コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「京都市立川岡小学校」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{日本の学校
{{Infobox 日本の学校
|校名=京都市立川岡小学校
|校名=京都市立川岡小学校
|画像=[[画像:Kyoto city Kawaoka elem-sch.jpg|260px|]]
|画像=[[画像:Kyoto city Kawaoka elem-sch.jpg|260px|]]

2022年10月7日 (金) 17:06時点における版

京都市立川岡小学校
地図北緯34度58分32秒 東経135度42分14秒 / 北緯34.975556度 東経135.703889度 / 34.975556; 135.703889座標: 北緯34度58分32秒 東経135度42分14秒 / 北緯34.975556度 東経135.703889度 / 34.975556; 135.703889
過去の名称 川島村小学校
川岡尋常小学校
川岡尋常高等小学校
京都市立川岡尋常高等小学校
川岡国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1872年10月26日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B126210000796 ウィキデータを編集
所在地 615-8409
京都府京都市西京区川島滑樋町14
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

京都市立川岡小学校(きょうとしりつ かわおかしょうがっこう)は、京都府京都市西京区川島滑樋町にある公立小学校

沿革

  • 1872年10月26日(明治5年9月24日) - 川島村小学校が開校。
  • 1892年(明治25年)11月 - 川岡村立高等小学校を併設。
  • 1901年(明治34年)6月 - 高等小学校を廃止。
  • 1907年(明治40年)4月 - 川岡尋常小学校と改称。
  • 1909年(明治42年)2月 - 高等科を併設し、川岡尋常高等小学校と改称。
  • 1931年(昭和6年)4月1日 - 葛野郡川岡村が京都市へ編入されたのに伴い、京都市立川岡尋常高等小学校と改称。
  • 1945年(昭和20年)5月 - 南桑田郡篠村(現・亀岡市)へ集団疎開。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により、川岡国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、京都市立川岡小学校と改称。
  • 1951年(昭和26年)5月 - 木造校舎が竣工。
  • 1959年(昭和34年)11月 - 校歌制定。
  • 1965年(昭和40年)6月 - プール竣工。
  • 1970年(昭和45年)4月 - 京都市立樫原小学校を分離。
  • 1972年(昭和47年)4月 - 木造校舎を解体。9月に鉄筋校舎が竣工。
  • 1976年(昭和51年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1981年(昭和56年)4月 - 東分校を設置。
  • 1982年(昭和57年)4月 - 東分校を京都市立川岡東小学校として分離。
  • 2004年(平成16年)4月 - 2学期制を導入。
  • 2020年4月-校長に中村佳明が就任する。

通学区域

  • 京都市西京区
    • 川島有栖川町、川島粟田町、川島北裏町、川島五反長町(阪急京都線以東)、川島尻堀町、川島玉頭町、川島寺田町、川島滑樋町、川島東代町、川島松ノ木本町、川島莚田町(阪急京都線以東)、川島六ノ坪町(阪急京都線以東)、下津林楠町、下津林芝ノ宮町(29,30,41,42,44,46,48,50,52~67番地)、下津林佃、下津林津森、下津林番条、下津林番条町(一部錯雑)、下津林前泓町、下津林水掛町、下津林八島、下津林六反田
卒業生は基本的に京都市立桂川中学校に進学する。

周辺

隣接校の京都市立桂東小学校までは、300mしか離れていない。

アクセス

出身者

関連項目

外部リンク