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2022年10月7日 (金) 17:27時点における版
仙台市立片平丁小学校 | |
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北緯38度15分21.8秒 東経140度52分8.49秒 / 北緯38.256056度 東経140.8690250度座標: 北緯38度15分21.8秒 東経140度52分8.49秒 / 北緯38.256056度 東経140.8690250度 | |
過去の名称 |
五番小学校 片平丁小学校 育才小学校 片平丁尋常小学校 片平丁尋常高等小学校 仙台市立片平丁国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 仙台市 |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B104221010056 |
所在地 | 〒980-0812 |
宮城県仙台市青葉区片平一丁目7番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
仙台市立片平丁小学校(せんだいしりつ かたひらちょうしょうがっこう)は、宮城県仙台市青葉区片平一丁目にある公立小学校である。2021年の児童数は541人、19学級、教職員32人[1]。
概要
1873年の創立、1876年から1879年には育才小学校と称した。 仙台市都心部に位置し、学区内に仙台高等裁判所、東北大学(片平キャンパス)を抱える。 仙台市立五橋中学校の学区域となるため、卒業生の大半が同校に進学する。 2023年に創立150周年を迎える。
校歌
作詞:土井晩翠・作曲:大槻 貞一
校歌は、1914年(大正3年)3月に制定されたもので、5番まである比較的長いものである。今日歌うには不適切な箇所があるため4番は割愛されることが多い。日常的に歌われるのは1番のみで、運動会等では1から3番までが歌われる。
沿革
1868年(明治元年)岡千仭が現所在地に開いた麟経堂(りんけいどう)の流れを汲む[2]。
学制に基づき小学校が設置された1873年(明治6年)に、第7大学区第1中学区第5小学区の小学校として設けられ、教員2人、生徒は男531人、女95人の計626人いた[3]。
1876年(明治9年)に仙台区の小学校が一斉に地名を廃して雅称を校名にしたとき、育才小学校と名付けられた[4]。
1879年(明治12年)に元に戻ってからは「小学校」の部分が制度変化で改められただけである。
1910年(明治43年)には教員15人、児童917人がいた[5]。
- 1873年(明治6年)6月27日 - 五番小学校として創立・開校する。
- 1874年(明治7年)- (初代)片平丁小学校へ改称する。
- 1876年(明治9年)4月 - 育才小学校へ改称する。
- 1879年(明治12年)2月 - 再度(旧)片平丁小学校へ改称する。
- 1880年(明治13年)- 裁縫科を設置する。
- 1880年(明治13年)- 川内亀岡支校を開設する。
- 1884年(明治17年)- 校地を拡張し、現在に至る。
- 1885年(明治18年) - 南町支校を開設する。
- 1886年(明治19年)9月 - 片平丁尋常小学校に改称する。(指導教科:修身・読方・作文・習字・算術・唱歌・体操・図画・裁縫)
- 1899年(明治34年)- 両親参観を開始する。これは仙台市内では初の取り組みである。
- 1901年(明治34年)- 保護者懇談会を創設する。これは宮城県下初の取り組みである。
- 1903年(明治36年)- 朝礼会を開始する。
- 1905年(明治38年)4月 - 片平丁尋常高等小学校に改称し、高等科を併設する。
- 1908年(明治41年)4月 - 片平丁尋常小学校に改称する。(指導教科:修身・国語・算術・歴史・地理・理科・図画・唱歌・体操・裁縫)
- 1910年(明治43年)- 校名旗を作成する。
- 1911年(明治44年) - 第1回卒業児童の記念旅行を行う。(於:松島)
- 1914年(大正3年)- 校歌を制定し、第1回上巳文芸会を開催する。
- 1914年 - 児童保護者会を創立する。
- 1914年(大正3年)- 第1回:夏季林間教養所開を開設する。
- 1915年(大正4年)- 第1回:端午演技会を挙行する。
- 1922年(大正11年) - 野蒜海浜教養園を開設。
- 1931年(昭和6年) - 肝油の服用を開始する。
- 1934年(昭和9年)10月 - 仙台市立向山小学校の新設に伴い、学区に居住する児童が転出する。
- 1938年(昭和13年) - 「麟経堂の碑」を建立する。
- 1939年(昭和14年) - 講堂が落成する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、仙台市立片平丁国民学校へ改称する。(指導教科:修身・国語・歴史・地理・算数・理科・体操、武道・音楽・図画・工作・裁縫)
- 1944年(昭和19年) - 北校舎2階建1棟を焼失する。
- 1945年(昭和20年) - 北校舎が復興により落成し、東二番丁小学校に東校舎を一部貸与する。
- 1946年(昭和21年) - 戦災により13学級に縮小する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法(旧法)施行により、仙台市立片平丁小学校に改称し、立町小学校に西校舎を一部貸与する。(指導教科:国語・社会・算数・理科・音楽・図画工作・体育・家庭)
- 1947年(昭和22年) - 父母教師会(PTA)を創立する。
- 1948年(昭和23年) - 火災のため全校舎を焼失する。
- 1951年(昭和26年)2月13日 - この日から、仙台市内(当時)の全小学校31校で、完全給食開始[6]。
- 1953年(昭和28年) - 創立80周年記念式典を挙行する。
- 1955年(昭和30年) - 理科教育研究指定校に指定される。
- 1957年(昭和32年) - PTA運営優良校として表彰を受ける。
- 1959年(昭和34年) - 教育課程研究指定校に指定される。
- 1962年(昭和37年) - 片平鼓笛隊を創設する。
- 1963年(昭和38年) - 放送教育研究指定校
- 1964年(昭和39年) - 校歌歌碑を同窓生より贈られる。
- 1966年(昭和41年) - 同窓会総会を開催する。
- 1968年(昭和43年) - 創造性研究指定校に指定される。
- 1971年(昭和46年) - 校内テレビ開局記念放送が放送される。
- 1973年(昭和48年) - 創立100周年記念式典を挙行する。
- 1975年(昭和50年) - 文部省研究指定校(社会科部門)に指定される。
- 1977年(昭和52年) - 仙台市教育委員会指定の公開授業を開く。(於:社会科)
- 1978年(昭和53年) - 北海道白老小学校と姉妹校提携を締結する。
- 1981年(昭和56年) - 文部省・小学校教育課程調査研究指定校に指定される。(於:社会科)
- 1983年(昭和58年) - 創立110周年記念式典を挙行する。
- 1983年(昭和58年) - 社会科自主研究を公開する。
- 1985年(昭和60年) - PTA新聞第100号を発行する。
- 1985年(昭和60年) - PTAが文部大臣より表彰を受ける。
- 1986年(昭和61年) - 仙台市博物館の利用学習協力校に指定される。
- 1987年(昭和62年) - 歯の衛生モデル校に指定される。
- 1987年(昭和62年) - 吹奏楽コンクールに於いて県大会に出場し、金賞を受賞する。
- 1988年(昭和63年) - PTA新聞が仙台市コンクールに於いて最優秀賞を受賞する。
- 1990年(平成2年) - ボランティア活動普及事業協力指定校に指定される。
- 1990年(平成2年) - 社会科が全国大会の会場校に指定される。
- 1992年(平成4年) - 教育課程推進協力校に指定される。(於:社会科)
- 1992年(平成4年) - 市教委より仙台市博物館利用学習協力校に指定される。
- 1993年(平成5年) - 創立120周年記念式典が挙行される。
- 1993年(平成5年) - 片平ミニバスケット男女チームが全国大会に出場する。
- 1993年(平成5年) - ASEAN諸国から教育視察に訪れた一行が訪問する。
- 1994年(平成6年) - 照明設備の改良工事が実施される。
- 1994年(平成6年) - 朝のマラソンを開始する。
- 1995年(平成7年) - 才能開発実践教育賞の贈呈式が挙行される。
- 1996年(平成8年) - 教育工学全国大会が挙行される。
- 1996年(平成8年) - マーチング演奏(於:全日本バレーボール大会)を行う。
- 1997年(平成9年) - マーチングバンドが第47回全国植樹祭に参加する。
- 1997年(平成9年) - ヘルシンキ子供会歓迎集会に参加する。
- 1997年(平成9年) - アメリカ・チャペラルミドルスクール国際交流授業参観に参加する。
- 1998年(平成10年) - ヘルシンキ市都市計画委員会の学校を訪問する。
- 1998年(平成10年) - プレハブ校舎を解体する。
- 1998年(平成10年) - 卒業記念講演(西澤 潤一先生)を挙行する。
- 1999年(平成11年) - ヘルシンキこどもテレビ電話会議を実施する。
- 1999年(平成11年) - 学校名表示板の除幕式を挙行する。
- 2000年(平成12年) - 仙台市教育委員会の研究指定公開研究会を実施する。
- 2000年(平成12年) - 新体育館が完成する。
- 2001年(平成13年) - 校内マラソンを開始する。
- 2001年(平成13年) - コンピューターの設備を更新する。
- 2002年(平成14年) - 学校評議会を設置する。
- 2003年(平成15年) - 校舎の耐震補強工事を施工する。
- 2004年(平成16年) - 第1回県学力状況調査を実施する。
- 2004年(平成16年) - 東北大学の出前授業を行う。
- 2004年(平成16年) - 校舎東コンクリート工事を実施する。
- 2005年(平成17年) - 西門の補修工事を実施する。
- 2005年(平成17年) - 太陽の子のモニュメントを塗装する。
- 2006年(平成18年) - 東北地区:算数数学研究大会・宮城大会の会場に指定される。
- 2007年(平成19年) - 西側トイレを改修する。
- 2008年(平成20年) - 校庭の芝生化工事を完了する。(市内唯一)
- 2008年(平成20年) - 市長を迎えてのオープニング式典を挙行する。
- 2008年(平成20年) - コンピューター設備を更新する。
- 2009年(平成21年) - 教育センター調査研究共同研究指定校に指定される。
著名な出身者
- 一力遼(囲碁棋士・2020年、河北新報社に入社し、東京支社で記者活動も行う。下述の健治郎は、高祖父にあたる。)
- 志賀潔(細菌学者)
- 一力健治郎(実業家・河北新報社創設者)
- 相馬黒光(小説家・実業家・新宿中村屋創設者)
- 野副鉄男(化学者)
- 西澤潤一(工学者・東北大学総長、岩手県立大学学長、首都大学東京学長を歴任)
- 大河内一男(経済学者・一時在籍)
- 宮津純一郎(元NTT社長・一時在籍)
- 愛知治郎 - 衆議院議員
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脚注
出典・参考資料
- 公式ホームページ・沿革
- 仙台市史編さん委員会『仙台市史』通史編6(近代1)、仙台市、2008年。
- 仙台市役所『仙台市統計一班』、1912年。
- 宮城県『宮城国史』、1875年頃。宮城県史編纂委員会『宮城県史』第33巻(1975年)に収録。