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「アラスカ級大型巡洋艦」の版間の差分

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! colspan=2 style="color: white; height: 30px; background: navy ; font-size:medium" | 艦級概観
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| 艦種 || [[巡洋艦|大型巡洋艦]]<ref>{{Cite web |url= https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/nos19410918-01.1.2|pages=01|title= 米海軍、二萬七千噸の 超巡洋艦建造 <small>長距離哨戒作業に當る</small>|publisher= Nan’yō Nichinichi Shinbun |date=1941-09-18 |accessdate=2023-10-10}}</ref>
| 艦種 || [[巡洋艦|大型巡洋艦]]
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| 艦名 || [[アラスカ (大型巡洋艦)|1番艦]]:[[アラスカ州|アラスカ]] <br/> [[グアム (大型巡洋艦)|2番艦]]:[[グアム]]
| 艦名 || [[アラスカ (大型巡洋艦)|1番艦]]:[[アラスカ州|アラスカ]] <br/> [[グアム (大型巡洋艦)|2番艦]]:[[グアム]]
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| 計画 || 6隻
| 計画 || 6隻
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| 建造 || 2隻
| 就役 || 2隻<!-- アラスカ、グアム -->
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| 中止 || 4隻
| 中止 || 4隻
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! colspan=2 style="color: white; height: 30px; background: navy ; font-size:medium" | 性能諸元<ref>[https://ww2db.com/ship_spec.php?ship_id=B153 Large Cruiser Alaska (CB-1)]
! colspan=2 style="color: white; height: 30px; background: navy ; font-size:medium" | 性能諸元<ref>[https://ww2db.com/ship_spec.php?ship_id=B153 Large Cruiser Alaska (CB-1)]
<br/> [http://navypedia.org/ships/usa/us_cr_alaska.htm ALASKA battlecruisers (1944)] navypedia.org
<br/> [http://navypedia.org/ships/usa/us_cr_alaska.htm ALASKA battlecruisers (1944)] navypedia.org
<br/> [http://www.navsource.org/archives/04/1201/040201.htm USS ALASKA (CB 1)]
<br/> [https://www.navsource.org/archives/04/1201/040201.htm USS ALASKA (CB 1)]
<br/> US HEAVY CRUISERS 1943–75 Wartime and Post-war Classes</ref>
<br/> US HEAVY CRUISERS 1943–75 Wartime and Post-war Classes</ref>
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'''アラスカ級大型巡洋艦'''('''Alaska Class Large Cruiser''')は、[[アメリカ海軍]]の[[巡洋艦|大型巡洋艦]]<ref>{{アジア歴史資料センター|J21022494000|Shin Sekai Asahi Shinbun 1941.09.20 新世界朝日新聞/nws_19410920(スタンフォード大学フーヴァー研究所)}} p.2〔 '''巨大巡洋艦六隻も建造中''' (華府十六日同盟)米海軍省は十六日巡洋艦建造状況を發表し、その中で大型巡洋艦六隻を建造中であると述べてゐるが、右は二万七千噸の特別大型巡洋艦である旨海軍當局から公表された。之等の性能その他の詳細事項は發表されてゐないが、恐らく商船を戒嚴する海上奇襲艦に對抗し、又主力艦隊或ひは海軍基地から遠く離れて、長距離哨戒作業に従事するものと解される。海軍當局者の語るところによると、超巡洋艦六隻の艦名はアラスカ、ハワイ、グアム、フィリッピン、サモナ、ポートラコで従来巡洋艦には都市名が附せられてゐが慣例を破るものであるが建造作業の進捗状況は明らかでない。〕</ref>。[[主砲]][[口径]]や[[排水量]]から、文献によってはしばしば[[巡洋戦艦]]に分類される。 [[ネームシップ]]の「[[アラスカ (大型巡洋艦)|アラスカ]]」と2番艦「[[グアム (大型巡洋艦)|グアム]]」が[[太平洋戦争]]下に就役した
'''アラスカ級大型巡洋艦'''('''{{lang|en|Alaska Class Large Cruiser}}''')は{{Sfn|イカロス、世界の巡洋艦|2018|p=125a|ps=アラスカ級大型巡洋艦「アラスカ」(1944年)}}、[[アメリカ海軍]]の[[巡洋艦|大型巡洋艦]]{{Efn|'''巨大巡洋艦六隻も建造中'''<ref>{{アジア歴史資料センター|J21022494000|Shin Sekai Asahi Shinbun 1941.09.20 新世界朝日新聞/nws_19410920(スタンフォード大学フーヴァー研究所)}} p.2</ref>(華府十六日同盟)米海軍省は十六日巡洋艦建造状況を發表し、その中で大型巡洋艦六隻を建造中であると述べてゐるが、右は二万七千噸の特別大型巡洋艦である旨海軍當局から公表された。之等の性能その他の詳細事項は發表されてゐないが、恐らく商船を戒嚴する海上奇襲艦に對抗し、又主力艦隊或ひは海軍基地から遠く離れて、長距離哨戒作業に従事するものと解される。海軍當局者の語るところによると、超巡洋艦六隻の艦名はアラスカ、ハワイ、グアム、フィリッピン、サモナ、ポートラコで従来巡洋艦には都市名が附せられてゐが慣例を破るものであるが建造作業の進捗状況は明らかでない。(記事おわり)}}
[[主砲]][[口径]]や[[排水量]]から、報道や<ref>{{Cite web |url= https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/mac19410316-01.1.1|pages=01|title= 新型巡洋戰艦建造に着手|publisher= Manshū Nichinichi Shinbun |date=1941-03-16 |accessdate=2023-10-10}}</ref><ref name="knh19400626p3" />、文献によっては[[巡洋戦艦]]と呼称される{{Sfn|ジョーダン、戦艦|1988|pp=148-151|ps=アメリカ/アラスカ級}}{{Efn|△アラスカ級六隻{{Sfn|細川、米海軍|1944|pp=66-67|ps=(原本111-112頁)}} 基準排水量は二七,〇〇〇トンで、巡洋戰艦とよぶべきものである。即ち、防禦装甲は薄いが、主砲と高速力により移動砲撃用に使用することが出來る。一九四一年に六隻建造を計畫し、既にアラスカとガムの二隻は就役してゐるものと見られるが、その他は空母に轉換されることになつた模様で、一部は就役してゐると見られる。性能、主砲三〇.五糎九又は十門、卅五ノツト(以下略)}}。
6隻建造予定であったが{{Efn|四 敵米海軍力の回復と擴張(中略){{Sfn|戦力増強の諸問題|1944|p=69|ps=原本126頁}} 巡洋艦では二萬七千トン級のアラスカ級巡洋戰艦六隻の建造が豫定せられ、一番艦アラスカ、二番艦グァムは進水した。このほか[[ボルチモア級重巡洋艦|一萬三千トン甲級重巡バルチモア級]]、[[アトランタ級軽巡洋艦|新型六千トンの防空巡洋艦アトランタ級]]も最近進水した。(以下略)}}、[[ネームシップ]]の「[[アラスカ (大型巡洋艦)|アラスカ]]」と2番艦「[[グアム (大型巡洋艦)|グアム]]」が[[太平洋戦争]]下に就役した{{Sfn|イカロス、世界の巡洋艦|2018|p=126a|ps=■日米の大型巡洋艦}}。


== 概要 ==
== 概要 ==
1929年2月、[[ドイツ海軍]]は[[ヴェルサイユ条約]]の枠内で[[ドイッチュラント級装甲艦]]の建造を開始した{{Sfn|イカロス、世界の巡洋艦|2018|pp=124-125|ps=■ドイツの大型巡洋艦}}。この新型[[装甲艦]]は{{Sfn|ジョーダン、戦艦|1988|pp=30-35|ps=ドイツ/ドイッチュラント級}}、ポケット戦艦という[[愛称|ニックネーム]]で有名となる<ref>{{Cite web |url= https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/nos19320505-01.1.2|pages=02|title= 獨逸のポケット戰艦 軍縮會議で問題となる|publisher= Nan’yō Nichinichi Shinbun |date=1932-05-05 |accessdate=2023-09-29}}</ref>{{Efn|豆戦艦<ref name="sin19321028p2">[https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/sin19321028-01.1.2 Hoji Shinbun Digital Collection、Singapōru Nippõ, 1932.10.28、p.2、2023年6月3日閲覧] 佛海軍建造の新巡洋艦 獨の豆戰闘艦に對抗(二十七日巴里發)</ref>、袖珍戦艦とも呼ばれた<ref>[https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/kam19370707-01.1.2 Hoji Shinbun Digital Collection、Kashū Mainichi Shinbun, 1937.07.07、p.2、2023年6月3日閲覧] 英獨條約に基く獨逸海軍の六ヶ年建艦計畫(伯林六日同盟)</ref>。}}。
1930年代中頃に[[ドイツ海軍]]が新しく建造した「[[ドイッチュラント級装甲艦]]」はドイツによって「砲力は[[重巡洋艦|重巡]]を上回り、速力は[[戦艦]]を上回る」と大きく宣伝されており、アメリカ海軍は通商路の防備に当たる巡洋艦にとって脅威になると捉えていた。加えて1930年代後期のアメリカやイギリスは、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]が基準排水量15,000[[トン数|t]]、12[[インチ]]砲6門を搭載して30ノット以上を発揮する豆戦艦(ポケット戦艦)<ref>{{アジア歴史資料センター|A03024303900|日本豆戦闘巡洋艦建造説 英紙報道/各種情報資料・内閣情報部情報綴(国立公文書館)}}</ref>「'''秩父型大型巡洋艦'''」(もしくは「'''かでくる型'''」)なる艦を秘かに建造しているという[[誤報|誤情報]]を掴んだ。これらの艦が[[通商破壊]]や[[艦隊]][[海戦|決戦]]に投入された場合、巡洋艦部隊で戦闘すればアメリカ海軍側が不利になると考えられていた。1938年、アメリカ海軍はこれらの艦に対抗するため、ドイツの装甲艦や日本の大型巡洋艦を火力・防御・速度で上回り、通商保護が行える長大な航続力を持った艦を検討し始めた。これがアラスカ級大型巡洋艦である<ref name="歴群米戦164">[[#歴群米戦9章]] p.164</ref>。
「砲力は[[重巡洋艦|重巡]]を上回り、速力は[[戦艦]]を上回る」と宣伝され、従来の[[巡洋艦]]では対抗不能という評判を得た{{Efn|name="mas19290419p1"|ドイツはヴエルサイユ條約に依つてその保有し得べき最大艦は排水量一萬噸搭載大砲口徑十一吋に制限されたがドイツはこの制限内に於て最大の威力を發揮すべき装甲艦二隻を昨年來建造中である<ref>{{Cite web |url= https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/mas19290419-01.1.1|pages=01|title= 獨逸新造の装甲艦 <small>世界脅威の的となる</small>|publisher= Burajiru Jihō |date=1929-02-07 |accessdate=2023-09-29}}</ref> 右一萬噸装甲艦は 秘密に されてゐるが十一吋主砲六門、六吋副砲八門を搭載し速力二十六節五百馬力のデーゼルエンヂンを使用し航續距離一萬海里に及ぶもので實に製艦技術上の最高點に達してゐる、ワシントン條約に依つて主要海軍國で建造中の[[重巡洋艦|八吋砲一萬噸巡洋艦]]は二隻を以てしてもこのドイツの新装甲艦一隻に 比敵し 得ない程の破壊力を有するものである然も高速力であるから主要海軍國の三萬五千噸の主力艦に遭遇しても平気であるといふ代物であるので世界海軍國の脅威の的となつてゐる(記事おわり)}}{{Efn|その評判は、第二次世界大戦勃発後も変わらなかった<ref>{{アジア歴史資料センター|J21022362000|Shin Sekai Asahi Shinbun 1939.11.16 新世界朝日新聞/nws_19391116(スタンフォード大学フーヴァー研究所)}} p.2〔 ~獨袖珍戰艦の脅威~英佛、追手は出したが {{smaller|戰闘力の差異甚しく頭痛鉢}}(ワシントン十三日發)</ref>。}}。
ドイッチュラント級装甲艦の出現に[[フランス]]と[[イタリア王国]]は刺激を受け、[[ヨーロッパ]]で[[建艦競争]]が再燃した<ref>{{Cite web |url= https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/nis19380428-01.1.1|pages=06|title= 大艦建造競爭 <small>イギリスもアメリカもフランスも</small> ドイツはポケツト軍艦で對抗|publisher= Nippaku Shinbun |date=1938-04-02 |accessdate=2023-10-10}}</ref><ref>{{Cite web |url= https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/nis19380428-01.1.1|pages=01|title= 戰艦復興(二)獨蘇二巨人に對抗 佛、悲痛な頑張り|publisher= Nippaku Shinbun |date=1938-04-28 |accessdate=2023-10-10}}</ref>。
ポケット戦艦に匹敵する[[巡洋戦艦]]に関していえば、1930年時点でイギリスに3隻、日本に4隻が残るだけだった<!-- トルコの「ヤウズ」を除く --><ref name="gnd19350209p2" />。さらに建艦競争により[[ダンケルク級戦艦]]と[[ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦]]が出現し、ドイツ海軍もポケット戦艦の量産や[[シャルンホルスト級戦艦|改良型]]を配備する姿勢を見せる{{Efn|倫敦七日發電によれば英國海軍評論家エドワード・アルサム大佐の説に獨逸海軍のダッチランド型の一万噸の巡洋艦は米國、大英國、日本の巨大なる[[超弩級戦艦|超弩級艦]]を急速に無効に歸せしめつゝあるとのこと、である大佐はブラッセーの一九三五年海軍、海運年報に記して曰く<ref name="gnd19350209p2">{{Cite web |url= https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/gnd19350209-01.1.2|pages=02|title= 英米日の舊艦は獨伊佛の新艦に<small>到底對抗は出來ない</small>|publisher= Taihoku Nippō |date=1935-02-09 |accessdate=2023-10-10}}</ref>'''獨逸巡洋艦'''ダッチランド は實に強力に武装せられ如何なる巡洋艦も一分間たりとも之に楯付くことは出來ない、三大海軍強國は新艦を建造せざることに同意せるを以て各自現有の舊艦に巨費を投じたるも是等軍艦は急速に老朽艦になりつゝあるのみならず佛、伊、獨の新型軍艦の或る肝要性に對照して絶對に劣弱である斯る状勢を來したるは實に獨逸の一万噸のダッチランドである<br/>'''英國戰闘巡艦'''[[フッド (巡洋戦艦)|フード]] [[レナウン (巡洋戦艦)|リナウン]]、[[レパルス (巡洋戦艦)|リパルス]]の三隻と外に日本の[[金剛型戦艦|金剛艦級]]とが世界中に於てダッチランド級に比敵すべき軍艦である 獨逸は間もなくダッチランド級の強力艦四隻を保有し遂には増して六隻とすべし/'''佛國は現に'''ダンカーキ 二隻を建造中で仝艦はダツチランドよりも一層快速力で英のリナウン、リパルス諸艦よりも強力である/'''伊太利の目下建造中な'''る軍艦二隻は三万五千噸の巨艦にして佛國の諸艦よりも一層かい速力且つ一層強力の武装せり斯る形勢にありて英國の現勢は誠に耻づべしといふの外はなし/'''米國海軍省'''にては一九三六年の終りに至りて巨艦新建の禁止が解けくることに備へる爲に『秘密』の内に新戰闘艦のデザインを用意してゐると報ぜらる其デザインは[[ノースカロライナ級戦艦|三万五千噸の巨艦]]に空爆と高射との攻撃に耐ゆる特別装甲のものなりしと(記事おわり)}}。


アメリカ海軍も、[[通商破壊]]をおこなうポケット戦艦は[[シーレーン]]の[[護送船団|防衛]]に脅威となると捉えていた{{Efn|【ワシントン十五日同盟】<ref>{{Cite web |url= https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/tnj19391116-01.1.9|pages=09|title= 獨袖珍戰艦に對抗 米國新巡洋艦建造 <small>俄かに設計變更を發表</small>|publisher= Nippu Jiji |date=1939-11-16 |accessdate=2023-10-10}}</ref> [[チャールズ・エジソン|エヂソン]]海軍長官代理は十五日新聞記者團との會見に於てドイツのポケット戰艦が大西洋を横行したる事實に鑑み新造すべき二巡洋艦の設計を變更するを必要とする旨左の如く言明した。 米國は近くドイツ袖珍戰艦より優秀なる巡洋艦二隻建造する意向で、目下之の設計を進めたるが、噸數は八千噸となるべく、且之は現在如何なる國に依つて建造されたものより優秀且つ強力なるものと信ずる(記事おわり)}}。
当初は排水量27,000~30,000トン、12インチ砲6~8門、速力35[[ノット]]を持つ艦として案が考えられたが火力・防御不足や費用対効果の問題等で紆余曲折にあい、設計案は紛糾した。しかし1941年7月になって正式案が確定し、最終的に排水量27,500トン、12インチ砲9門、33ノットの速力を持ち、限定的な12インチ弾の防御とした艦としてまとめられた<ref name="歴群米戦164"/>。
だが列強各国は1930年4月22日に[[ロンドン海軍軍縮会議|ロンドン海軍軍縮条約]]に調印しており、その中で巡洋艦はA級巡洋艦(甲級巡洋艦、重巡洋艦)とB級巡洋艦(乙級巡洋艦、軽巡洋艦)に分類された<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957669/1 ロンドン海軍軍縮条約本文] - 国立国会図書館デジタルコレクション</ref>。重巡に関しては「基準排水量1万トン以下、備砲は6.1インチより大きく8インチ以下、アメリカの合計排水量は18万トン」と定められていた{{Sfn|細川、米海軍|1944|pp=63-64|ps=(原本105-106頁)開戰前の米巡洋艦勢力}}。重巡洋艦では「ポケット戦艦」に対抗できないし{{Efn|name="mas19290419p1"}}、アメリカ海軍は巡洋戦艦を保有していない<ref name="gnd19350209p2" />。1932年1月には「アメリカ海軍も既存重巡の設計を見直し、8インチ砲装備のポケット戦艦を建造する」という観測も流れた<ref>{{Cite web |url= https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/sin19320105-01.1.2|pages=02|title= ポケット戰艦建造 <small>米海軍の新威力 組織の改造</small>|publisher= Singapōru Nippō |date=1932-01-05 |accessdate=2023-10-10}}</ref>。


加えて1930年代後期のアメリカやイギリスは、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]が基準排水量15,000[[トン数|t]]、12[[インチ]]砲6門を搭載して30ノット以上を発揮する豆戦艦(ポケット戦艦)<ref>{{アジア歴史資料センター|A03024303900|日本豆戦闘巡洋艦建造説 英紙報道/各種情報資料・内閣情報部情報綴(国立公文書館)}}</ref>「'''秩父型大型巡洋艦'''」<ref name="ytn19420515" />(もしくは「'''[[翔鶴 (空母)|かでくる]]'''<ref name="whs19410315p3" />、'''{{lang|en|Kade Kuru}}'''」){{Sfn|ブラッセー海軍年鑑|1940|p=24|ps=(原本32頁)戰艦}}なる艦を秘かに建造しているという[[誤報|誤情報]]を掴んだ。[[ジェーン海軍年鑑]]によれば、日本海軍が[[大和型戦艦|40,000トン級]][[超弩級戦艦]]4隻と並行して建造している15,000トン級ポケット戦艦は、「翔鶴」{{Efn|「カデクル」<ref name="whs19410315p3">[https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/whs19410315-01.1.3 Hoji Shinbun Digital Collection、Shūkan Hawai Shinpō, 1941.03.15、p.3、2023年6月3日閲覧] '''日本新艦'''(中略)日本海軍は此他に一萬二千噸乃至一萬五千噸の袖珍戰艦カデクル、カシノ、ハチジョウ等を目下建造中だといってゐる。(以下略) </ref>、「風来」<ref>{{アジア歴史資料センター|J20012034600|Nichibei Shinbun_19410304、日米新聞/jan_19410304(スタンフォード大学フーヴァー研究所)}} p.3〔 日本が秘密建艦 英國から盛んに放送(ロンドン四日特電)</ref>との報道もあった。}}、「[[樫野_(給兵艦)|樫野]]」「[[八丈 (海防艦)|八丈]]」と命名されていた{{Efn|'''日本の[[大和型戦艦|四万噸大戰艦]]「日進」「高松」と命名 {{smaller|ジエーン海軍年鑑で發表す}}'''<ref>{{アジア歴史資料センター|J21022458200|Shin Sekai Asahi Shinbun 1941.03.22 新世界朝日新聞/nws_19410322(スタンフォード大学フーヴァー研究所)}} p.2</ref> 世界各國艦艇の調査収録にかけては斷然他の追従を許さゞるジエーンの海軍年鑑一九四一年度版が發行された(中略)即ち、日本に於ては四万噸級主力艦二隻が進水(この外二隻建造中)更に一万二千噸乃至一万五千噸級袖珍戰艦二隻も進水(この外一隻は建造中)したが、四万噸主力艦は夫々「[[大和 (戦艦)|日進]]」「[[武蔵 (戦艦)|高松]]」と命名され袖珍戰艦は「翔<ruby><rb>鶴</rb><rt>つる</rt></ruby>」「樫<ruby><rb>野</rb><rt>の</rt></ruby>」「八丈」と名付けられた。一方獨逸に於ては[[ビスマルク級戦艦|三万五千噸級主力艦]][[ビスマルク (戦艦)|ビスマルク號]]が既に就役の工程にある筈で姉妹艦[[ティルピッツ (戦艦)|ライプチッヒ號]]の完成は明年と豫定されてゐる。(中略)(記事おわり)}}{{Efn|日米兩國の建艦競爭 英海軍年鑑が表示 <small>兩國とも航空母艦と戰艦に専念</small><ref name="ytn19420515">[https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/ytn19420515-01.1.3 Hoji Shinbun Digital Collection、Yuta Nippō, 1942.05.15、p.3、2023年8月4日閲覧]</ref>『ロンドン五月十四日』世界海軍の権威として知られる英國の海軍年鑑「ヂエーンス フアイテング シツプ』一九四<!-- 原文まま -->年版は日米兩國が有史以來の大建艦競爭をしてゐる事を記載し左の如く其の概異を述べてゐる '''日本'''は四万噸以上の戰闘艦五隻を建造或は建造に着手して居り其中 日進 高松の二隻は完成或は完成に近く紀伊 尾張 土佐の三艦も最早遠からず完成するに近いと思惟される 此中の最後の起工はニヶ年半前であつたと云つてゐる之に反し '''米國'''は戰闘艦十七隻と巡洋戰艦六隻の建艦を計畫した外航空母艦十一隻巡洋艦四十隻と驅逐艦多數の建造に着手してゐる 此中[[ノースカロライナ級戦艦|ワシントン級三万五千噸]]六隻は既に進水し二隻は就役してゐる [[アイオワ級戦艦|四万五千噸のアイオワ級]]六隻と[[モンタナ級戦艦|モンタナ級]]五隻は夫々'''建造'''中或は起工中であり巡洋艦アラスカ級六隻は一九四一年十二月に起工したと云つてゐる 尚ほ日本海軍は一万二千噸或は一万五千噸級の大型巡洋艦で秩父級のもの三隻を新たに建造してゐるが之等の '''装備'''は十二吋砲六門であると云つてゐる 因に日本の建艦計畫は或る程度疑門<!-- 原文まま -->で日進は航空母艦に變更される事も考慮され高松は珍袖戰艦として現はれるのではないかと想像されてゐる 但し二艦とも四萬噸と記されてはゐる 日本巡洋艦 驅逐艦は前版より幾分増加の程度である 日本潜水艦數は現在八十隻以上と云つてゐる(記事おわり)}}。
アラスカ級は[[両洋艦隊法]]に6隻が計画され建造が承認されたものの、鋼材不足もあって1942年7月に未起工4隻が建造延期となり、最終的に1944年に「アラスカ」「グアム」が竣工した。しかし機関出力不足や旋回性能不足、[[艦橋]]部の配置不具合、[[戦闘指揮所]](CIC)の容量不足等の問題が多発し、更に砲の追従性能も悪かったことから艦隊側の評価は芳しくなかった<ref name="歴群米戦166">[[#歴群米戦9章]] p.166</ref>。[[第二次世界大戦]]後には[[ミサイル艦]]へ改装する案も出されたが見送られ、退役した<ref name="歴群米戦168">[[#歴群米戦10章]] p.168</ref>。

日本海軍は、ポケット戦艦建造の報道を否定した<ref>[https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/sin19380221-01.1.2 Hoji Shinbun Digital Collection、Singapōru Nippõ, 1938.02.21、p.2、2023年6月3日閲覧] 日本の新型巡洋艦 建艦問題に復重大波紋/我海軍の立場 米海軍の見解を反駁(記事略)</ref>。しかし日本の大型巡洋艦(ポケット戦艦)が実際に建造された場合、アメリカ海軍にとって重大な脅威になるのは明白だった{{Efn|'''超高速巡洋艦に對抗 ポケツト戰艦を造れ 疑心暗鬼の米通信社'''<ref name="nis19380415" />【華府十三日同盟】AP通信社が報道した日本の大艦建造は時節柄相當注目を惹いてるが米國海軍當局は十三日、日本が一万八千噸以上の巡洋艦建造を開始してゐるとの情報は接受してゐない旨言明した/一方AP通信社は十三日海軍部内の意向として次の如く報道してゐる<br/> 日本が大主力艦と共に高速度の[[超弩級戦艦|超弩級]][[巡洋艦]]を建造中ではないかとの懸念を抱いてゐることは事實である、然しこれによつてAP通信社は更に非公式の信ずべき筋の観測として日本の建艦説は事實だと思ふが、その事實だとの確報があれば米國海軍としても建艦計畫を變更せねばなるまい、八吋以上の大砲を搭載する一万八千トン以上の高速度巡洋艦は確かに米國にとつては脅威だ、これに對抗するには新型の袖珍戰闘艦を以てするのも一法である、尤も米國海軍首腦部は超弩級巡洋艦も袖珍戰闘艦にも余り氣乗りしないことは事實だ(記事おわり)}}。
1938年<ref>{{アジア歴史資料センター|J20011821000|Nichibei Shinbun_19380305、日米新聞/jan_19380305(スタンフォード大学フーヴァー研究所)}} p.2〔 英米佛對日策に袖珍戰艦建造か 倫敦三國會商に獨式採用か(華府三日合同特電)</ref>、アメリカ海軍は[[アイオワ級戦艦]]や[[モンタナ級戦艦]]の建造と並行して{{Efn|'''建艦競爭 火の手擴大 大艦建造の本家本元 米國で五萬噸級を計畫 [[ヤンキー]]は世界一がお好き'''<ref name="nis19380415">[https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/nis19380415-01.1.1  Hoji Shinbun Digital Collection、Nippaku Shinbun, 1938.04.15、2023年5月5日閲覧]</ref>(ワシントン十三日同盟)米國政府は過般末英米佛三國間に決定を見たエスカレーター條項援用の方針に基き[[アイオワ級戦艦|四萬五千噸級大主力艦]]三隻の建造を計畫中と傳へられたが、上院海軍委員ホーマーボン氏は十三日更に[[モンタナ級戦艦|五萬噸級大主力艦]]二隻の建造計畫を仄めかして左の如く言明した リー提督は五萬噸級主力艦二隻の建造計畫を進めてゐると聞き及んでゐる、同計畫は豫て計畫中の四萬五千噸級主力艦を建造する案を變更して新に立案されるに至つたものと思ふ(記事おわり)}}、ドイツの装甲艦や日本の大型巡洋艦を火力・防御・速度で上回り、通商保護が行える長大な航続力を持った艦を検討し始めた{{Efn|name="巡洋艦撤廃"|'''大艦巨砲主義の米國 巡洋艦の制限撤廢を要求か {{smaller|三國海軍専門家會議}}ひと揉め豫想'''<ref>{{アジア歴史資料センター|J21022248800|Shin Sekai Asahi Shinbun 1938.04.17 新世界朝日新聞/nws_19380417(スタンフォード大学フーヴァー研究所)}} p.1</ref>(東京十五日日本社特電)英米佛三國海軍専門家會議は既に三ヶ月の協議期間に入り去る十二日より會議續行中で各國の超過噸數其他に就て具体的協議を重ねてゐるが、右制限協定の對照となつてゐる主點は主力艦のみであるが、更に米國方面では巡洋艦の制限に關しても何等かの考慮を拂つてゐるものゝごとく、三國専門家會議は新たなる議題として巡洋艦問題を持出すのではないかと見られてゐる、即ち米國政府の意圖する處はこの問題に就ての責任を[[大日本帝国|帝國政府]]に轉嫁せんとし、過般UP電として帝國政府が[[巡洋戦艦|超弩級巡洋艦]]の建造を進めてゐる旨を宣傳してゐるがこれは明らかに米國政府の大建艦に對する逆宣傳であつて、主力艦に於て[[アイオワ級戦艦|四万五千噸以上のもの]]を建造せんとし今又一万六千噸乃至一万八千噸型十二吋砲搭載の主力艦と巡洋艦の中間の超弩級巡洋艦を建造せんとする意圖が匿されてゐるものと見られる、而して一九三六年のロンドン條約に依つて三万五千噸以下の主力艦は建造し得ず、且巡洋艦の制限噸數は八千噸級から一万噸級で搭載備砲は八吋を超ゆることが出來ないのであるから、斯る米國の主張を容認する場合は必然的に右條約中の巡洋艦制限規定を廢棄しなければならなくなるのであつて、最近に於ける米國政府の軍擴熱は勢ひの赴く處主力艦の制限噸數を引上げると同時に巡洋艦の噸數制限を撤廢するのではないかと觀測されてゐる(記事おわり)}}。これがアラスカ級大型巡洋艦である<ref name="歴群米戦164">[[#歴群米戦9章]] p.164</ref>。

当初は排水量27,000~30,000トン、12インチ砲6~8門、速力35[[ノット]]を持つ艦として案が考えられたが、火力・防御不足や費用対効果の問題等で紆余曲折にあい、設計案は紛糾した。また1936年3月25日にアメリカ合衆国、[[イギリス連邦]]、[[フランス]]などは[[第二次ロンドン海軍軍縮会議#条約の内容|第二次ロンドン海軍条約]] ([[:en:Second_London_Naval_Treaty|Second London Naval Treaty]]) に調印しており<ref>{{アジア歴史資料センター|J21022100800|Shin Sekai Asahi Shinbun 1936.03.27 新世界朝日新聞/nws_19360327(スタンフォード大学フーヴァー研究所)}} p.1〔 四ヶ國海軍條約調印 我と何等の關係なし 〕</ref>、重巡洋艦に関していえば、基準排水量1万トンで備砲は8インチ砲以下とされた。12インチ砲を搭載して2万トン級の超弩級巡洋艦(アラスカ級)は、条約の制限を超過していた<ref>[https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/kam19400113-01.1.2 Hoji Shinbun Digital Collection、Kashū Mainichi Shinbun, 1940.01.13、p.2、2023年6月3日閲覧] ~スターク作戰部長立案の~新型巡洋艦と航空母艦建造案(華府十二日同盟)/航空母艦兼用の豪華客船二隻 米國が建造計畫(ワシントン十三日同盟)</ref>。
しかし1939年9月の[[第二次世界大戦]]勃発で、第二次ロンドン海軍条約は事実上失効した。
計画は二転三転し<ref>{{アジア歴史資料センター|J20011953200|Nichibei Shinbun_19400113、日米新聞/jan_19400113(スタンフォード大学フーヴァー研究所)}} p.3〔 建造中の新巡洋艦は各國艦より遙に巨大 米國獨自の設計に基く(紐育十一日同盟)〕</ref>、[[アメリカ合衆国議会]]に14インチ砲搭載予定と報告したこともある{{Efn|name="nws19400114p.2"|'''海軍擴張に狂ふ米國 {{smaller|超大型巡洋艦、大航空母艦など}} 建造の計畫正式發'''<ref>{{アジア歴史資料センター|J21022373200|Shin Sekai Asahi Shinbun 1940.01.14 新世界朝日新聞/nws_19400114(スタンフォード大学フーヴァー研究所)}} p.2</ref>(ワシントン十二日同盟)スターク作戰部長は十二日下院海軍委員會において、米國海軍は一万トン級巡洋艦よりも遙かに大なる新型超巡洋艦並に[[エセックス級航空母艦|二万三千乃至二万五千トン航空母艦]]を建造する計畫であり、右巡洋艦には十四インチ砲を積載する旨發表した(以下略)}}。
1940年5月10日以降の[[ドイツ軍]][[西部戦線_(第二次世界大戦)|西部戦線]][[ナチス・ドイツのフランス侵攻|攻勢]]によりフランスが危うくなると、アメリカの議会海軍委員会ではイギリス海軍とフランス海軍が壊滅した後を見据え、[[大西洋艦隊_(アメリカ海軍)|大西洋艦隊]]に20,000~28,000噸級の強力な新型巡洋艦を増強すべきと見解もあった<ref name="knh19400626p3">{{Cite web |url= https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/knh19400626-01.1.3|pages=03|title= 新型巡洋戰艦建造に着手|publisher= Kona Hankyō |date=1940-06-26 |accessdate=2023-10-10}}</ref>。
イギリスと枢軸陣営で[[大西洋の戦い_(第二次世界大戦)|大西洋の戦い]]や[[:en:Battle_of_the_Mediterranean|地中海の戦い]]が繰り広げられる中、1941年7月になって正式案が確定し、最終的に排水量27,500トン、12インチ砲9門、33ノットの速力を持ち、限定的な12インチ弾の防御とした艦としてまとめられた<ref name="歴群米戦164"/>。9月16日、[[アメリカ合衆国海軍省]]は本級6隻の建造を公表した<ref>{{Cite web |url= https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/mac19410918-01.1.1|pages=01|title= 商船奇襲艦隊に對抗 <small>米海軍超巡洋艦六隻建造中</small>|publisher= Manshū Nichinichi Shinbun |date=1941-09-18 |accessdate=2023-10-10}}</ref>。

軍事評論家でジャーナリストの[[伊藤正徳_(軍事評論家)|伊藤正徳]]は、1941年11月に新聞の論説で「[[海軍拡張法]]によって建造される[[アイオワ級戦艦|アイオワ級巡洋戦艦]]4隻は、日本海軍の[[金剛型戦艦|金剛型巡洋戦艦]]を制圧するための艦級である<ref>{{Cite web|和書|url= https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/tas19411112-01.1.4 |pages=04|title = 米の巡洋戰艦(上)|publisher= Tairiku Shinpō |date= 1941-11-12 |work = Hoji Shinbun Digital Collection | accessdate = 2023-10-10}}</ref>。そして[[両洋艦隊法]]による[[ハワイ_(大型巡洋艦)|ハワイ]](アラスカ級)級巡洋戦艦6隻(排水量28,000トン、14インチ砲8門、速力38~40ノット)とアイオワ級巡戦4隻の[[機動部隊]]により、日本の巡洋戦艦部隊を撃滅しつつ[[シーレーン]]を[[通商破壊|破壊する]]計画」と解説している{{Efn|name="tas19411113p4"|〔 解説 〕<ref>{{Cite web|和書|url= https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/tas19411113-01.1.4 |pages=04|title = 米の巡洋戰艦(下)|publisher= Tairiku Shinpō |date= 1941-11-13 |work = Hoji Shinbun Digital Collection | accessdate = 2023-10-07}}</ref> 四萬五千トン級でパナマ運河の關門を通る爲には艦幅を百〇六呎に制限すする關係から、斯かる高速力の巡洋戰艦が設計可能となるわけであるが、この四隻は三年後には悉く太平洋に浮んで來ることであらう。<br/> しかるにアメリカは之を以て尚不足と考へ、本年度中には船台に上る筈のハワイ級巡洋戰艦六隻の計畫を最終的に決定した。この艦種は第三次ヴインソン案中に含まれて、珍しくも最近まで'''秘密'''を保つて來たものであるが、大體に於て、排水量二八,〇〇〇トン、備砲十四吋八門、速力三八節乃至四〇節と推定され、一九四五年頃に完成する世界の如何なる大型軍艦よりも數ノツトを超える快速力を保有するのだ。<br/> その凌波性から考へると、荒天時に作戰する運動においては、このハワイ級巡戰は如何たる快速巡洋艦をも、また如何なる大驅逐艦をも、優に時速七、八ノツトを追ひ抜くであらう、而して彼より強大なる如何なる主力艦も彼に追ひ付くことは出來ない、即ち最も安全に、大威張で太平洋を荒らし廻るといふ心底を想像し得るのである。<br/> もしも前掲の四萬トン艦アイオア級の四隻を配すれば、茲に十隻を單位とする快速主力艦部隊が編成され<br/>'''三萬'''ヤード以上の砲力決戰において有力なる單位を實現すると同時に、分散別働する場合にはその十四吋砲と四〇節速力とを以て、幾多の有効なる作戰を實演することが可能である。◇ いま、アメリカが太平洋に快速主力艦を利用せんとする作戰對策は日本の巡戰艦群の制壓と、其交通網の撃破とにある。(以下略)}}。

アラスカ級は[[両洋艦隊法]]にて6隻が計画され建造が承認されたが、1942年7月に未起工4隻が建造延期となる。アメリカ海軍自身も、モンタナ級戦艦の建造を中止して[[改造空母]]を含む航空母艦の建造に邁進すると公表している{{Efn|大東亞戰後の空母建造計畫(中略){{Sfn|細川、米海軍|1944|p=55|ps=原本89頁}} 殊に一九四二年十一月、上院海軍委員長[[カール・ヴィンソン|ヴインソン]]が米建艦計畫變更につき大要次の通り言明したと傳へられる如きは、彼等の意氣込みの程を察せしめるに充分であらう。「米海軍は目下兩洋艦隊建設のため戰艦モンタナ級五隻(五萬八千トン)、戰艦アイオワ級(四萬五千トン)のうち[[イリノイ_(戦艦)|イリノイ]]及び[[ケンタッキー (戦艦)|ケンタツキー]]の二隻計七隻のほか、アラスカ級甲巡六隻と軍艦四隻とを建造中であるが、空母建造に全力を注ぐため、モンタナ級五隻の建造を當分中止し、甲巡六隻、軍艦四隻は進水後空母に改装の方針である。このほか大型商船六隻乃至七隻は既に空母に改装されてゐる。」(以下略)}}。
最終的に1944年に「アラスカ」「グアム」が竣工した。鋼材不足のため、合衆国政府が「一般市民が空き缶を回収すれば、大型巡洋艦2隻分になる」と宣伝したこともある{{Efn|◎空罐ノ囘収運動(サクラメント、十月五日二十二時十五時)<ref>{{アジア歴史資料センター|A03025256100|米国内○其ノ他 空缶ノ回収運動、各種情報資料・米国内放送傍受情報(国立公文書館)}} p.1</ref> ・・廣告 此レハ[[銃後]]國民ノ重大任務ノ一ツデス、空罐ヲ囘収シテ下サイ、一ツ囘収シタカラ義務ヲ果シテト考ヘテハ駄目デス是非全部ヲ囘収シテ下サイ、年末迄ニハ大型巡洋艦二隻ヲ建造スルニ足ル空罐ガ溜ルデシヨウ(終わり)}}。

このように本級は2隻が竣工し1(ハワイ)が建造を続けたものの、機関出力不足や旋回性能不足、[[艦橋]]部の配置不具合、[[戦闘指揮所]](CIC)の容量不足等の問題が多発し、更に砲の追従性能も悪かったことから艦隊側の評価は芳しくなかった<ref name="歴群米戦166">[[#歴群米戦9章]] p.166</ref>。防御力も日本海軍重巡洋艦に対しては過剰であり、[[金剛型戦艦]]を含む日本戦艦に対しては不充分であった{{Sfn|ジョーダン、戦艦|1988|p=150}}。また仮想敵としていた日本海軍の新型巡洋戦艦([[B65型超甲型巡洋艦|超甲巡]]){{Sfn|イカロス、世界の巡洋艦|2018|p=125b|ps=B65型超甲型巡洋艦(超甲巡)}}が建造中止になったことも、アラスカ級の存在意義を揺るがした{{Sfn|ジョーダン、戦艦|1988|p=150}}。[[第二次世界大戦]]後には[[ミサイル艦]]へ改装する案も出されたが見送られ、退役した<ref name="歴群米戦168">[[#歴群米戦10章]] p.168</ref>。


== 艦形 ==
== 艦形 ==
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=== 主砲 ===
=== 主砲 ===
[[File:USS Guam (CB-2) at Pearl Harbor, 21 February 1945.jpg|left|thumb|250px|艦首から撮られた「グアム」。]]
[[File:USS Guam (CB-2) at Pearl Harbor, 21 February 1945.jpg|left|thumb|250px|艦首から撮られた「グアム」。]]
本級[[主砲]]には[[ワイオミング級戦艦]]の「1912年式 Mark7型 30.5cm(50口径)砲」を改良した「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」を採用した。本級の主砲は12インチ砲ながら14インチ砲弾並の重量級の砲弾([[SHS]]:517[[キログラム|kg]])が発射可能で、最大[[仰俯角|仰角]]45度で[[有効射程|射程]]35,271mまで届かせる能力を持っていた。破壊力は射距離22,800m以内で舷側装甲267mmを貫通し、射距離32,000m以上では甲板への貫通値は182mmで、なかなかの高性能砲といえる。これを新設計の3連装砲塔に収めた。発射速度は毎分2.4発~3発である。俯仰は仰角45度/俯角3度が可能であり、動力は電動、補助に人力を必要とした。旋回角度は首尾線を0度として左右150度であった。
本級は14インチ砲(35.6センチ砲)搭載を検討したこともあったが{{Efn|name="nws19400114p.2"}}、最終的に12インチ砲(30.5センチ)搭載型に決定した。[[主砲]]には[[ワイオミング級戦艦]]の「1912年式 Mark7型 30.5cm(50口径)砲」を改良した「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」を採用した。本級の主砲は12インチ砲ながら14インチ砲弾並の重量級の砲弾([[SHS]]:517[[キログラム|kg]])が発射可能で、最大[[仰俯角|仰角]]45度で[[有効射程|射程]]35,271mまで届かせる能力を持っていた。破壊力は射距離22,800m以内で舷側装甲267mmを貫通し、射距離32,000m以上では甲板への貫通値は182mmで、なかなかの高性能砲といえる。これを新設計の3連装砲塔に収めた。発射速度は毎分2.4発~3発である。俯仰は仰角45度/俯角3度が可能であり、動力は電動、補助に人力を必要とした。旋回角度は首尾線を0度として左右150度であった。


=== 副砲、その他の備砲 ===
=== 副砲、その他の備砲 ===
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* [[アラスカ (大型巡洋艦)|アラスカ]](USS Alaska, CB-1)
* [[アラスカ (大型巡洋艦)|アラスカ]](USS Alaska, CB-1)
* [[グアム (大型巡洋艦)|グアム]](USS Guam, CB-2)
* [[グアム (大型巡洋艦)|グアム]](USS Guam, CB-2)
* [[ハワイ (大型巡洋艦)|ハワイ]](USS Hawaii, CB-3) - [[進水式|進水]]後の1947年2月に建造中止され、未成となる
* [[ハワイ (大型巡洋艦)|ハワイ]](USS Hawaii, CB-3)<ref>{{Cite web |url= https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/tnj19410917-01.1.1|pages=01|title= 特別大巡六隻を建造 二萬七千噸級の新鋭艦種 <small>一隻は"布哇"と命名</small>|publisher= Nippu Jiji |date=1941-09-17 |accessdate=2023-10-10}}</ref> - 1945年8月時点で完成度約8割{{Sfn|ジョーダン、戦艦|1988|p=150}}。[[進水式|進水]]後の1947年2月に建造中止。[[指揮艦]]や[[ミサイル巡洋艦]]への改装も検討されたが中止され、1959年に廃棄された{{Sfn|ジョーダン、戦|1988|p=151}}
以下は計画艦
以下は計画艦
* [[フィリピン]](USS Philippines, CB-4)
* [[フィリピン]](USS Philippines, CB-4)
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;『[[World of Warships]]』
;『[[World of Warships]]』
: アメリカのTier9プレミアム巡洋艦として一番艦「アラスカ」が登場。
: アメリカのTier9プレミアム巡洋艦として一番艦「アラスカ」が登場。
『[[War Thunder]]』
;『[[War Thunder]]』
アメリカ Rank5 巡洋戦艦として
: アメリカ Rank5 巡洋戦艦としてアラスカが登場。
アラスカが登場BR7.0で使用可能。


== ==
== 出典 ==
=== 注釈 ===
<references/>
{{Reflist|group="注釈"}}

=== 脚注 ===
{{Reflist|2}}


== 参考図書 ==
== 参考図書 ==
<!-- 著者五十音順 -->
*『[[世界の艦船]]増刊第28集 アメリカ戦艦史』[[海人社]]
* <!-- ジョーダン1988 -->{{Cite book|和書|author1=ジョン・ジョーダン|others=石橋孝夫(訳)|date=1988-11|chapter=|title=戦艦 {{smaller|AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS}}|publisher=株式会社ホビージャパン|series=イラストレイテッド・ガイド6|isbn=4-938461-35-8|ref={{SfnRef|ジョーダン、戦艦|1988}} }}
* {{Cite book|和書|title=[[歴史群像]]太平洋戦史シリーズVol.58「アメリカの戦艦」|publisher=[[学研]]|year=2007|month=5|origyear=|ISBN=978-4-05-604692-2}}
* <!-- セカイ増刊28 -->『[[世界の艦船]]増刊第28集 アメリカ戦艦史』[[海人社]]
* <!-- モトヨシタカシ2018 -->{{Cite book|和書|author1=本吉隆(著)|author2=田村紀雄、吉原幹也(図版)|date=2018-12|chapter=コラム5 大型巡洋艦|pages=124-126|title=第二次世界大戦 世界の巡洋艦 完全ガイド|publisher=イカロス出版株式会社|series=|isbn=978-4-8022-0627-3|ref={{SfnRef|イカロス、世界の巡洋艦|2018}}}}
* <!-- レキシグンゾウ2007 -->{{Cite book|和書|title=[[歴史群像]]太平洋戦史シリーズVol.58「アメリカの戦艦」|publisher=[[Gakken|学研]]|year=2007|month=5|origyear=|ISBN=978-4-05-604692-2}}
** {{Cite book|和書|author=大塚好古|title=【第9章】大型巡洋艦「アラスカ」級|ref=歴群米戦9章}}
** {{Cite book|和書|author=大塚好古|title=【第9章】大型巡洋艦「アラスカ」級|ref=歴群米戦9章}}
** {{Cite book|和書|author=大塚好古|title=【第10章】第二次大戦後のアメリカ戦艦改装史|ref=歴群米戦10章}}
** {{Cite book|和書|author=大塚好古|title=【第10章】第二次大戦後のアメリカ戦艦改装史|ref=歴群米戦10章}}
** {{Cite book|和書|author=大塚好古|title=特別企画① 第二次大戦における米戦艦の砲煩兵装|ref=歴群米戦兵装}}
** {{Cite book|和書|author=大塚好古|title=特別企画① 第二次大戦における米戦艦の砲煩兵装|ref=歴群米戦兵装}}
** {{Cite book|和書|others=調製:大塚好古|title=WWII米戦艦・大型巡洋艦主要目一覧|ref=歴群米戦要目}}
** {{Cite book|和書|others=調製:大塚好古|title=WWII米戦艦・大型巡洋艦主要目一覧|ref=歴群米戦要目}}
<!-- 日本語版では、日本語文献を先に列挙する -->
* {{cite book |last= Garzke |first= William H. |coauthors= Robert O. Dulin, Jr. |title= Battleships: United States Battleships 1935–1992 |year= 1995 |edition= Rev. and updated |location= Annapolis |publisher= Naval Institute Press |isbn= 978-0-87021-099-0 |oclc= 29387525}}
* {{cite book |last= Garzke |first= William H. |coauthors= Robert O. Dulin, Jr. |title= Battleships: United States Battleships 1935–1992 |year= 1995 |edition= Rev. and updated |location= Annapolis |publisher= Naval Institute Press |isbn= 978-0-87021-099-0 |oclc= 29387525}}

*[https://dl.ndl.go.jp/ 国立国会図書館デジタルコレクション] - [[国立国会図書館]]
** {{Citation|和書|author=朝日新聞社中央調査会 編|date=1944-12|chapter=東西兩戰局の展開|title=戦力増強の諸問題|journal=朝日東亜年報 <small>昭和十九年 第二輯</small>|issue=|pages=68-69|publisher=朝日新聞社|doi=10.11501/1138724|url={{NDLDC|1138724}}|ref={{SfnRef|戦力増強の諸問題|1944}}}}
** {{Citation |和書|author1=海軍有終會編輯部同人 共譯|author2=|date=1940-10|title={{smaller|一九四〇年版}} ブラッセー海軍年鑑(譯書) {{smaller|― 本文全譯 ―}}|chapter=第二章 外國海軍|publisher=海軍有終會|url={{NDLDC|1910664}}|ref={{SfnRef|ブラッセー海軍年鑑|1940}}}}
** {{Citation |和書|author1=細川忠雄|author2=|date=1944-10|title=米海軍|chapter=第三章 米海軍の現勢力|publisher=木村書店|url={{NDLDC|1910664}}|doi=10.11501/1453638|ref={{SfnRef|細川、米海軍|1944}}}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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{{Commons|Category:Alaska class cruiser}}
{{Commons|Category:Alaska class cruiser}}
* [http://www.modelwarships.com/features/current/alaska_genesis/alaska_mq.htm The Genesis of the Alaska Class Large Cruisers: Part One]
* [http://www.modelwarships.com/features/current/alaska_genesis/alaska_mq.htm The Genesis of the Alaska Class Large Cruisers: Part One]
* [http://www.history.navy.mil/photos/usnshtp/cru/cb1cl.htm Photographs of the Alaska class]
* [https://web.archive.org/web/20001215230500/http://www.history.navy.mil/photos/usnshtp/cru/cb1cl.htm Photographs of the Alaska class]


{{アラスカ級大型巡洋艦}}
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[[Category:アラスカ級大型巡洋艦|*]]
[[Category:アラスカ級大型巡洋艦|*]]
[[Category:巡洋戦艦]]

2023年11月20日 (月) 02:57時点における版

アラスカ級大型巡洋艦
USS Alaska CB-1
艦級概観
艦種 大型巡洋艦[1]
艦名 1番艦アラスカ
2番艦グアム
前級
次級
計画 6隻
就役 2隻
中止 4隻
性能諸元[2]
排水量 基準:29,779l.t (30,257t)
満載:34,253l.t (34,803t)
全長 808ft 6in (246.4m)
全幅 91ft 1in (27.8m)
吃水 31ft 10in (9.7m)
機関 GE式ギヤード蒸気タービン4基/4軸
出力:150,000shp
速力 33kn
航続距離 12,000海里 / 15kn巡航
燃料 3,619l.t (3,677t)
搭載兵装 12"/50 Mk.8 3連装砲 3基9門
5"/38 Mk.12 連装両用砲 6基12門
40mm/60 4連装機関砲 14基56門
20mm/70 単装機関砲 34基34門
装甲 舷側 (上部):9in (228.6mm)
舷側 (下部):5in (127mm)
甲板:4in (101.6mm)
船内隔壁:10.6in (269.2mm)
砲塔前面:12.8in (325.1mm)
砲塔後面:5.25in (133.4m)
砲塔上面:5in (127mm)
砲塔側面:5.25-6in (133.4-152.4mm)
バーベット:11-13in (279.4-330.2mm)
司令塔 (側面):10.6in (269.2mm)
司令塔 (側面):5in (127mm)
乗員 1,517-2,251名
艦載機 4機[3]

アラスカ級大型巡洋艦Alaska Class Large Cruiser)は[4]アメリカ海軍大型巡洋艦[注釈 1]主砲口径排水量から、報道や[6][7]、文献によっては巡洋戦艦と呼称される[8][注釈 2]。 6隻建造予定であったが[注釈 3]ネームシップの「アラスカ」と2番艦「グアム」が太平洋戦争下に就役した[11]

概要

1929年2月、ドイツ海軍ヴェルサイユ条約の枠内でドイッチュラント級装甲艦の建造を開始した[12]。この新型装甲艦[13]、ポケット戦艦というニックネームで有名となる[14][注釈 4]。 「砲力は重巡を上回り、速力は戦艦を上回る」と宣伝され、従来の巡洋艦では対抗不能という評判を得た[注釈 5][注釈 6]。 ドイッチュラント級装甲艦の出現にフランスイタリア王国は刺激を受け、ヨーロッパ建艦競争が再燃した[19][20]。 ポケット戦艦に匹敵する巡洋戦艦に関していえば、1930年時点でイギリスに3隻、日本に4隻が残るだけだった[21]。さらに建艦競争によりダンケルク級戦艦ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦が出現し、ドイツ海軍もポケット戦艦の量産や改良型を配備する姿勢を見せる[注釈 7]

アメリカ海軍も、通商破壊をおこなうポケット戦艦はシーレーン防衛に脅威となると捉えていた[注釈 8]。 だが列強各国は1930年4月22日にロンドン海軍軍縮条約に調印しており、その中で巡洋艦はA級巡洋艦(甲級巡洋艦、重巡洋艦)とB級巡洋艦(乙級巡洋艦、軽巡洋艦)に分類された[23]。重巡に関しては「基準排水量1万トン以下、備砲は6.1インチより大きく8インチ以下、アメリカの合計排水量は18万トン」と定められていた[24]。重巡洋艦では「ポケット戦艦」に対抗できないし[注釈 5]、アメリカ海軍は巡洋戦艦を保有していない[21]。1932年1月には「アメリカ海軍も既存重巡の設計を見直し、8インチ砲装備のポケット戦艦を建造する」という観測も流れた[25]

加えて1930年代後期のアメリカやイギリスは、日本海軍が基準排水量15,000t、12インチ砲6門を搭載して30ノット以上を発揮する豆戦艦(ポケット戦艦)[26]秩父型大型巡洋艦[27](もしくは「かでくる[28]Kade Kuru」)[29]なる艦を秘かに建造しているという誤情報を掴んだ。ジェーン海軍年鑑によれば、日本海軍が40,000トン級超弩級戦艦4隻と並行して建造している15,000トン級ポケット戦艦は、「翔鶴」[注釈 9]、「樫野」「八丈」と命名されていた[注釈 10][注釈 11]

日本海軍は、ポケット戦艦建造の報道を否定した[32]。しかし日本の大型巡洋艦(ポケット戦艦)が実際に建造された場合、アメリカ海軍にとって重大な脅威になるのは明白だった[注釈 12]。 1938年[34]、アメリカ海軍はアイオワ級戦艦モンタナ級戦艦の建造と並行して[注釈 13]、ドイツの装甲艦や日本の大型巡洋艦を火力・防御・速度で上回り、通商保護が行える長大な航続力を持った艦を検討し始めた[注釈 14]。これがアラスカ級大型巡洋艦である[36]

当初は排水量27,000~30,000トン、12インチ砲6~8門、速力35ノットを持つ艦として案が考えられたが、火力・防御不足や費用対効果の問題等で紆余曲折にあい、設計案は紛糾した。また1936年3月25日にアメリカ合衆国、イギリス連邦フランスなどは第二次ロンドン海軍条約 (Second London Naval Treaty) に調印しており[37]、重巡洋艦に関していえば、基準排水量1万トンで備砲は8インチ砲以下とされた。12インチ砲を搭載して2万トン級の超弩級巡洋艦(アラスカ級)は、条約の制限を超過していた[38]。 しかし1939年9月の第二次世界大戦勃発で、第二次ロンドン海軍条約は事実上失効した。 計画は二転三転し[39]アメリカ合衆国議会に14インチ砲搭載予定と報告したこともある[注釈 15]。 1940年5月10日以降のドイツ軍西部戦線攻勢によりフランスが危うくなると、アメリカの議会海軍委員会ではイギリス海軍とフランス海軍が壊滅した後を見据え、大西洋艦隊に20,000~28,000噸級の強力な新型巡洋艦を増強すべきと見解もあった[7]。 イギリスと枢軸陣営で大西洋の戦い地中海の戦いが繰り広げられる中、1941年7月になって正式案が確定し、最終的に排水量27,500トン、12インチ砲9門、33ノットの速力を持ち、限定的な12インチ弾の防御とした艦としてまとめられた[36]。9月16日、アメリカ合衆国海軍省は本級6隻の建造を公表した[41]

軍事評論家でジャーナリストの伊藤正徳は、1941年11月に新聞の論説で「海軍拡張法によって建造されるアイオワ級巡洋戦艦4隻は、日本海軍の金剛型巡洋戦艦を制圧するための艦級である[42]。そして両洋艦隊法によるハワイ(アラスカ級)級巡洋戦艦6隻(排水量28,000トン、14インチ砲8門、速力38~40ノット)とアイオワ級巡戦4隻の機動部隊により、日本の巡洋戦艦部隊を撃滅しつつシーレーン破壊する計画」と解説している[注釈 16]

アラスカ級は両洋艦隊法にて6隻が計画され建造が承認されたが、1942年7月に未起工4隻が建造延期となる。アメリカ海軍自身も、モンタナ級戦艦の建造を中止して改造空母を含む航空母艦の建造に邁進すると公表している[注釈 17]。 最終的に1944年に「アラスカ」「グアム」が竣工した。鋼材不足のため、合衆国政府が「一般市民が空き缶を回収すれば、大型巡洋艦2隻分になる」と宣伝したこともある[注釈 18]

このように本級は2隻が竣工して1隻(ハワイ)が建造を続けたものの、機関出力不足や旋回性能不足、艦橋部の配置不具合、戦闘指揮所(CIC)の容量不足等の問題が多発し、更に砲の追従性能も悪かったことから艦隊側の評価は芳しくなかった[46]。防御力も日本海軍重巡洋艦に対しては過剰であり、金剛型戦艦を含む日本戦艦に対しては不充分であった[47]。また仮想敵としていた日本海軍の新型巡洋戦艦(超甲巡[48]が建造中止になったことも、アラスカ級の存在意義を揺るがした[47]第二次世界大戦後にはミサイル艦へ改装する案も出されたが見送られ、退役した[49]

艦形

USS Alaska CB-1

デザイン元は同時期に建造された「ノースカロライナ級」であると言われる。船体は平甲板型船体で、艦首から伸び上がったシア(艦首の反り返り)が際立つ艦首甲板上に、新設計の「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」を三連装砲塔に収めて1・2番主砲塔を背負い式に2基搭載した。

「アラスカ」の艦橋の写真。本級の艦橋は必要に対してスペース不足だった。また、船体中央部の高所にカタパルトを配置したために両用砲の射撃範囲を規制してしまった。

その背後から甲板一段分上がって2番主砲塔の後部に「1934年型 12.7cm(38口径)両用砲」を防盾の付いた連装砲架で1基、更に一段甲板が上がって司令塔を組み込んだ箱型の操舵艦橋が立ち、その側面には2番・3番両用砲を1基ずつ配置。二段式の見張り台を備える戦闘艦橋の頂部には 7.2m測距儀を配置した。船体中央部には直立した1本煙突が立ち、従来の戦艦・条約型巡洋艦にはあった後部マストが省略されたため、アンテナ線の展開のために煙突後部にT字型のアンテナが付くものの、フランス海軍リシュリュー級戦艦に採用されたようなMACK型煙突後檣の役割は持たなかった。

舷側甲板上は艦載機を運用するスペースが設けられ、舷側中央部に短いカタパルトが片舷に1基ずつ計2基装備された。艦載機は煙突下部の格納庫からクレーンによりカタパルトに載せられた。カタパルトの後方に4~6番両用砲を逆三角形型に3基配置したところで上部構造物は終了し、その背後の後部甲板上に3番主砲塔が後向きに1基配置された。

船体

本級の細長さが良くわかる写真。

本級の船体設計は当初は戦艦と同レベルに検討されていたが、対12インチ防御を持つ戦艦設計で設計した場合は排水量・建造費が同世代の新戦艦と変わらなくなってしまい、建造費用を抑えるために途中で巡洋艦式の設計に改められた。このため、船体は建造しやすい平甲板型船体となっており、艦首は凌波性を高くするために高くされて側面にフレア(波を下方に落とすための窪み)を持つクリッパー型艦首となっている。また、本級の船体サイズは縦横比率が8:1と、異常に細長い。

運動性能はアメリカ海軍艦艇の中でレキシントン級航空母艦と並び最も悪く[46]、直進安定性が良すぎて舵の効きがタンカー並に悪く、艦隊行動を乱すほどであった。これは元々の設計が巡洋艦式で高速を出し易い船体形状であるためと、舵の配置方式は新戦艦に採用されたツイン・スケグ(スクリュー軸に板状の構造物を付け、スクリューの背後に舵を配置する形式)ではなく、巡洋艦と同じく艦尾に一枚を付ける形式を採用しているためでもあった。

武装

主砲

艦首から撮られた「グアム」。

本級は14インチ砲(35.6センチ砲)搭載を検討したこともあったが[注釈 15]、最終的に12インチ砲(30.5センチ)搭載型に決定した。主砲にはワイオミング級戦艦の「1912年式 Mark7型 30.5cm(50口径)砲」を改良した「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」を採用した。本級の主砲は12インチ砲ながら14インチ砲弾並の重量級の砲弾(SHS:517kg)が発射可能で、最大仰角45度で射程35,271mまで届かせる能力を持っていた。破壊力は射距離22,800m以内で舷側装甲267mmを貫通し、射距離32,000m以上では甲板への貫通値は182mmで、なかなかの高性能砲といえる。これを新設計の3連装砲塔に収めた。発射速度は毎分2.4発~3発である。俯仰は仰角45度/俯角3度が可能であり、動力は電動、補助に人力を必要とした。旋回角度は首尾線を0度として左右150度であった。

副砲、その他の備砲

副砲の代わりにノースカロライナ級にも装備された「1934年型12.7cm(38口径)両用砲」を採用し、これを連装砲架で6基装備した。配置方式は戦艦のように片舷に半分ずつ搭載する方式でなく、ボルチモア級重巡洋艦のように亀甲型に配置した。この配置は少ない搭載数でも前後方向に6門、左右方向に8門が指向できる効率の良い搭載方式である。

その他に両用砲の補助として40mm(56口径)ボフォース機関砲を4連装で14基56門、「エリコン20mm(70口径)機関銃」を34門装備した。

防御

本級の船体防御は、戦艦の装甲配置における主甲板防御から弾片防御を取り払った様な形式を採用しており、ここでも巡洋艦式設計の影響がある。舷側装甲は229mmの装甲を10度の傾斜を付けて装備する傾斜装甲形式で、新戦艦と同様である。これを1番主砲塔側面から3番主砲塔側面にかけ、広範囲に防御しており、水面から下部は127mmまでにテーパーしている。また、水平防御は主甲板にSTS装甲36mm、装甲甲板に96~101mm(71~76mm+STS25mm)の装甲が貼られ、その下に16mmSTS装甲が貼られた。そのため、合計して水平防御は149mm~153mmだった。対応防御は本艦のMk.8 12インチ50口径砲(AP Mark 18、砲口初速762m/s、重量517kg)では23,500~25,000yd(21.5~22.8km)である。[50] 対重巡洋艦戦闘ならば本級の防御は重防御だが、仮想敵である日本海軍の超甲巡の12インチ砲、ドイツ海軍のシャルンホルスト級戦艦の11インチ砲に対しては本級の防御は限定的であり、日本海軍の金剛型戦艦の持つ14インチ砲に対し本級の防御能力は明らかに低い。また、対水雷防御が適用されている範囲は主舷側装甲の張られている範囲と同一で、そこから先は船体下部の二重底が舷側まで伸びて一層式の水密区画となっている他は区画細分化で妥協している。防御性能は不明であるが、エセックス級航空母艦の対TNT227kg防御より低く、対TNT170kg程度だったという資料もある[51]

機関

本級の機関はコストダウンのため、エセックス級航空母艦と同一で、バブコック&ウィルコックス式重油専焼缶8基とジェネラルエレクトリック製2段減速式ギヤード・タービン4基4軸推進を採用し、最大出力150,000hpで最大速力33ノットを発揮できるとされていたが、公試ではカタログデーターを下回った。機関配置は新戦艦と同様に「シフト配置」を採用しているが、ここでも機関配置は巡洋艦式で、ボイラー4基とタービン2基を1組として前後2組を配置していた[51]

同型艦

以下は計画艦

登場作品

小説

『蒼洋の城塞』
横山信義架空戦記。最終巻で、「アラスカ」「グアム」が日本戦艦部隊と交戦し、撃沈される。

ゲーム

Battlestations: Pacific
ゲーム内のダウンロードコンテンツにアメリカ軍兵器として使用可能。
World of Warships
アメリカのTier9プレミアム巡洋艦として一番艦「アラスカ」が登場。
War Thunder
アメリカ Rank5 巡洋戦艦としてアラスカが登場。

出典

注釈

  1. ^ 巨大巡洋艦六隻も建造中[5](華府十六日同盟)米海軍省は十六日巡洋艦建造状況を發表し、その中で大型巡洋艦六隻を建造中であると述べてゐるが、右は二万七千噸の特別大型巡洋艦である旨海軍當局から公表された。之等の性能その他の詳細事項は發表されてゐないが、恐らく商船を戒嚴する海上奇襲艦に對抗し、又主力艦隊或ひは海軍基地から遠く離れて、長距離哨戒作業に従事するものと解される。海軍當局者の語るところによると、超巡洋艦六隻の艦名はアラスカ、ハワイ、グアム、フィリッピン、サモナ、ポートラコで従来巡洋艦には都市名が附せられてゐが慣例を破るものであるが建造作業の進捗状況は明らかでない。(記事おわり)
  2. ^ △アラスカ級六隻[9] 基準排水量は二七,〇〇〇トンで、巡洋戰艦とよぶべきものである。即ち、防禦装甲は薄いが、主砲と高速力により移動砲撃用に使用することが出來る。一九四一年に六隻建造を計畫し、既にアラスカとガムの二隻は就役してゐるものと見られるが、その他は空母に轉換されることになつた模様で、一部は就役してゐると見られる。性能、主砲三〇.五糎九又は十門、卅五ノツト(以下略)
  3. ^ 四 敵米海軍力の回復と擴張(中略)[10] 巡洋艦では二萬七千トン級のアラスカ級巡洋戰艦六隻の建造が豫定せられ、一番艦アラスカ、二番艦グァムは進水した。このほか一萬三千トン甲級重巡バルチモア級新型六千トンの防空巡洋艦アトランタ級も最近進水した。(以下略)
  4. ^ 豆戦艦[15]、袖珍戦艦とも呼ばれた[16]
  5. ^ a b ドイツはヴエルサイユ條約に依つてその保有し得べき最大艦は排水量一萬噸搭載大砲口徑十一吋に制限されたがドイツはこの制限内に於て最大の威力を發揮すべき装甲艦二隻を昨年來建造中である[17] 右一萬噸装甲艦は 秘密に されてゐるが十一吋主砲六門、六吋副砲八門を搭載し速力二十六節五百馬力のデーゼルエンヂンを使用し航續距離一萬海里に及ぶもので實に製艦技術上の最高點に達してゐる、ワシントン條約に依つて主要海軍國で建造中の八吋砲一萬噸巡洋艦は二隻を以てしてもこのドイツの新装甲艦一隻に 比敵し 得ない程の破壊力を有するものである然も高速力であるから主要海軍國の三萬五千噸の主力艦に遭遇しても平気であるといふ代物であるので世界海軍國の脅威の的となつてゐる(記事おわり)
  6. ^ その評判は、第二次世界大戦勃発後も変わらなかった[18]
  7. ^ 倫敦七日發電によれば英國海軍評論家エドワード・アルサム大佐の説に獨逸海軍のダッチランド型の一万噸の巡洋艦は米國、大英國、日本の巨大なる超弩級艦を急速に無効に歸せしめつゝあるとのこと、である大佐はブラッセーの一九三五年海軍、海運年報に記して曰く[21]獨逸巡洋艦ダッチランド は實に強力に武装せられ如何なる巡洋艦も一分間たりとも之に楯付くことは出來ない、三大海軍強國は新艦を建造せざることに同意せるを以て各自現有の舊艦に巨費を投じたるも是等軍艦は急速に老朽艦になりつゝあるのみならず佛、伊、獨の新型軍艦の或る肝要性に對照して絶對に劣弱である斯る状勢を來したるは實に獨逸の一万噸のダッチランドである
    英國戰闘巡艦フード リナウンリパルスの三隻と外に日本の金剛艦級とが世界中に於てダッチランド級に比敵すべき軍艦である 獨逸は間もなくダッチランド級の強力艦四隻を保有し遂には増して六隻とすべし/佛國は現にダンカーキ 二隻を建造中で仝艦はダツチランドよりも一層快速力で英のリナウン、リパルス諸艦よりも強力である/伊太利の目下建造中なる軍艦二隻は三万五千噸の巨艦にして佛國の諸艦よりも一層かい速力且つ一層強力の武装せり斯る形勢にありて英國の現勢は誠に耻づべしといふの外はなし/米國海軍省にては一九三六年の終りに至りて巨艦新建の禁止が解けくることに備へる爲に『秘密』の内に新戰闘艦のデザインを用意してゐると報ぜらる其デザインは三万五千噸の巨艦に空爆と高射との攻撃に耐ゆる特別装甲のものなりしと(記事おわり)
  8. ^ 【ワシントン十五日同盟】[22] エヂソン海軍長官代理は十五日新聞記者團との會見に於てドイツのポケット戰艦が大西洋を横行したる事實に鑑み新造すべき二巡洋艦の設計を變更するを必要とする旨左の如く言明した。 米國は近くドイツ袖珍戰艦より優秀なる巡洋艦二隻建造する意向で、目下之の設計を進めたるが、噸數は八千噸となるべく、且之は現在如何なる國に依つて建造されたものより優秀且つ強力なるものと信ずる(記事おわり)
  9. ^ 「カデクル」[28]、「風来」[30]との報道もあった。
  10. ^ 日本の四万噸大戰艦「日進」「高松」と命名 ジエーン海軍年鑑で發表す[31] 世界各國艦艇の調査収録にかけては斷然他の追従を許さゞるジエーンの海軍年鑑一九四一年度版が發行された(中略)即ち、日本に於ては四万噸級主力艦二隻が進水(この外二隻建造中)更に一万二千噸乃至一万五千噸級袖珍戰艦二隻も進水(この外一隻は建造中)したが、四万噸主力艦は夫々「日進」「高松」と命名され袖珍戰艦は「翔つる」「樫」「八丈」と名付けられた。一方獨逸に於ては三万五千噸級主力艦ビスマルク號が既に就役の工程にある筈で姉妹艦ライプチッヒ號の完成は明年と豫定されてゐる。(中略)(記事おわり)
  11. ^ 日米兩國の建艦競爭 英海軍年鑑が表示 兩國とも航空母艦と戰艦に専念[27]『ロンドン五月十四日』世界海軍の権威として知られる英國の海軍年鑑「ヂエーンス フアイテング シツプ』一九四年版は日米兩國が有史以來の大建艦競爭をしてゐる事を記載し左の如く其の概異を述べてゐる 日本は四万噸以上の戰闘艦五隻を建造或は建造に着手して居り其中 日進 高松の二隻は完成或は完成に近く紀伊 尾張 土佐の三艦も最早遠からず完成するに近いと思惟される 此中の最後の起工はニヶ年半前であつたと云つてゐる之に反し 米國は戰闘艦十七隻と巡洋戰艦六隻の建艦を計畫した外航空母艦十一隻巡洋艦四十隻と驅逐艦多數の建造に着手してゐる 此中ワシントン級三万五千噸六隻は既に進水し二隻は就役してゐる 四万五千噸のアイオワ級六隻とモンタナ級五隻は夫々建造中或は起工中であり巡洋艦アラスカ級六隻は一九四一年十二月に起工したと云つてゐる 尚ほ日本海軍は一万二千噸或は一万五千噸級の大型巡洋艦で秩父級のもの三隻を新たに建造してゐるが之等の 装備は十二吋砲六門であると云つてゐる 因に日本の建艦計畫は或る程度疑門で日進は航空母艦に變更される事も考慮され高松は珍袖戰艦として現はれるのではないかと想像されてゐる 但し二艦とも四萬噸と記されてはゐる 日本巡洋艦 驅逐艦は前版より幾分増加の程度である 日本潜水艦數は現在八十隻以上と云つてゐる(記事おわり)
  12. ^ 超高速巡洋艦に對抗 ポケツト戰艦を造れ 疑心暗鬼の米通信社[33]【華府十三日同盟】AP通信社が報道した日本の大艦建造は時節柄相當注目を惹いてるが米國海軍當局は十三日、日本が一万八千噸以上の巡洋艦建造を開始してゐるとの情報は接受してゐない旨言明した/一方AP通信社は十三日海軍部内の意向として次の如く報道してゐる
     日本が大主力艦と共に高速度の超弩級巡洋艦を建造中ではないかとの懸念を抱いてゐることは事實である、然しこれによつてAP通信社は更に非公式の信ずべき筋の観測として日本の建艦説は事實だと思ふが、その事實だとの確報があれば米國海軍としても建艦計畫を變更せねばなるまい、八吋以上の大砲を搭載する一万八千トン以上の高速度巡洋艦は確かに米國にとつては脅威だ、これに對抗するには新型の袖珍戰闘艦を以てするのも一法である、尤も米國海軍首腦部は超弩級巡洋艦も袖珍戰闘艦にも余り氣乗りしないことは事實だ(記事おわり)
  13. ^ 建艦競爭 火の手擴大 大艦建造の本家本元 米國で五萬噸級を計畫 ヤンキーは世界一がお好き[33](ワシントン十三日同盟)米國政府は過般末英米佛三國間に決定を見たエスカレーター條項援用の方針に基き四萬五千噸級大主力艦三隻の建造を計畫中と傳へられたが、上院海軍委員ホーマーボン氏は十三日更に五萬噸級大主力艦二隻の建造計畫を仄めかして左の如く言明した リー提督は五萬噸級主力艦二隻の建造計畫を進めてゐると聞き及んでゐる、同計畫は豫て計畫中の四萬五千噸級主力艦を建造する案を變更して新に立案されるに至つたものと思ふ(記事おわり)
  14. ^ 大艦巨砲主義の米國 巡洋艦の制限撤廢を要求か 三國海軍専門家會議ひと揉め豫想[35](東京十五日日本社特電)英米佛三國海軍専門家會議は既に三ヶ月の協議期間に入り去る十二日より會議續行中で各國の超過噸數其他に就て具体的協議を重ねてゐるが、右制限協定の對照となつてゐる主點は主力艦のみであるが、更に米國方面では巡洋艦の制限に關しても何等かの考慮を拂つてゐるものゝごとく、三國専門家會議は新たなる議題として巡洋艦問題を持出すのではないかと見られてゐる、即ち米國政府の意圖する處はこの問題に就ての責任を帝國政府に轉嫁せんとし、過般UP電として帝國政府が超弩級巡洋艦の建造を進めてゐる旨を宣傳してゐるがこれは明らかに米國政府の大建艦に對する逆宣傳であつて、主力艦に於て四万五千噸以上のものを建造せんとし今又一万六千噸乃至一万八千噸型十二吋砲搭載の主力艦と巡洋艦の中間の超弩級巡洋艦を建造せんとする意圖が匿されてゐるものと見られる、而して一九三六年のロンドン條約に依つて三万五千噸以下の主力艦は建造し得ず、且巡洋艦の制限噸數は八千噸級から一万噸級で搭載備砲は八吋を超ゆることが出來ないのであるから、斯る米國の主張を容認する場合は必然的に右條約中の巡洋艦制限規定を廢棄しなければならなくなるのであつて、最近に於ける米國政府の軍擴熱は勢ひの赴く處主力艦の制限噸數を引上げると同時に巡洋艦の噸數制限を撤廢するのではないかと觀測されてゐる(記事おわり)
  15. ^ a b 海軍擴張に狂ふ米國 超大型巡洋艦、大航空母艦など 建造の計畫正式發[40](ワシントン十二日同盟)スターク作戰部長は十二日下院海軍委員會において、米國海軍は一万トン級巡洋艦よりも遙かに大なる新型超巡洋艦並に二万三千乃至二万五千トン航空母艦を建造する計畫であり、右巡洋艦には十四インチ砲を積載する旨發表した(以下略)
  16. ^ 〔 解説 〕[43] 四萬五千トン級でパナマ運河の關門を通る爲には艦幅を百〇六呎に制限すする關係から、斯かる高速力の巡洋戰艦が設計可能となるわけであるが、この四隻は三年後には悉く太平洋に浮んで來ることであらう。
     しかるにアメリカは之を以て尚不足と考へ、本年度中には船台に上る筈のハワイ級巡洋戰艦六隻の計畫を最終的に決定した。この艦種は第三次ヴインソン案中に含まれて、珍しくも最近まで秘密を保つて來たものであるが、大體に於て、排水量二八,〇〇〇トン、備砲十四吋八門、速力三八節乃至四〇節と推定され、一九四五年頃に完成する世界の如何なる大型軍艦よりも數ノツトを超える快速力を保有するのだ。
     その凌波性から考へると、荒天時に作戰する運動においては、このハワイ級巡戰は如何たる快速巡洋艦をも、また如何なる大驅逐艦をも、優に時速七、八ノツトを追ひ抜くであらう、而して彼より強大なる如何なる主力艦も彼に追ひ付くことは出來ない、即ち最も安全に、大威張で太平洋を荒らし廻るといふ心底を想像し得るのである。
     もしも前掲の四萬トン艦アイオア級の四隻を配すれば、茲に十隻を單位とする快速主力艦部隊が編成され
    三萬ヤード以上の砲力決戰において有力なる單位を實現すると同時に、分散別働する場合にはその十四吋砲と四〇節速力とを以て、幾多の有効なる作戰を實演することが可能である。◇ いま、アメリカが太平洋に快速主力艦を利用せんとする作戰對策は日本の巡戰艦群の制壓と、其交通網の撃破とにある。(以下略)
  17. ^ 大東亞戰後の空母建造計畫(中略)[44] 殊に一九四二年十一月、上院海軍委員長ヴインソンが米建艦計畫變更につき大要次の通り言明したと傳へられる如きは、彼等の意氣込みの程を察せしめるに充分であらう。「米海軍は目下兩洋艦隊建設のため戰艦モンタナ級五隻(五萬八千トン)、戰艦アイオワ級(四萬五千トン)のうちイリノイ及びケンタツキーの二隻計七隻のほか、アラスカ級甲巡六隻と軍艦四隻とを建造中であるが、空母建造に全力を注ぐため、モンタナ級五隻の建造を當分中止し、甲巡六隻、軍艦四隻は進水後空母に改装の方針である。このほか大型商船六隻乃至七隻は既に空母に改装されてゐる。」(以下略)
  18. ^ ◎空罐ノ囘収運動(サクラメント、十月五日二十二時十五時)[45] ・・廣告 此レハ銃後國民ノ重大任務ノ一ツデス、空罐ヲ囘収シテ下サイ、一ツ囘収シタカラ義務ヲ果シテト考ヘテハ駄目デス是非全部ヲ囘収シテ下サイ、年末迄ニハ大型巡洋艦二隻ヲ建造スルニ足ル空罐ガ溜ルデシヨウ(終わり)

脚注

  1. ^ 米海軍、二萬七千噸の 超巡洋艦建造 長距離哨戒作業に當る”. Nan’yō Nichinichi Shinbun. pp. 01 (1941年9月18日). 2023年10月10日閲覧。
  2. ^ Large Cruiser Alaska (CB-1)
    ALASKA battlecruisers (1944) navypedia.org
    USS ALASKA (CB 1)
    US HEAVY CRUISERS 1943–75 Wartime and Post-war Classes
  3. ^ 1945年9月7日時点ではSC-1 Seahawkを4機。
  4. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 125aアラスカ級大型巡洋艦「アラスカ」(1944年)
  5. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun 1941.09.20 新世界朝日新聞/nws_19410920(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022494000  p.2
  6. ^ 新型巡洋戰艦建造に着手”. Manshū Nichinichi Shinbun. pp. 01 (1941年3月16日). 2023年10月10日閲覧。
  7. ^ a b 新型巡洋戰艦建造に着手”. Kona Hankyō. pp. 03 (1940年6月26日). 2023年10月10日閲覧。
  8. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 148–151アメリカ/アラスカ級
  9. ^ 細川、米海軍 1944, pp. 66–67(原本111-112頁)
  10. ^ 戦力増強の諸問題 1944, p. 69原本126頁
  11. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 126a■日米の大型巡洋艦
  12. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, pp. 124–125■ドイツの大型巡洋艦
  13. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 30–35ドイツ/ドイッチュラント級
  14. ^ 獨逸のポケット戰艦 軍縮會議で問題となる”. Nan’yō Nichinichi Shinbun. pp. 02 (1932年5月5日). 2023年9月29日閲覧。
  15. ^ Hoji Shinbun Digital Collection、Singapōru Nippõ, 1932.10.28、p.2、2023年6月3日閲覧 佛海軍建造の新巡洋艦 獨の豆戰闘艦に對抗(二十七日巴里發)
  16. ^ Hoji Shinbun Digital Collection、Kashū Mainichi Shinbun, 1937.07.07、p.2、2023年6月3日閲覧 英獨條約に基く獨逸海軍の六ヶ年建艦計畫(伯林六日同盟)
  17. ^ 獨逸新造の装甲艦 世界脅威の的となる”. Burajiru Jihō. pp. 01 (1929年2月7日). 2023年9月29日閲覧。
  18. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun 1939.11.16 新世界朝日新聞/nws_19391116(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022362000  p.2〔 ~獨袖珍戰艦の脅威~英佛、追手は出したが 戰闘力の差異甚しく頭痛鉢(ワシントン十三日發)
  19. ^ 大艦建造競爭 イギリスもアメリカもフランスも ドイツはポケツト軍艦で對抗”. Nippaku Shinbun. pp. 06 (1938年4月2日). 2023年10月10日閲覧。
  20. ^ 戰艦復興(二)獨蘇二巨人に對抗 佛、悲痛な頑張り”. Nippaku Shinbun. pp. 01 (1938年4月28日). 2023年10月10日閲覧。
  21. ^ a b c 英米日の舊艦は獨伊佛の新艦に到底對抗は出來ない”. Taihoku Nippō. pp. 02 (1935年2月9日). 2023年10月10日閲覧。
  22. ^ 獨袖珍戰艦に對抗 米國新巡洋艦建造 俄かに設計變更を發表”. Nippu Jiji. pp. 09 (1939年11月16日). 2023年10月10日閲覧。
  23. ^ ロンドン海軍軍縮条約本文 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  24. ^ 細川、米海軍 1944, pp. 63–64(原本105-106頁)開戰前の米巡洋艦勢力
  25. ^ ポケット戰艦建造 米海軍の新威力 組織の改造”. Singapōru Nippō. pp. 02 (1932年1月5日). 2023年10月10日閲覧。
  26. ^ 日本豆戦闘巡洋艦建造説 英紙報道/各種情報資料・内閣情報部情報綴(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03024303900 
  27. ^ a b Hoji Shinbun Digital Collection、Yuta Nippō, 1942.05.15、p.3、2023年8月4日閲覧
  28. ^ a b Hoji Shinbun Digital Collection、Shūkan Hawai Shinpō, 1941.03.15、p.3、2023年6月3日閲覧 日本新艦(中略)日本海軍は此他に一萬二千噸乃至一萬五千噸の袖珍戰艦カデクル、カシノ、ハチジョウ等を目下建造中だといってゐる。(以下略) 
  29. ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, p. 24(原本32頁)戰艦
  30. ^ Nichibei Shinbun_19410304、日米新聞/jan_19410304(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J20012034600  p.3〔 日本が秘密建艦 英國から盛んに放送(ロンドン四日特電)
  31. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun 1941.03.22 新世界朝日新聞/nws_19410322(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022458200  p.2
  32. ^ Hoji Shinbun Digital Collection、Singapōru Nippõ, 1938.02.21、p.2、2023年6月3日閲覧 日本の新型巡洋艦 建艦問題に復重大波紋/我海軍の立場 米海軍の見解を反駁(記事略)
  33. ^ a b Hoji Shinbun Digital Collection、Nippaku Shinbun, 1938.04.15、2023年5月5日閲覧
  34. ^ Nichibei Shinbun_19380305、日米新聞/jan_19380305(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J20011821000  p.2〔 英米佛對日策に袖珍戰艦建造か 倫敦三國會商に獨式採用か(華府三日合同特電)
  35. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun 1938.04.17 新世界朝日新聞/nws_19380417(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022248800  p.1
  36. ^ a b #歴群米戦9章 p.164
  37. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun 1936.03.27 新世界朝日新聞/nws_19360327(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022100800  p.1〔 四ヶ國海軍條約調印 我と何等の關係なし 〕
  38. ^ Hoji Shinbun Digital Collection、Kashū Mainichi Shinbun, 1940.01.13、p.2、2023年6月3日閲覧 ~スターク作戰部長立案の~新型巡洋艦と航空母艦建造案(華府十二日同盟)/航空母艦兼用の豪華客船二隻 米國が建造計畫(ワシントン十三日同盟)
  39. ^ Nichibei Shinbun_19400113、日米新聞/jan_19400113(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J20011953200  p.3〔 建造中の新巡洋艦は各國艦より遙に巨大 米國獨自の設計に基く(紐育十一日同盟)〕
  40. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun 1940.01.14 新世界朝日新聞/nws_19400114(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022373200  p.2
  41. ^ 商船奇襲艦隊に對抗 米海軍超巡洋艦六隻建造中”. Manshū Nichinichi Shinbun. pp. 01 (1941年9月18日). 2023年10月10日閲覧。
  42. ^ 米の巡洋戰艦(上)”. Hoji Shinbun Digital Collection. Tairiku Shinpō. pp. 04 (1941年11月12日). 2023年10月10日閲覧。
  43. ^ 米の巡洋戰艦(下)”. Hoji Shinbun Digital Collection. Tairiku Shinpō. pp. 04 (1941年11月13日). 2023年10月7日閲覧。
  44. ^ 細川、米海軍 1944, p. 55原本89頁
  45. ^ 米国内○其ノ他 空缶ノ回収運動、各種情報資料・米国内放送傍受情報(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03025256100  p.1
  46. ^ a b #歴群米戦9章 p.166
  47. ^ a b c ジョーダン、戦艦 1988, p. 150.
  48. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 125bB65型超甲型巡洋艦(超甲巡)
  49. ^ #歴群米戦10章 p.168
  50. ^ Battleships: United States Battleships, 1935–1992、p. 198
  51. ^ a b #歴群米戦9章 p.165
  52. ^ 特別大巡六隻を建造 二萬七千噸級の新鋭艦種 一隻は"布哇"と命名”. Nippu Jiji. pp. 01 (1941年9月17日). 2023年10月10日閲覧。
  53. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 151.

参考図書

  • ジョン・ジョーダン『戦艦 AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS』石橋孝夫(訳)、株式会社ホビージャパン〈イラストレイテッド・ガイド6〉、1988年11月。ISBN 4-938461-35-8 
  • 世界の艦船増刊第28集 アメリカ戦艦史』海人社
  • 本吉隆(著)、田村紀雄、吉原幹也(図版)「コラム5 大型巡洋艦」『第二次世界大戦 世界の巡洋艦 完全ガイド』イカロス出版株式会社、2018年12月、124-126頁。ISBN 978-4-8022-0627-3 
  • 歴史群像太平洋戦史シリーズVol.58「アメリカの戦艦」』学研、2007年5月。ISBN 978-4-05-604692-2 
    • 大塚好古『【第9章】大型巡洋艦「アラスカ」級』。 
    • 大塚好古『【第10章】第二次大戦後のアメリカ戦艦改装史』。 
    • 大塚好古『特別企画① 第二次大戦における米戦艦の砲煩兵装』。 
    • 『WWII米戦艦・大型巡洋艦主要目一覧』調製:大塚好古。 
  • Garzke, William H.; Robert O. Dulin, Jr. (1995). Battleships: United States Battleships 1935–1992 (Rev. and updated ed.). Annapolis: Naval Institute Press. ISBN 978-0-87021-099-0. OCLC 29387525 

関連項目

外部リンク