松阪市立仁柿小学校
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松阪市立仁柿小学校 | |
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北緯34度28分50.6秒 東経136度22分13.6秒 / 北緯34.480722度 東経136.370444度座標: 北緯34度28分50.6秒 東経136度22分13.6秒 / 北緯34.480722度 東経136.370444度 | |
過去の名称 |
上仁柿学校 仁柿学校 柿野第二尋常小学校 柿野町第二国民学校 柿野町立柿野第二小学校 飯南町立仁柿小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 松阪市 |
併合学校 |
下仁柿小学校 飯南町立仁柿小学校峠分校 |
設立年月日 | 1874年9月19日 |
閉校年月日 | 2010年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B124220420343 |
所在地 | 〒515-1304 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
松阪市立仁柿小学校(まつさかしりつ にがきしょうがっこう)は三重県松阪市の市立小学校。
2010年4月1日に松阪市立柿野小学校へ統合され、休校扱いとなっている。
概要
[編集]校歌は西村芳男の作詞、野呂淳次の作曲による[1]。3番まであり、各番とも「母校よ 仁柿小学校」で終わる[1]。
1975年(昭和50年)には5学級68人が在籍していたが、少子化が進み、2009年(平成21年)には3学級16人まで減少した[2]。最後の卒業生は6名だった[3]。
- 校舎面積:1,222m2
- 屋内運動場面積:266m2
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)
- 1876年(明治9年)10月3日 - 公立の下仁柿小学校が開校[4]。
- 1879年(明治12年)2月 - 下仁柿小学校が新校舎に移転[5]。
- 1882年(明治15年)9月 - 上仁柿小学校と下仁柿小学校が統合し、仁柿小学校となる[5]。本校と分校は旧上仁柿小と旧下仁柿小の間で1年おきに入れ替えることに決めるが、実際には統合前と同じように運用された[5]。
- 1883年(明治16年) - 初等科(3年)・中等科(3年)を設置[5]。
- 1885年(明治18年)1月 - 上仁柿校舎を移転[6]。
- 1887年(明治20年)4月1日 - 学区改正により、粥見簡易科授業所の分校となる[6]。
- 1888年(明治21年)1月 - 下仁柿校舎の3年生以上の児童を上仁柿校舎への通学とする[6]。上仁柿が本校、下仁柿が分校となる[6]。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制により柿野村が成立、柿野第二尋常小学校に改称[6]。
- 1890年(明治23年)11月 - 小学校令改正により、1日から4年制となる。15日に3年制の補習科を設置[7]。
- 1898年(明治31年)5月4日 - 柿野高等小学校(現在の松阪市立柿野小学校)設置により、補習科を廃止[7]。
- 1908年(明治41年)3月30日 - 新校舎の工事が竣工[7]。翌日より児童を収容[7]。
- 1923年(大正12年)9月 - 運動場を拡張[7]。
- 1924年(大正13年)4月 - 高等科を併設し、柿野第二尋常高等小学校に改称[7]。
- 1941年(昭和16年)4月 - 柿野町第二国民学校に改称[7]。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、柿野町立柿野第二小学校に改称、新制の柿野中学校第二校舎を併設[7]。
- 1948年(昭和23年)4月 - 峠分校を設置[8]。
- 1950年(昭和25年)9月3日 - ジェーン台風により校舎1棟が倒壊するが、日曜日だったため、人的被害はなかった[8]。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 新校舎を運動場に建設し、旧校舎跡を運動場とする[8]。
- 1954年(昭和28年)1月6日 - 柿野中学校が分離[8]。
- 1956年(昭和31年)8月1日 - 飯南町発足により、飯南町立仁柿小学校に改称[8]。
- 1959年(昭和34年)9月26日 - 伊勢湾台風の被害を受ける[8]。
- 1960年(昭和35年)8月29日 - 台風16号の被害を受ける[8]。
- 1961年(昭和36年)
- 1965年(昭和40年)3月 - 鉄筋コンクリート3階建の新校舎が落成、旧校舎跡を運動場とする[8]。
- 1970年(昭和45年)7月25日 - プール竣工[8]。
- 1971年(昭和46年)5月7日 - 峠分校を廃校[1]。
- 1985年(昭和60年) - 「仁柿っ子カレンダー」の作成を開始[9]。
- 2005年(平成17年)1月1日 - 市町村合併に伴い、松阪市立仁柿小学校に改称。
- 2009年(平成21年)6月7日 - 春季運動会で34年ぶりに鼓笛隊を復活[10]。
- 2010年(平成22年)
旧校区
[編集]飯南町下仁柿、飯南町上仁柿
脚注
[編集]- ^ a b c 飯南町史編さん委員会 編(1984):1167ページ
- ^ 松阪市(2010):39ページ
- ^ a b c 夕刊三重"最後の卒業式、歴史に幕/6年生6人ずつを送り出す"日本地域紙協議会、2010年3月20日(2011年5月11日閲覧。)
- ^ a b c 飯南町史編さん委員会 編(1984):1162ページ
- ^ a b c d 飯南町史編さん委員会 編(1984):1163ページ
- ^ a b c d e 飯南町史編さん委員会 編(1984):1164ページ
- ^ a b c d e f g h 飯南町史編さん委員会 編(1984):1165ページ
- ^ a b c d e f g h i j k 飯南町史編さん委員会 編(1984):1166ページ
- ^ 伊勢新聞 (2005年12月14日). “最新ホットニュース70/手作りカレンダー完成!”. TAKI town Local information network. 2012年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月6日閲覧。 “Archive.isによる2012年7月14日時点のアーカイブページ。”
- ^ 夕刊三重新聞社 (2009年6月9日). “息ぴったり鼓笛隊/最後の運動会で披露”. ローカルゴーゴー. 日本地域紙協議会. 2012年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月6日閲覧。
- ^ 夕刊三重新聞社 (2010年1月28日). “地元の伝統、紙すき体験/柿野、仁柿の2小が一緒に”. ローカルゴーゴー. 日本地域紙協議会. 2012年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月6日閲覧。 “Archive.isによる2012年7月11日時点のアーカイブページ。”
参考文献
[編集]- 飯南町史編さん委員会 編『飯南町史』飯南町役場、昭和59年3月1日、1506p.全国書誌番号:88024259
- 松阪市(2010)『松阪市過疎地域自立促進計画』48p.