「営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故」の版間の差分
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'''営団日比谷線脱線衝突事故'''('''えいだんひびやせんだっせんしょうとつじこ''')では、[[2000年]]([[平成]]12年)[[3月8日]]の午前9時1分頃に、[[帝都高速度交通営団]](営団地下鉄、現[[東京地下鉄]])[[東京地下鉄日比谷線|日比谷線]]において発生した、[[列車脱線事故]]について記す。 |
'''営団日比谷線脱線衝突事故'''('''えいだんひびやせんだっせんしょうとつじこ''')では、[[2000年]]([[平成]]12年)[[3月8日]]の午前9時1分頃に、[[帝都高速度交通営団]](営団地下鉄、現[[東京地下鉄]])[[東京地下鉄日比谷線|日比谷線]]において発生した、[[列車脱線事故]]について記す。 |
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2006年12月8日 (金) 02:08時点における版
営団日比谷線脱線衝突事故(えいだんひびやせんだっせんしょうとつじこ)では、2000年(平成12年)3月8日の午前9時1分頃に、帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現東京地下鉄)日比谷線において発生した、列車脱線事故について記す。
事故概要
日比谷線を走っていた東急東横線直通菊名行き電車(営団03系8両編成)の最後尾車両が、中目黒駅手前の急曲線で左右車輪にかかる重量の不均衡、脱線防止ガード(ガードレール)非設置を主とする複数の要因で緩和曲線の捻れ部で乗り上がり脱線。横取りポイントに誘導され対向の中目黒始発東武線直通竹ノ塚行き電車(東武20050系8両編成)と側面衝突、大破して死者5名、負傷者64名を出した。
原因・対策
脱線の仕方としては競り上がり脱線であるが、原因因子として左右30%もの輪重差の放置、半径160mの急カーブであるにもかかわらず脱線防止ガードが無かったことや、異常を察知した車掌による非常制動装置(非常ブレーキ)の作動などがある事から、複合的原因により発生した事故だとされた。このことにより、刑事責任としては1人に罪を負わせることを不可とし、管理限界を超える線路の狂いを放置したとして送検されていた保線関係者5名は検察段階で不起訴となった。
- しかし事故調査検討会はこの事故を契機に全国の鉄道事業者に2種3項の指示を出しており(刑事責任ではない)安全確保の観点での事故原因の見解は持っている。すなわち
- (1)輪重比管理値を10%以内(左右の平均値±10%)とする、
- (2-1)半径200m以下のカーブ出口のカント逓減部(=緩和曲線部)に脱線防止ガードの設置、
- (2-2)「推定脱線係数比」という管理値を導入して基準を超えるカーブへの脱線防止ガード設置を義務化した。すなわち
- 事故発生の主原因は輪重比の大きな狂い、副原因は営団のみ極端に緩い脱線防止ガード設置基準というのが事故調査報告書の実質の結論である。
- 営団での輪重比管理は1992年に半蔵門線車庫で2度の脱線事故を経験して社内調査でその必要性が指摘され、職場からは輪重計設置要求が出されていたが却下・放置し、半蔵門線車両のみの輪重調整に留めたことで、日比谷線には輪重比30%を超える車両が走り、半径140m以下に脱線防止ガード設置という営団の極端に低い設置基準で現場の半径160.1mには脱線防止ガードが無く惨事を防げなかった。
また東横線横浜脱線事故が全く同様の輪重比の不均衡で起こり以後±10%以内に調整し半径450m以下の全カーブに脱線防止ガードを設置していたが、これについて運輸省が全事業者に注意を促すことは無かったので営団でもチェックされなかった。
なおこの事故の報道においては、複数要因が重なって発生した脱線事故であることをもって、国鉄が「競合脱線」と説明した鶴見事故(1963年)と比較される事が一部にあったが、これも事故調査検討会最終報告書の実質内容の読み誤りである。
- 鶴見事故の結論も子細にみれば原因車両であるワラ1型の走行特性試験をワム60000類似車両として省略し、軽積載時の大変振動的な走行特性を見逃していたし、また当時バネ下荷重軽減云々と旅客車両開発の走行特性改良で定着していた振動解析が貨車設計には波及していない時期の事故で身内調査による「競合脱線」原因説で片付けて良いものかの疑問もある。
また、この事故が法改正を促し航空・鉄道事故調査委員会発足の契機にもなった。
その他
この付近ではこれより前の1965年と1992年の2回、事故があった。前者はこの事故とほぼ同じ箇所で脱線した(台車の異状によるもの)。以下関連項目参照。