「扶桑町立高雄小学校」の版間の差分
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2022年10月7日 (金) 18:07時点における版
扶桑町立高雄小学校 | |
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北緯35度21分50.31秒 東経136度55分27.23秒 / 北緯35.3639750度 東経136.9242306度座標: 北緯35度21分50.31秒 東経136度55分27.23秒 / 北緯35.3639750度 東経136.9242306度 | |
過去の名称 |
仮義校 顕誠学校 高雄学校 尋常小学高雄学校 高雄尋常小学校 扶桑第二尋常小学校 高雄尋常小学校 高雄国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 扶桑町 |
校訓 | 強く 明るく 正しく |
設立年月日 | 1872年(明治5年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B123210009139 |
所在地 | 〒480-0102 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
扶桑町立高雄小学校(ふそうちょうりつ たかおしょうがっこう)は、愛知県丹羽郡扶桑町にある小学校。
歴史
1872年(明治5年)仮義校として下野村覚王寺に設立[1]。通学区域は下野村、河北村(現在の犬山市羽黒)、下野原新田村、犬山羽根村。1873年(明治6年)10月5日、顕誠学校創立[2]。場所、学区同じ。1876年(明治9年)6月、同村中海道(堀之内)に移転し、河北村を分離[1]。1877年(明治10年)10月、高雄学校と改称。1878年(明治11年)、下野村は合併して高雄村となり、さらに1906年(明治39年)10月1日、高雄村の一部が山名村、豊国村、柏森村の一部と合併し、現在の扶桑町の前身である扶桑村が発足した。翌年10月に扶桑村域では3つの尋常小学校が成立し、高雄尋常小学校は扶桑第二尋常小学校となった。その後1911年(明治44年)に再び高雄尋常小学校、戦時下の1941年(昭和16年)に扶桑村立高雄国民学校、終戦後の1947年(昭和22年)に扶桑村立高雄小学校と変遷し、1952年(昭和27年)8月1日、扶桑村が町制施行し扶桑町になると、現在の校名である扶桑町立高雄小学校となり、現在に至る。
年表
- 1872年(明治5年) - 仮義校が創設される[3]。
- 1873年(明治6年) - 顕誠学校が創立する[3]。
- 1877年(明治10年) - 高雄学校に校名を変更[3]。
- 1887年(明治20年) - 尋常小学高雄学校に校名を変更[3]。
- 1892年(明治25年) - 高雄尋常小学校に校名を変更[3]。
- 1907年(明治40年) - 扶桑第二尋常小学校に校名を変更[3]。
- 1911年(明治44年) - 高雄尋常小学校に校名を変更[3]。
- 1941年(昭和16年) - 扶桑村立高雄国民学校に校名を変更[3]。
- 1947年(昭和22年) - 扶桑村立高雄小学校に校名を変更[3]。
- 1952年(昭和27年) - 扶桑町立高雄小学校に校名を変更。
- 1979年(昭和54年) - 扶桑町立扶桑東小学校開校に伴い、学区から南北定松、南新田、南新田住宅、福塚を分離[1]。
児童数の変遷
『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[4]。
1947年(昭和22年) | 508人 | |
1957年(昭和32年) | 480人 | |
1967年(昭和42年) | 不明 | |
1977年(昭和52年) | 1368人 | |
1987年(昭和62年) | 不明 | |
1997年(平成9年) | 446人 | |
2007年(平成19年) | 508人 | |
2017年(平成29年) | 552人 |
通学区域
- 北新田、羽根、羽根西、東川西、東川南、東川北、東川住宅、高雄団地、宮島、伊勢帰、扶桑台[5]
遊具
あすなろ山
かつて校庭の一角にあった山を模した遊具。1971年(昭和46年)に学校創立100周年を記念して造られたもので[6]、山の正面は滑り台になっているほか、吊るされたチェーンに掴まったり、出っ張った石に足をかけ、ボルダリングのように登って遊ぶことができた。内部には土管が埋め込まれていて、トンネルをくぐったり、上からはしごや棒で下りることもできた。土の部分にはタンポポやツクシが生え、鬼ごっこをしたり、登ってクラス写真を撮影するのが恒例となっていたが、建設から約50年後となる2018年(平成30年)、高雄放課後児童クラブ館建設のため撤去され、敷地内の別の場所に同じく山を模した鉄筋コンクリート造りの遊具が新設された(あすなろ山に比べると規模はかなり小さい)。
出身者
周辺
脚注
参考文献
- 『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校校長会、2018年