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「ユンガスの道」の版間の差分

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[[1930年代]]の[[チャコ戦争]]中に[[パラグアイ]]人[[捕虜]]によって開設されて以来、[[1990年代]]までの長きにわたってボリビア北部の[[アマゾン熱帯雨林|アマゾン森林地帯]]と大都市ラパスを結ぶ数少ない道の一つであり、ユンガスの[[農産物]]をラパスに運ぶ[[貨物自動車|トラック]]や、ユンガスにある[[保養地]]に向かう[[バス (交通機関)|バス]]などの[[交通量|往来]]が激しかった。
[[1930年代]]の[[チャコ戦争]]中に[[パラグアイ]]人[[捕虜]]によって開設されて以来、[[1990年代]]までの長きにわたってボリビア北部の[[アマゾン熱帯雨林|アマゾン森林地帯]]と大都市ラパスを結ぶ数少ない道の一つであり、ユンガスの[[農産物]]をラパスに運ぶ[[貨物自動車|トラック]]や、ユンガスにある[[保養地]]に向かう[[バス (交通機関)|バス]]などの[[交通量|往来]]が激しかった。


幅員は車1台分程度(場所によっては3m程度)しか無く、[[ガードレール]]が無いため、現在でも極めて危険な状態にある。さらに、この地域は[[雨]]や[[霧]]が多い[[多雨林]]にあり、[[視程|視界]]が著しく失われる事もしばしばで、泥状になった路面に山肌からの[[落石 (自然災害)|落石]]もある。[[つづら折れ]]になった道路はほとんどの場所で崖っぷちになっており、垂直に800mも切り立っている箇所もある。このため事故による死者の数が多い事でよく知られている(年平均209回の事故が起こり96人が死亡している<ref>{{Lang|es|El Organismo Operativo de Tránsito y la Patrulla Caminera, Policía Nacional}}{{翻訳|乗り継ぎ運営機関とハイウェイパトロール警察}}</ref><ref>{{Cite news |title=La ‘carretera de la muerte’ |newspaper=El País Internacional |date=2006-12-28 |url=http://www.elpais.com/articulo/internacional/carretera/muerte/elpepuint/20061228elpepuint_3/Tes }}</ref>)。[[米州開発銀行]]は[[1995年]]に「世界でもっとも危険な道路」と呼称している<ref>{{Cite news |title=The world's most dangerous road |author=Mark Whitaker |newspaper=BBCニュース |date=11 November 2006|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/programmes/from_our_own_correspondent/6136268.stm}}</ref>。
幅員は車1台分程度(場所によっては3m程度)しか無く、[[防護柵 (道路)|ガードレール]]が無いため、現在でも極めて危険な状態にある。さらに、この地域は[[雨]]や[[霧]]が多い[[多雨林]]にあり、[[視程|視界]]が著しく失われる事もしばしばで、泥状になった路面に山肌からの[[落石 (自然災害)|落石]]もある。[[つづら折れ]]になった道路はほとんどの場所で崖っぷちになっており、垂直に800mも切り立っている箇所もある。このため事故による死者の数が多い事でよく知られている(年平均209回の事故が起こり96人が死亡している<ref>{{Lang|es|El Organismo Operativo de Tránsito y la Patrulla Caminera, Policía Nacional}}{{翻訳|乗り継ぎ運営機関とハイウェイパトロール警察}}</ref><ref>{{Cite news |title=La ‘carretera de la muerte’ |newspaper=El País Internacional |date=2006-12-28 |url=http://www.elpais.com/articulo/internacional/carretera/muerte/elpepuint/20061228elpepuint_3/Tes }}</ref>)。[[米州開発銀行]]は[[1995年]]に「世界でもっとも危険な道路」と呼称している<ref>{{Cite news |title=The world's most dangerous road |author=Mark Whitaker |newspaper=BBCニュース |date=11 November 2006|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/programmes/from_our_own_correspondent/6136268.stm}}</ref>。


[[1983年]][[7月24日]]にはバスがこの道路から谷底に転落し、100人以上の死者を出す大事故があった。これはボリビアの[[交通事故]]としては最悪のものである。
[[1983年]][[7月24日]]にはバスがこの道路から谷底に転落し、100人以上の死者を出す大事故があった。これはボリビアの[[交通事故]]としては最悪のものである。

2023年3月6日 (月) 22:22時点における版

ユンガスの道の遠景
ユンガスの道

ユンガスの道(ユンガスのみち、スペイン語: Carretera de Los Yungas)は、ボリビアの首都、ラパス市から北東方向のユンガス地方に延びている長さ約80kmの山岳道路。切り立った断崖に取り付けられた部分が長く、頻繁に転落事故が起こっていたため死の道路西: El camino de la muerte)として知られている。

概要

赤線:旧道のルート
青線:新道のルート

この道路は標高3,600mのラパスから国道3号線ドイツ語版として標高4,650mのクンブレ峠(La Cumbre Pass)を越えた後、ウンドゥアビドイツ語版で南部ユンガスへ向かう国道25号線ドイツ語版(南ユンガスの道、西: Sur Carretera de Los Yungas)として分岐。 さらにチャルマニドイツ語版英語版スペイン語版フランス語版Chulumani)へ向かう国道25号線からプエンテ・ビージャドイツ語版より国道40号線ドイツ語版(北ユンガスの道、西: Norte Carretera de Los Yungas)として分岐後、海抜1,500mほどのコロイコ英語版Coroico)へ至る[1]。 また、国道3号線の南側、国道40号線の西側を旧道が分岐し、コロイドへ至る。 このうち死の道路として知られるのは国道25号線から国道40号線および旧道の部分である。

1930年代チャコ戦争中にパラグアイ捕虜によって開設されて以来、1990年代までの長きにわたってボリビア北部のアマゾン森林地帯と大都市ラパスを結ぶ数少ない道の一つであり、ユンガスの農産物をラパスに運ぶトラックや、ユンガスにある保養地に向かうバスなどの往来が激しかった。

幅員は車1台分程度(場所によっては3m程度)しか無く、ガードレールが無いため、現在でも極めて危険な状態にある。さらに、この地域はが多い多雨林にあり、視界が著しく失われる事もしばしばで、泥状になった路面に山肌からの落石もある。つづら折れになった道路はほとんどの場所で崖っぷちになっており、垂直に800mも切り立っている箇所もある。このため事故による死者の数が多い事でよく知られている(年平均209回の事故が起こり96人が死亡している[2][3])。米州開発銀行1995年に「世界でもっとも危険な道路」と呼称している[4]

1983年7月24日にはバスがこの道路から谷底に転落し、100人以上の死者を出す大事故があった。これはボリビアの交通事故としては最悪のものである。

ボリビアの自動車道路は右側通行であるが、この道路を運転する際には例外的に左側通行となる。理由は、車がすれ違う際に左側の運転席に座るドライバーが、左側の路肩を確実に確認できるようにするためである。また法令により、上り方向(ラパスに向かう方向)の車は下り方向(ユンガスに向かう方向)よりも優先されることとなっている。つまり、下る車は上る車に道を譲らなければいけない。

BBCの自動車番組トップ・ギアのスペシャル版では、ここを通過するシーンがあり、左側通行の狭い道をトラックやバスがすれ違う様子が確認できる。

新道

コロイコから望む工事途中の国道3号線(2003年)

従来の道路がこのようにあまりに劣悪であったため、1998年に国道3号線ドイツ語版に指定された新しい道路が旧道から大きく北へ迂回して、計画から20年の工期を経て2006年にようやく完成した。2006年12月の時点でラパスからカラナビドイツ語版まで約160kmが2車線幅で舗装済み。コロイコへもこちらのルートが使われている[1]

旧道の観光利用

ユンガスの道を走るマウンテンバイクの愛好者

また1990年代から、ダウンヒルを好むマウンテンバイクの愛好者がこの長い下り坂と絶景を楽しんでおり、新道の開通によって通行量が減った旧道は観光の目玉になりつつある。しかし、依然として危険な場所であることに変わりはない。2011年5月31日には、自転車で下るツアーに参加していた日本人女性(32歳)が転落事故で死亡している[5]

周辺の名所・施設

出典

  1. ^ a b Memoria ABC 2007”. Administradora Boliviana de Carreteras (2007年). 2011年1月1日閲覧。 (PDF, 33.8MiB)
  2. ^ El Organismo Operativo de Tránsito y la Patrulla Caminera, Policía Nacional(→乗り継ぎ運営機関とハイウェイパトロール警察)
  3. ^ “La ‘carretera de la muerte’”. El País Internacional. (2006年12月28日). http://www.elpais.com/articulo/internacional/carretera/muerte/elpepuint/20061228elpepuint_3/Tes 
  4. ^ Mark Whitaker (11 November 2006). “The world's most dangerous road”. BBCニュース. http://news.bbc.co.uk/1/hi/programmes/from_our_own_correspondent/6136268.stm 
  5. ^ “邦人女性、自転車ツアーで事故死=ボリビア”. 時事通信社. (2011年6月3日). http://www.jiji.com/jc/zc?key=%cb%ae%bf%cd%bd%f7%c0%ad%a1%a2%bc%ab%c5%be%bc%d6%a5%c4%a5%a2%a1%bc%a4%c7%bb%f6%b8%ce%bb%e0&k=201106/2011060300464 2011年7月27日閲覧。 

関連項目

外部リンク