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'''東 雅夫'''(ひがし まさお、[[1958年]][[4月11日]]<ref>[http://blog.livedoor.jp/genyoblog-higashi/archives/6219219.html 東 雅夫 年譜 (1歳〜12歳) : 東雅夫の幻妖ブックブログ]</ref> - )は、[[日本]]の[[文芸評論|文芸評論家]]、[[編集者]]、[[アンソロジー|アンソロジスト]]<ref>[http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/1252554271.pdf 大学院教養デザイン研究科 特別講義|明治大学]</ref>。本名、東政男<ref>『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.462</ref>。[[神奈川県]][[横須賀市]]出身<ref>[http://www.tfm.co.jp/podcasts/future/?id=562 未来授業 - TOKYO FM Podcasting]</ref>。[[神奈川県立横須賀高等学校]]を経て[[早稲田大学]][[文学部|第一文学部]][[日本文学|日本文学科]]卒業<ref>[https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/33192/ 妖怪と怪談の文学誌 | 東 雅夫 | 早稲田大学エクステンションセンター]</ref>。
'''東 雅夫'''(ひがし まさお、[[1958年]][[4月11日]]<ref>[http://blog.livedoor.jp/genyoblog-higashi/archives/6219219.html 東 雅夫 年譜 (1歳〜12歳) : 東雅夫の幻妖ブックブログ]</ref> - )は、[[日本]]の[[文芸評論|文芸評論家]]、[[編集者]]、[[アンソロジー|アンソロジスト]]<ref>[http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/1252554271.pdf 大学院教養デザイン研究科 特別講義|明治大学]</ref>。本名、東政男<ref>『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.462</ref>。[[神奈川県]][[横須賀市]]出身<ref>[http://www.tfm.co.jp/podcasts/future/?id=562 未来授業 - TOKYO FM Podcasting]</ref>。[[神奈川県立横須賀高等学校]]を経て[[早稲田大学]][[文学部|第一文学部]][[日本文学|日本文学科]]卒業<ref>[https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/33192/ 妖怪と怪談の文学誌 | 東 雅夫 | 早稲田大学エクステンションセンター]</ref>。


[[メディアファクトリー]]刊行総合雑誌『[[ダ・ヴィンチ]]』の増刊号である、怪談専門雑誌『[[幽]]』の編集顧問(2014年9月までは編集長)<ref>[http://blog.livedoor.jp/genyoblog-higashi/archives/42688457.html 恭賀新年 : 東雅夫の幻妖ブックブログ]</ref>。アトリエOCTA刊行怪奇幻想文学評論誌『[[幻想文学 (雑誌)|幻想文学]]』の編集長を、創刊から終刊まで20年余にわたり務めた。近年は編集者としてよりも、アンソロジーの編纂や、[[ホラー小説]]を中心とする文芸評論、怪談文学研究などの分野で精力的に著述活動を展開している。評論家として「ホラー・ジャパネスク」「怪談文芸」「800字怪談ムーヴメント」などを提唱。元早稲田大学非常勤講師。「[[怪談之怪]]」発起人の1人。
[[メディアファクトリー]]刊行総合雑誌『[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]]』の増刊号である、怪談専門雑誌『[[幽]]』の編集顧問(2014年9月までは編集長)<ref>[http://blog.livedoor.jp/genyoblog-higashi/archives/42688457.html 恭賀新年 : 東雅夫の幻妖ブックブログ]</ref>。アトリエOCTA刊行怪奇幻想文学評論誌『[[幻想文学 (雑誌)|幻想文学]]』の編集長を、創刊から終刊まで20年余にわたり務めた。近年は編集者としてよりも、アンソロジーの編纂や、[[ホラー小説]]を中心とする文芸評論、怪談文学研究などの分野で精力的に著述活動を展開している。評論家として「ホラー・ジャパネスク」「怪談文芸」「800字怪談ムーヴメント」などを提唱。元早稲田大学非常勤講師。「[[怪談之怪]]」発起人の1人。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
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1986年『幻想文学』の姉妹誌として幻想小説専門誌『小説幻妖』を創刊。1987年夏の澁澤逝去に伴い、翌88年秋に追悼特集『別冊幻想文学 澁澤龍彦スペシャル シブサワ・クロニクル』を発行。これは東の編集歴の中で最も思い入れ深いものとなった。さらに1989年に『同 ドラコニア・ガイドマップ』を、澁澤没後10年の1997年に『幻想文学 50 特集 澁澤龍彦1987 - 1997』を発行した。
1986年『幻想文学』の姉妹誌として幻想小説専門誌『小説幻妖』を創刊。1987年夏の澁澤逝去に伴い、翌88年秋に追悼特集『別冊幻想文学 澁澤龍彦スペシャル シブサワ・クロニクル』を発行。これは東の編集歴の中で最も思い入れ深いものとなった。さらに1989年に『同 ドラコニア・ガイドマップ』を、澁澤没後10年の1997年に『幻想文学 50 特集 澁澤龍彦1987 - 1997』を発行した。


1990年、SF専門雑誌『[[SFマガジン]]』([[早川書房]])にて、以後12年にわたるホラー小説時評の連載を開始。『幻想文学』の姉妹誌として書評専門誌『ブックガイド・マガジン(BGM)』を創刊。1994年、『幻想文学』の発行元が川島徳絵(石堂藍)代表の[[株式会社]]アトリエOCTAへ移行。これを機に個人事務所「幻想文学企画室」を立ち上げ、他社でも企画・編集業務を展開。[[学研ホールディングス|学研]]で「学研ホラーノベルズ」シリーズなどの企画編集に携わる。1996年、雑誌『[[ムー (雑誌)|ムー]]』([[学研ホールディングス|学研]])にて、「日本伝説紀行」の不定期連載を開始。1997年、[[ぶんか社]]で「HORRORWAVE」シリーズや日本初のホラー小説専門誌『ホラーウェイヴ』の企画編集に携わる。1999年、[[京極夏彦]]・[[中山市朗]]・[[木原浩勝]]らとともに「怪談之怪」を結成し、総合雑誌『[[ダ・ヴィンチ]]』([[メディアファクトリー]])誌上で活躍。
1990年、SF専門雑誌『[[SFマガジン]]』([[早川書房]])にて、以後12年にわたるホラー小説時評の連載を開始。『幻想文学』の姉妹誌として書評専門誌『ブックガイド・マガジン(BGM)』を創刊。1994年、『幻想文学』の発行元が川島徳絵(石堂藍)代表の[[株式会社]]アトリエOCTAへ移行。これを機に個人事務所「幻想文学企画室」を立ち上げ、他社でも企画・編集業務を展開。[[学研ホールディングス|学研]]で「学研ホラーノベルズ」シリーズなどの企画編集に携わる。1996年、雑誌『[[ムー (雑誌)|ムー]]』([[学研ホールディングス|学研]])にて、「日本伝説紀行」の不定期連載を開始。1997年、[[ぶんか社]]で「HORRORWAVE」シリーズや日本初のホラー小説専門誌『ホラーウェイヴ』の企画編集に携わる。1999年、[[京極夏彦]]・[[中山市朗]]・[[木原浩勝]]らとともに「怪談之怪」を結成し、総合雑誌『[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]]』([[メディアファクトリー]])誌上で活躍。


2000年、雑誌『ムー』20周年記念企画「学研伝奇プロジェクト」にブレーンとして参画、[[ムー伝奇ノベル大賞]]創設や伝奇専門誌『伝奇M(モンストルム)』創刊などに協力する。自らもアンソロジストとして「伝奇ノ匣」シリーズを手がける。またオンライン書店[[ビーケーワン]]の開業に際してホラー書籍担当の社外エディターとして参画、後に「東雅夫の幻妖ブックブログ」を開設し、同社との提携を続けた。2002年、雑誌『[[小説推理]]』([[双葉社]])にて、「幻想と怪奇」時評の連載を開始、不定期特集「幻想と怪奇への誘い」も企画構成。2003年、売行き不振と他社での編纂文筆活動の多忙化などにより、『幻想文学』は7月刊の第67号で終刊した。
2000年、雑誌『ムー』20周年記念企画「学研伝奇プロジェクト」にブレーンとして参画、[[ムー伝奇ノベル大賞]]創設や伝奇専門誌『伝奇M(モンストルム)』創刊などに協力する。自らもアンソロジストとして「伝奇ノ匣」シリーズを手がける。またオンライン書店[[ビーケーワン]]の開業に際してホラー書籍担当の社外エディターとして参画、後に「東雅夫の幻妖ブックブログ」を開設し、同社との提携を続けた。2002年、雑誌『[[小説推理]]』([[双葉社]])にて、「幻想と怪奇」時評の連載を開始、不定期特集「幻想と怪奇への誘い」も企画構成。2003年、売行き不振と他社での編纂文筆活動の多忙化などにより、『幻想文学』は7月刊の第67号で終刊した。


ビーケーワン主催「[[ビーケーワン怪談大賞]]」の選者を[[加門七海]]、[[福澤徹三]]と共に務める。2004年、『[[ダ・ヴィンチ]]』増刊号怪談専門雑誌『幽』を創刊、初代編集長に就任。同誌で「怪談文学史逍遙」「日本怪談紀行」の連載を開始。2005年頃より、[[ちくま文庫]]、[[角川文庫]]、[[小学館文庫]]などで[[怪談]]やホラーのアンソロジーを多数手がけるようになる。2006年、メディアファクトリー主催[[『幽』怪談文学賞]]の選考委員となる。2007年、ポプラ社での「[[てのひら怪談]]」シリーズ発刊にあわせて800字掌篇の怪談文芸ムーヴメントを推進。以後も意欲的に怪奇幻想文学分野で活躍している。
ビーケーワン主催「[[ビーケーワン怪談大賞]]」の選者を[[加門七海]]、[[福澤徹三]]と共に務める。2004年、『[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]]』増刊号怪談専門雑誌『幽』を創刊、初代編集長に就任。同誌で「怪談文学史逍遙」「日本怪談紀行」の連載を開始。2005年頃より、[[ちくま文庫]]、[[角川文庫]]、[[小学館文庫]]などで[[怪談]]やホラーのアンソロジーを多数手がけるようになる。2006年、メディアファクトリー主催[[『幽』怪談文学賞]]の選考委員となる。2007年、ポプラ社での「[[てのひら怪談]]」シリーズ発刊にあわせて800字掌篇の怪談文芸ムーヴメントを推進。以後も意欲的に怪奇幻想文学分野で活躍している。


2011年、『[[遠野物語]]と怪談の時代』で第64回[[日本推理作家協会賞]]評論その他部門受賞。2012年5月、ビーケーワンの[[honto]]への併合により、業務提携を終了。
2011年、『[[遠野物語]]と怪談の時代』で第64回[[日本推理作家協会賞]]評論その他部門受賞。2012年5月、ビーケーワンの[[honto]]への併合により、業務提携を終了。

2022年12月7日 (水) 21:46時点における版

ひがし まさお

東 雅夫
生誕 東 政男
(1958-04-11) 1958年4月11日(66歳)
日本の旗 神奈川県横須賀市
国籍 日本の旗 日本
職業 文芸評論家
編集者
アンソロジスト
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東 雅夫(ひがし まさお、1958年4月11日[1] - )は、日本文芸評論家編集者アンソロジスト[2]。本名、東政男[3]神奈川県横須賀市出身[4]神奈川県立横須賀高等学校を経て早稲田大学第一文学部日本文学科卒業[5]

メディアファクトリー刊行総合雑誌『ダ・ヴィンチ』の増刊号である、怪談専門雑誌『』の編集顧問(2014年9月までは編集長)[6]。アトリエOCTA刊行怪奇幻想文学評論誌『幻想文学』の編集長を、創刊から終刊まで20年余にわたり務めた。近年は編集者としてよりも、アンソロジーの編纂や、ホラー小説を中心とする文芸評論、怪談文学研究などの分野で精力的に著述活動を展開している。評論家として「ホラー・ジャパネスク」「怪談文芸」「800字怪談ムーヴメント」などを提唱。元早稲田大学非常勤講師。「怪談之怪」発起人の1人。

経歴

1958年4月11日、神奈川県横須賀市に生まれる。1974年、神奈川県立横須賀高等学校入学。同学年に後の評論家、浅羽通明がおり、相互に影響を受ける。放送部の同期にアニメーターの宮﨑なぎさ。1977年、早稲田大学第一文学部日本文学科入学。1979年、早稲田大学政治経済学部生が創立した「幻想文学会」に参加。メンバーには石堂藍倉阪鬼一郎南條竹則菊池秀行(南條、菊池は他大学からの参加)らもいた。また、浅羽通明は正式メンバーではなかったが、会にしばしば顔を出した。のちの同名の評論誌の原点となるガリ版同人誌『幻想文学』発行。

1980年、本格的な季刊幻想文学同人誌『金羊毛』を創刊し、数軒の書店にて直販を試み、成功。これがアトリエOCTA刊行の『幻想文学』の前身となる。1981年、文芸出版社である青銅社に入社。1982年、青銅社を退社し独立するが、同社社長の協力もあって季刊研究評論誌『幻想文学』を創刊。編集人・東、発行人・川島徳絵(石堂藍)、発行所・有限会社幻想文学会出版局。誌上には澁澤龍彦中井英夫種村季弘荒俣宏ら大家も名を連ねた。売れ行きは好調ではあったが、この頃は学習塾で国語の講師も務めていた。1985年、澁澤龍彦、中井英夫を選者に迎えた幻想文学新人賞を創設。

1986年『幻想文学』の姉妹誌として幻想小説専門誌『小説幻妖』を創刊。1987年夏の澁澤逝去に伴い、翌88年秋に追悼特集『別冊幻想文学 澁澤龍彦スペシャル シブサワ・クロニクル』を発行。これは東の編集歴の中で最も思い入れ深いものとなった。さらに1989年に『同 ドラコニア・ガイドマップ』を、澁澤没後10年の1997年に『幻想文学 50 特集 澁澤龍彦1987 - 1997』を発行した。

1990年、SF専門雑誌『SFマガジン』(早川書房)にて、以後12年にわたるホラー小説時評の連載を開始。『幻想文学』の姉妹誌として書評専門誌『ブックガイド・マガジン(BGM)』を創刊。1994年、『幻想文学』の発行元が川島徳絵(石堂藍)代表の株式会社アトリエOCTAへ移行。これを機に個人事務所「幻想文学企画室」を立ち上げ、他社でも企画・編集業務を展開。学研で「学研ホラーノベルズ」シリーズなどの企画編集に携わる。1996年、雑誌『ムー』(学研)にて、「日本伝説紀行」の不定期連載を開始。1997年、ぶんか社で「HORRORWAVE」シリーズや日本初のホラー小説専門誌『ホラーウェイヴ』の企画編集に携わる。1999年、京極夏彦中山市朗木原浩勝らとともに「怪談之怪」を結成し、総合雑誌『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)誌上で活躍。

2000年、雑誌『ムー』20周年記念企画「学研伝奇プロジェクト」にブレーンとして参画、ムー伝奇ノベル大賞創設や伝奇専門誌『伝奇M(モンストルム)』創刊などに協力する。自らもアンソロジストとして「伝奇ノ匣」シリーズを手がける。またオンライン書店ビーケーワンの開業に際してホラー書籍担当の社外エディターとして参画、後に「東雅夫の幻妖ブックブログ」を開設し、同社との提携を続けた。2002年、雑誌『小説推理』(双葉社)にて、「幻想と怪奇」時評の連載を開始、不定期特集「幻想と怪奇への誘い」も企画構成。2003年、売行き不振と他社での編纂文筆活動の多忙化などにより、『幻想文学』は7月刊の第67号で終刊した。

ビーケーワン主催「ビーケーワン怪談大賞」の選者を加門七海福澤徹三と共に務める。2004年、『ダ・ヴィンチ』増刊号怪談専門雑誌『幽』を創刊、初代編集長に就任。同誌で「怪談文学史逍遙」「日本怪談紀行」の連載を開始。2005年頃より、ちくま文庫角川文庫小学館文庫などで怪談やホラーのアンソロジーを多数手がけるようになる。2006年、メディアファクトリー主催『幽』怪談文学賞の選考委員となる。2007年、ポプラ社での「てのひら怪談」シリーズ発刊にあわせて800字掌篇の怪談文芸ムーヴメントを推進。以後も意欲的に怪奇幻想文学分野で活躍している。

2011年、『遠野物語と怪談の時代』で第64回日本推理作家協会賞評論その他部門受賞。2012年5月、ビーケーワンのhontoへの併合により、業務提携を終了。

著作

共著

アンソロジー

編・解説

共編著

ローズマリー・ジャクスン『幻想文学―転覆の文学』下楠昌哉訳 を収録

脚注

  1. ^ 東 雅夫 年譜 (1歳〜12歳) : 東雅夫の幻妖ブックブログ
  2. ^ 大学院教養デザイン研究科 特別講義|明治大学
  3. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.462
  4. ^ 未来授業 - TOKYO FM Podcasting
  5. ^ 妖怪と怪談の文学誌 | 東 雅夫 | 早稲田大学エクステンションセンター
  6. ^ 恭賀新年 : 東雅夫の幻妖ブックブログ

参考文献

  • 「幻想文学」とその時代 東雅夫インタビュー(『ナイトメア叢書2 幻想文学、近代の魔界へ』青弓社 2006年)
  • 読書をめぐる冒険(いのうえさきこ『スキ!がお仕事!』メディアファクトリー 2006年)

関連項目

外部リンク