社"1年生が新生活スタート/市立小中学校で入学式"日本地域紙協議会、2010年4月7日(2011年5月11日閲覧。)
- ^ a b c d 飯南町史編さん委員会 編(1984):1149ページ
- ^ 飯南町史編さん委員会 編(1984):1150ページ
- ^ a b c 飯南町史編さん委員会 編(1984):1151ページ
- ^ a b c d e 飯南町史編さん委員会 編(1984):1152ページ
- ^ a b c 飯南町史編さん委員会 編(1984):1153ページ
- ^ a b c 飯南町史編さん委員会 編(1984):1154ページ
- ^ a b c d e f g h 飯南町史編さん委員会 編(1984):1155ページ
- ^ “松阪県民センター/松阪県民センター 交通安全HP”. 三重県松阪県民センター. 2016年10月6日閲覧。 “ウェブ魚拓による2012年6月4日時点のアーカイブページ。”
- ^ 夕刊三重新聞社 (2010年1月28日). “地元の伝統、紙すき体験/柿野、仁柿の2小が一緒に”. ローカルゴーゴー. 日本地域紙協議会. 2012年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月6日閲覧。 “Archive.isによる2012年7月11日時点のアーカイブページ。”
参考文献
- 飯南町史編さん委員会 編『飯南町史』飯南町役場、昭和59年3月1日、1506pp.
- 松阪市(2010)『松阪市過疎地域自立促進計画』48pp.