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「弁天島 (浜松市)」の版間の差分

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'''弁天島'''(べんてんじま)は、[[静岡県]][[浜松市]][[西区 (浜松市)|西区]]の[[浜名湖]]にある[[島]]。
'''弁天島'''(べんてんじま)は、[[静岡県]][[浜松市]][[中央区 (浜松市)|中央区]]の[[浜名湖]]にある[[島]]。


== 概要 ==
== 概要 ==

2023年12月30日 (土) 13:12時点における版

べんてんじま
弁天島
弁天島周辺の空中写真。
(2015年撮影の22枚より合成作成[1])。
所在地 日本の旗 日本 静岡県
所在海域 浜名湖
座標 北緯34度41分48秒 東経137度35分47.5秒 / 北緯34.69667度 東経137.596528度 / 34.69667; 137.596528座標: 北緯34度41分48秒 東経137度35分47.5秒 / 北緯34.69667度 東経137.596528度 / 34.69667; 137.596528
弁天島の位置(静岡県内)
弁天島
弁天島
弁天島 (静岡県)
弁天島の位置(日本内)
弁天島
弁天島
弁天島 (日本)
プロジェクト 地形
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弁天島(べんてんじま)は、静岡県浜松市中央区浜名湖にある

概要

明応地震により消滅した浜名湖の陸地[2]
弁天島海浜公園

浜名湖河口(今切口)の北に位置する。面積約3平方km、周囲約7km。

浜名湖一帯のリゾート地の1つとして、海水浴釣り潮干狩りなど多くの客が訪れる。また、島内にはホテルもいくつか存在し、「弁天島温泉」と称している。

島の南側の湖面には大きな赤鳥居が建っているが、これは観光シンボルタワーと称されるもの。

もともとの弁天島は弁天島(西野)・西之島裏・東郷島・カラス弁天(現在2番鉄橋の西側、新幹線の下)の4島で、他の部分は昭和初期に埋立、造成したものである。

なお、かつては「浜名郡舞阪町舞阪」の一部だったが、2005年7月1日の浜松市への編入時、「舞阪町弁天島」に組み入れられた。 2007年(平成19年)4月1日 - 浜松市の政令指定都市移行に伴い、西区が発足。「西区舞阪町弁天島」となる。

歴史

弁天島の周囲に人が住み始めたのは縄文中期以降とされており、現在の村櫛新居および舞阪、弁天島にまたがった村が存在した[3]。また、弁天島湖底遺跡(蓬莱園東)からは弥生時代の土器が確認されている[4]。その後数回の海進、海退が繰り返され、さらに1498年(明応7年)の明応地震もしくは1510年(永正7年)の永正地震や暴風雨により、舞阪の西の端が切れ弁天島となった(諸説あり[5][6])。当初は狐島または西野などと呼ばれていたが1708年、弁天神社[7]が創建されたのち弁天島と呼ばれるようになった[8]

その後、弁天島は何度となく争いの火種[4]となった。一例として、地籍をめぐって大論争となり、1740年(延亨5年)から1863年(文久3年)にかけて少なくとも4回の訴訟が発生している。舞阪宿新居宿が協同で松を植えたこともあったが1863年、舞阪宿と新居宿の境が弁天島より西側と定められたことにより、弁天島は舞阪に属することとなった[10]

江戸時代は、弁天島北側に波消し板を立てその間を渡し船が通った[6]

住民

2009年(平成21年)9月1日現在の人口は、2,982人(1世帯あたり2.40人)である[11]

第二次世界大戦中、中島飛行機の社宅がおかれ、東京(荻窪)・武蔵・多摩の各工場から赴任した技術者や労働者が居住した[12]

催事・祭事

島内にある弁天神社

毎年7月の第1土曜日が海開きとなっており、大太鼓がたたかれる。以前は同日に弁天島海開き花火大会が行われていた[13]。また、弁天神社の祭礼が海開き1週間前に行われる。

このほか、舞ちゃん夏まつりHAMANAKO HaNaBi BENTENJIMA GATEWAY Festivalも行われている。

交通

鉄道

路線バス

  • 遠鉄バス 弁天島温泉バス停
    • 浜名線
      • 10 舞阪町内経由 浜松駅行き
      • 11 舞阪小学校経由 浜松駅行き(学校開校日のみ)
      • 10 新弁天経由 湖西市役所行き
    • 舘山寺線
      • 30 舘山寺温泉経由 浜松駅行き(2015年 (平成27年) 10月1日廃止)

道路

脚注

  1. ^ a b c d 西野とは、西野島浦(現在の弁天島駅の裏側にある島)の表にあるということ。
  1. ^ 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
  2. ^ 矢田俊文(2005)の図2を基に作成。
  3. ^ 『縄文文化』浜松市博物館 刊〈特別展 7回:NCID BN02995092〉、1985年7月。 NCID BA4137774X 
  4. ^ a b 舞阪町史編さん委員会 編 編『舞阪町史』 上巻、舞阪町 刊、1989年9月。 NCID BN05859272 
  5. ^ 弁天島北側に波消し板を立てその間を渡し船が通ったが、ここから砂が州となり島になったとされる説。
  6. ^ a b 文化財のしおり編集委員会 編 編『地名が語る新居』新居町教育委員会 刊〈(文化財のしおりシリーズ, 第4集〉、1982年3月。 NCID BA67087621 
  7. ^ 辨天神社、弁天島神社とも。
  8. ^ 神谷昌志 著『浜名湖 自然と歴史と文化』明文出版社 刊〈駿遠豆ブックス 1〉、1985年11月。ISBN 978-4943976004NCID BN04731932 
  9. ^ 舞阪町史(上巻) P.355 「表45 弁天島の名称」
  10. ^ 舞阪町史(上巻) P.361 4行目
  11. ^ 町字別世帯数人口一覧表 (PDF) [リンク切れ] - 浜松市
  12. ^ 舞阪町史編さん委員会 編 編『舞阪町史』 中巻、舞阪町 刊、1996年3月、678頁。 NCID BN05859272 
  13. ^ 弁天島海開き花火大会”. 舞阪町観光協会ホームページ. 2014年7月17日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク