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「関市立武芸小学校」の版間の差分

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2022年10月8日 (土) 00:25時点における版

関市立武芸小学校
地図北緯35度32分43秒 東経136度49分20秒 / 北緯35.54517度 東経136.82219度 / 35.54517; 136.82219座標: 北緯35度32分43秒 東経136度49分20秒 / 北緯35.54517度 東経136.82219度 / 35.54517; 136.82219
国公私立の別 公立学校
設置者 関市
設立年月日 1872年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B121220500152 ウィキデータを編集
所在地 501-2601
岐阜県関市武芸川町谷口1336
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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関市立武芸小学校(せきしりつ むげしょうがっこう)とは、岐阜県関市にある公立小学校

通学区域

沿革

  • 1873年(明治6年) -
    • 武儀郡谷口村に玉芻学校が開校。
    • 武儀郡宇多院村に清盥義校が開校。
  • 1879年(明治12年) - 谷口村寺尾の啓蒙館[3]が玉芻学校寺尾分教場となる。
  • 1884年(明治17年) - 玉芻学校と清盥義校が統合され、玉芻学校となる。寺尾分教場、宇多院分教場を設置。
  • 1886年(明治19年) -
    • 谷口尋常小学校に改称する。宇多院村、平村、谷口村(寺尾地区を除く)、中洞村の児童が通学。
    • 寺尾分教場が寺尾簡易科小学校として分離独立する。
  • 1889年(明治22年)7月1日
    • - 宇多院村、平村、谷口村が合併し、東武芸村が発足。
    • - 岩佐村と中洞村が合併し、西武芸村が発足。同時に旧・中洞村の児童は岩佐尋常小学校[4]への通学となる。
  • 1892年(明治25年) - 武芸尋常小学校に改称する。
  • 1901年(明治34年) - 現在地に移転する。宇多院分教場を廃止。
  • 1941年(昭和16年) - 武芸国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年) - 東武芸村立武芸小学校に改称する。
  • 1956年(昭和31年)9月29日 - 東武芸村と南武芸村の大部分とが新規合併し、武芸村となる。これに伴い、武芸村立武芸小学校に改称する。
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 町制施行にともない改称し武芸川町となる。同時に武芸川町立武芸小学校となる。
  • 1981年(昭和56年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造3階建)が完成する。
  • 1995年(平成7年) - レインボールーム(食堂)が完成する。
  • 2005年(平成17年)
    • - 体育館が完成する。
    • 2月7日 - 武芸川町が関市に編入される。同時に関市立武芸小学校に改称する。

参考文献

  • 武芸川町史 (武芸川町史編纂委員会 1979年) P.799 - 807
  • 新修武芸川町史 (新修武芸川町史編纂委員会 2005年) P.818 - 828

関連項目

脚注

  1. ^ 関市立寺尾小学校校区を除いた地域。
  2. ^ 関市HP:関市立小中学校及び関商工高等学校の通学区域について
  3. ^ 現・関市立寺尾小学校
  4. ^ 後の西武芸小学校。 2010年(平成22年)に富波小学校乾小学校と統合され、現・山県市立美山小学校

外部リンク